第4話 車じゃねえ

文字数 2,140文字

翌日は店の定休日で、舞台稽古もなかった。俺は自宅マンションのベッドで仰向けになり、無為のことを思いだしていた。

つくづく、不思議な男だ。俺とは兄弟の絆のような縁を感じると言っていた。千里眼という霊能力の為せる業なのか。ただの思い込みなのか。それとも…無為は体を壊して休職中だと言っていた。何か精神的な病気なのかも知れない。住んでいるマンションや間取りを言い当てるだけなら、調査すればわからないでもない。印象を強くするため、うまく霊能力者を装っているだけかも知れなかった。

同じアルバイトの男に、無為について尋ねてみた。不思議に俺の欠勤日には、あまり店には来ていないようだった。勤務時間のシフトなどはっきり定まっていないはずなのに。
「でも豊田さん、そのお客さん、話を聞くかぎりだとちょっとヤバめな感じですね。あんまり深入りしないというか関わり合いにならないほうがいいと思いますよ。いまはそうじゃなくっても、そういう思い入れの強い人ってストーカーになる可能性あると思いますし。警察沙汰なんてことになったら厄介ですよ」
男の言う通りだと思った。見た目は爽やかで礼節をわきまえているように見えても、やはり無為は危険なのかも知れない。だんだん薄気味悪くなってきたし、やはり警戒するのが正解だ。バーテンダーの仕事も生活のためにこなしているだけで、特に執着しているわけではない。いざとなったら、逃げてしまえばいい。

やはり俳優の仕事だけでやっていけたらなあと思う。しかし現実は舞台公演、しかも脇役でしか仕事はない。俳優一本だけで家族や団員を養い、生計を立てている梶原が羨ましかった。無為は梶原が俺のことを嫉妬していると言っていたが、逆なんじゃないか。弱い者いじめをする梶原は憎悪の対象でもあるが、嫉妬と羨望の対象でもある。
休日に気分転換出来る金もなく、付き合ってくれる彼女や友人もおらず、ろくに仕事もない俺はこの先どうなってしまうのかと思う。このまま辛い現実ばかり続きおかしな奴にしか執着されない人生なら、いっそのこと早く終わらせたいとも感じる。こんな狭いワンルームで独り鬱々と苦しんでいる自分も、千里眼の透視とやらで覗かれているのだろうか。そう思うと、すべてが暗澹(あんたん)たる気分になった。

なぜだかわからないが、無為とあまり話をしないようにしようと決めた時から、無為が店に来なくなった。毎晩のように来店していたのが、パタリと。そうなると気になったり、やや淋しく感じたりする身勝手な自分がいる。無為はなんだかんだ言っても「素敵」だの「いい男」だのと自分を褒めてくれていた。他に心地良くなるような褒め言葉など言ってくれる者はいなかった。さらに体調が悪くなったりしたのだろうか、そう心配になってきた。

相変わらず梶原だけは欠かさず稽古や仕事帰りにうちの店を利用していた。
「トヨタカムリくうん」
そしてまだ、わざと俺の名前を間違えて呼んでいた。この日の俺は寝不足で機嫌が悪かった。しかも「それでも好きな仕事なら頑張れるのにな」と、またしてもネガティブ思考に陥ってしまっていた。俺は急いで後輩の俳優たちに囲まれた梶原のテーブル席まで駆け寄った。
「ウィスキー持ってきて。フルーツ盛り合わせも一緒にね。おまえらも、いいからなんでも好きなもの頼んで」
今夜の取り巻きは若い男性二人に女性一人。全員梶原の機嫌を伺い作り笑いを浮かべていた。俺は梶原の注文したゴッドファーザーのグラスを硝子テーブルの上に置いた。梶原は瞬時に腹を立てた表情を見せた。
「フルーツも一緒に持って来いって言っただろ。人の話ちゃんと聞いてんのか。ああ? トヨタカムリくんよぉ」
「すみません」
俺はなんとか反発心を抑え込み、頭を下げた。
「え、豊田さんってカムリって名前でしたぁ? カムイって名前じゃありませんでした?」
梶原の左横にいた天然な雰囲気の女性が、とぼけた感じで言った。梶原は下品な薄ら笑いを返した。
「カムリでもカムイでも、どっちでもいいんだよぉ。まったく紛らわしい車の名前みたいな芸名つけやがってさぁ。まあ神威って名前も車のボディカラーにあるらしいんだけど。どっちにしても、こいつは人間じゃなし。車よ、車」

梶原の「人間じゃない」という言葉に、俺の頭の中の配線のどこかが突然、ふつりと切れた。理性や言動など、すべての処理能力が働かなくなった。
俺は気がついたら白いシャツを着ていた梶原の襟首を掴み、立ち上がらせていた。
「俺は車じゃねえつってんだろ」
梶原の目元を間近で思いきり睨みつつ、低い声で言った。梶原は心底驚いた様子で、瞬きと口の開閉を繰り返し、何も言い返せずにいた。俺は、梶原の体が小刻みに震えていることに気がついた。
「俺は豊田神威っていう人間なんだよ」
店員含め周囲も微動だにせず、息を飲む緊迫した雰囲気になっているのがわかる。
「な…生意気なこと言ってんじゃねえ…この…大根役者が…」
苦しそうに声を出しやっとの思いで言葉を発した梶原に、俺は手を上げようとした。
「やめろ!」
入口付近で、俺を止める男の声が聞こえた。最初は、不在だった店の店主かと思った。
「やめろ。落ち着くんだ。神威」
声のほうを見ると、上下白のシャツとスラックスを身に着けた無為の姿があった。

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