Episode 8

文字数 2,305文字

 だがここで疑問が生じる。マーヴィンは飼育を投げ出したのだから、宇宙ネズミ、もといパラノイドは餓死しているのではないだろうか? 普通に考えるならそれが正しい。
 しかし彼は、そうは思わなかった。理由は簡単である。
 コロニーラボから、何の連絡もないからだ。マーヴィンは黙って、勝手に地球に帰って来たのに、である。

「心当たりがある…」

 マーヴィンはコロニーラボで何が起きているのか、予想した。


 自分が切り落とした左腕。あれを処分しないで地球に戻って来てしまった。ということは腕に残っていたパラノイドは死んでいない。そのパラノイドが成長し、自分そっくりに擬態していたら? 自分に成り代わって何食わぬ顔で生活していたら? 恐ろしい発想であるが、非常にあり得る話なのだ。
 マーヴィンは自分が指名手配されていないということは、コロニーラボにまだいるということであると考えた。つまりパラノイドが演じる偽物のマーヴィンが、そこにいて、きっとコピーした自分の知能や思想を用いて、自分の仲間を増やす研究を行っているのだろう。自分の知識を利用されることはシャクだが、それがパラノイドなのだ。


 時を同じくして、新たなコロニーラボの建設が始まった。マーヴィンはこれにも恐怖を感じた。理由は簡単で、既にパラノイドの魔の手がコロニーラボ中に回り、新たな獲物を求めて飼育スペースを拡大していると感じたのだ。コロニーラボを造るのに、どれほどの労働力が必要になるというのだろうか。パラノイドは根こそぎ人間を自分のものにするつもりなのだ。地球ではコロニーラボ2の建築について、様々な意見が交わされたが、コロニーラボ2に反映されることはなかった。きっとそれらは、パラノイドにとっては邪魔でしかないのだろう。
 また飼育規模を拡大するとなると、違う恒星系から新しい生物が持ち込まれるわけだが、パラノイドはそれも見逃さないのだ。パラノイドの考えは、寄生し尽くし、自身が全能な生物のように振る舞うということだ。それも目的のうちの一つなのだ。

 もしかしたら、パラノイドは遺伝情報を持ってさえいれば、複数の生物の姿に化けることができるのかもしれない。もしそうなら、あらゆる環境に適応できることを意味する。動物だけでなく、植物にも寄生できるとしたら、絶対に交わらない生物種の遺伝情報を獲得することができる。両者の良い所取りができるとしたら…。光合成ができるかもしれない。生産者と消費者の両面性を併せ持つ多細胞生物は、未だ確認されていないが、それがパラノイドになるかもしれない。
 また、発現させる遺伝子を選べるなら、全ての生物の長所のみを持つ、最強の生物として全ての環境の頂点に君臨することになるだろう。

「それは、まやかしだ」

 だがマーヴィンは、それが偽りの適応であると見抜いていた。パラノイドが化ける姿は所詮、宿主の借り物に過ぎない。本物ではないのだ。生物というのは生きられる環境が決まっている。そこに適応するために進化がある。パラノイドのやっていることは、生物の進化の足取りを根元から否定する、進化への冒涜だ。
 またこれは真偽不明だが、パラノイドは個人の思考回路、つまるところ心すらも真似ることができるのかもしれない。もしそうだとすれば、オリジナルを生かしておく意味がないから、宿主を殺すと説明できる。だが、もし仮にそれが事実だとしたら、魂の概念までも寄生し、取って代わろうとするのだろうか? パラノイドは、考察するだけで鳥肌が立つ、脅威的な存在であることに間違いはなかった。
 パラノイドは人間の社会性すらも身につけるのだろう。だがそれは、人類が数百万年をかけて築き上げたものの模倣に過ぎない。人類はパラノイドに負けるわけにはいかない。
だが今の人類には、抗う手段がないことも確かだった。このままでは一方的に寄生され、地球を増殖地にされ、科学を利用されてしまう。言わばパラノイドのさらなる繁栄の土台にされてしまうのだ。

「防いでみせる。必ずだ」

 マーヴィンにはそれができる。グロブノイドを使えば、パラノイドは駆逐できるのだ。だからマーヴィンはグロブノイドの増殖に努めた。いつか地球に降り立つであろうコロニーラボからの使者は、パラノイドなのだ。奴らも奴らで、地球に来る時を伺っているのだ。きっと自分の偽物は、本物が地球に戻ったことを知っている。だからパラノイドも対策を考えているはずだ。


「私は思うのだ。コロニーラボから、寄生生物によるパンデミックの知らせは未だにない。だからパラノイドは静かに職員に寄生していったのだろう。そして今も私の偽物が、コロニーラボ2にいて、研究という名の増殖の指揮を執っているに違いない。コロニーラボ1が落ちたのは、奴らにとって必要でなくなったから。またパラノイドは性質上、グロブノイドには手が出せず、コロニーラボごと葬るしかなかったからなのだ」


 結局、マーヴィンは彼が思い描いていた、グロブノイドの軍事利用の阻止は思いがけずにできた。そして今度は逆に、マーヴィンが世界のためにグロブノイドを使用しようとしている。これには複雑な心境を隠せない。自分がやろうとしていることは、軍事利用と何が違うのだろうか? 平和的利用と言いながら、都合のいいようにグロブノイドを使っているだけだ。
 でもそれでも、彼がやらなければいけないことなのだ。もはや全人類をくまなく探しても、マーヴィンよりグロブノイドに詳しい人物はいないだろう。


「私は決めた。誰に何を言われようと、法を犯そうと、私のやるべきことをやり遂げる。それが叶うのなら私の命など、どうだっていいのだ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み