第9話 発見

文字数 2,380文字

通夜は、翌々日の晩に新横浜(しんよこはま)駅前の斎場で行われた。親族や同僚、数少ない友人知人が参席した小規模なものだった。葬式は舞台公演日と重なり出席出来なかったため、俺と無己は帰りに遺品整理を一緒に行う日取りを決めた。

手紙を書いているのなら、どうして直接無己に渡してくれなかったのだろう。あまり仲のいい関係ではないことが、双方の様子や話からうかがえたが。遺品整理しながら探すことになったが、はたして見つけることが出来るだろうか。

遺品整理は葬儀から二週間後の午後一時から行われる約束になっていた。欲しいものは形見として手紙と一緒に持ち帰ってもいいと無己から言われていた。無為の部屋に入るのは、ずいぶん久しぶりに思われた。ここで一晩過ごしたことが、かなり昔の記憶のように感じられていた。

「早速始めましょうか」
無己は長い髪を後ろで束ね、自宅から持ってきたと思われる緑色のエプロンを身に着けた。俺はそこまで気が回らず、黒いTシャツとジーンズのまま作業を始めた。
「ええっと…手紙…手紙っと」
独りごとを言いながら、無己はまず置いてある確率の高そうなデスク周りを探す。引き出しの中を全部調べたが、それらしきものは見つからなかった。広さはあったが所詮(しょせん)ワンルームの部屋なので、見つからないなんてことはないと思いたい。ベッドの下も引き出しになっていたが、そこも古いタブレットが置かれてあるだけで、見つけることが出来なかった。
「おかしいわねえ…確かにあるはずなんだけど」
お互い焦りを感じ始めた頃、キッチン周りを確認していた俺は、ある異変に気がついた。ずっとぶつぶつ独りごとを喋っていた無己が、突然何も言わなくなったのだ。

「無己さん?」
何か得体の知れない空気を感じ、俺は振り返り無己を呼んだ。すると無己はフローリングの床に前屈みの姿勢で倒れこんでいた。
「無己さん!」
俺は慌てて無己の許に駆け寄り、抱き起こそうとした。しかし無己は両腕を思いきり前に伸ばし、床の上で爪を立てている。束ねた髪もいつの間にかほどけ、放射状に広がっていた。
「一体どうしたんです。大丈夫ですか」
そう言ってみたものの、大丈夫でないことは明らかだった。起こそうとしても床に這いつくばり身動き一つしない。そして俺は、無己が何かを小さく呟いていることに気がついた。

「…ムイ」
俺はハッとした。
「神威…神威」
俺の名前を何度も繰り返し呼び続けていることがわかった。
「…無為なのか?」
俺は思わず両手で無己の肩を掴んだ。
「無為だろう? 無為なんだな!」
そう大声で叫び体を前後に揺らした。すると無己は、さっきまで這いつくばっていたのが嘘のようにむくりと起き上がり、両目を閉じたまま右手を前から右横に動かし、本棚を指さした。そして、
「マタイによる福音書」
静かに言った。
俺はピンときて本棚に走り寄り、中から分厚い聖書を取り出した。
「マタイによる福音書…マタイによる福音書」
独りごとを言いつつ探すのは、今度は俺の番だった。急いでページをめくり、マタイによる福音書のあいだから一通の封書を見つけだした。『神威へ』と裏面に書かれた一通の白い封筒。

「無為、ありがとう」
俺は無己の前に戻ると、そう礼を言った。なぜだか、自然に涙が浮かんできた。無己は、いや無己の体を借りた無為は、長い髪の分け目から見える目を瞑ったまま話し始めた。
「神威…幸せになってほしい。その手紙に言いたいことは全部書かれてあるから…妹にも誰にも見せないでほしい」
「わかった。わかったよ。決して誰にも見せないし読ませない。俺だけの宝物にするから」
「神威…妹の面倒を見てほしい。きみはこれから幸せになる。僕のぶんまで生きていってほしい」
「ああ、そうするよ。必ずそうする。だから安心してくれ。きみにはお別れの言葉が言えなかったね。無為、短いあいだだったけど、本当に世話になった。ありがとう」
「きっとまたいつか会えるよ。ありがとう。さようなら」
「さようなら…」

涙が溢れて、よく前が見えなくなった。持ってきたハンドタオルで目元を拭っていたら、タオルが顔から離れた瞬間、我に返った無己の姿が見えた。
「あれっ? 私もしかして、疲れて寝ちゃってました?」
床に座り込んだまま、不思議そうに辺りを見回している。
「やだあ。いつの間にか髪がほどけちゃってるう」
そう言って、慌てて落ちていたヘアゴムを拾い上げ束ね直す。俺は泣いていたのを悟られないよう、さり気なくタオルで汗を拭う振りをした。

「あ! 豊田さん手紙持ってる! 私が寝ているあいだに見つかったんですか?」
無己は、タオルを持つ右手と反対の手に持った手紙を目ざとく見つけた。
「ちょっと見せてくださいよ。出来ればなんて書いてあるのか読みたいんですけど」
「いや! だめです。絶対だめ。さっき無己さんが眠っているあいだにちらっと読んだんですよ。そしたら、他の人には絶対読ませないでと書いてありましたから」
「ええっ? 私は血の繋がった実の妹なんですよ。なんて書いてあるのかちょっとくらい」
無己は顔と口調に不満を露わにした。
「だぁめ」
おどけた言い方とは裏腹に、危険を感じた俺は、急いで手紙を持ってきたリュックサックの中に仕舞った。それを見た無己は小さく舌打ちする。

「でも寝ているあいだ、なんだか兄の夢を見ていた気がします。「ありがとう。さようなら」と豊田さんに言っていたような…きっと、そういう内容なんでしょうね。私には手紙どころか、感謝の言葉の一つもなかったな。結構がんばって身の回りの世話をしたのに。なんだか淋しい。豊田さんって、兄から慕われていたんですね。羨ましい」
その後、少しだけ沈黙があった。
「やっぱりちょっとだけ、読ませてくださいよ」
そう言って、背中に隠したリュックを覗く仕草をした。
「だぁめ!」
無為が無己に手紙を預けなかった理由が、わかったような気がした。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み