第3話 兄弟の絆

文字数 1,708文字

無為は次の勤務時間にも店にいた。まるで俺のシフトを把握して待ち構えているようだった。しかし不思議に、不快には感じない。店内には、ハービー・ハンコックの『カンタロープ・アイランド』が流れている。無為はジントニックを注文し飲んでいた。

「普段、何をされている方なんですか? よくお店にいらっしゃるので」
気になって、さりげなく探りを入れてみた。無為は黒やグレーのシャツを着ていることが多く、会社帰りに立ち寄っているという感じはしない。
「実は役所で働いていたんだけど、体を壊して休職中なんだ。毎日暇を持て余している」
やや酒を口に含みながら、苦笑いした。そう言われれば、顔色がやや青白く体全体やせ細っているように感じられる。
「酒が体に悪いのはわかっているんだけど、唯一の楽しみでね。ここに来てきみを見ながらうまいカクテルを飲むと、調子が良くなる気がする」
シェイカーで別の客のカクテルを作り、五分ほど無為から離れ、用事を済ませて戻ってきた。すると無為が唐突に話しかけてきた。

「きみは、伊勢佐木長者町(いせざきちょうじゃまち)のマンションに住んでいるな」
驚きのあまり、作業をしていた手が止まった。それが本当のことだったからだ。
「怖いなあ」隠すことが出来ず、つい本音が漏れた。
「まさか後をつけて来てるってことはないですよね」
冗談半分に笑顔で言ったが、顔も口調もひきつっていたかも知れない。
「伊勢佐木長者町の駅近く…歩いて五分ほど…大通(おおどお)り公園のすぐ前だ。八階建ての白い外壁タイル張りマンション。一階にコンビニ。入口を入ってすぐ右に郵便受け、近くに管理室がある。床と玄関ドアはベージュ。きみの部屋は四階のワンルームで右にキッチンとクローゼット、左にユニットバス、奥に洋室が…」
「もうやめましょう」
瞼を閉じ、思い出すかのように話し続ける無為の言葉を、俺は遮った。無為は我に返ったかのように両目を見開き、「ごめん」困惑している俺に気づいたのか謝罪をした。

「怖がらせてしまってごめん。さっききみが仕事中背中を見せている時に、急に()えたんだよ」
視えた…? 無為の言い訳に、ますます戸惑いを隠せなくなる。
「僕は、千里眼(せんりがん)なんだ。遠くの風景や出来事、先のことなんかが時折視えたりするんだよ。自分でも信じられないんだけど」
千里眼については、以前に出演したオカルト番組で特集されていたので知っていた。千里眼とは無為の言う通り、遠方もしくは将来起きることまで見通せる人間の超能力の一種だ。

有名なところだとスウェーデンの神秘思想家スウェーデンボルグがいる。スウェーデンボリといわれる場合もあるが、それは彼が貴族に(じょ)せられた時改姓した名前だ。もともとは医学や自然科学など多くの領域で多大な実績を残した科学者だが、晩年キリストと対話し召命(しょうめい)を受けるという霊的体験を機に、心霊研究に没頭するようになった。
ある日、スウェーデンボルグはストックホルムから五百キロ近く離れたイェーテボリという街で友人の夕食会に招かれていた。すると六時頃になり、
「いまストックホルムで大火災が起き、ものすごい勢いで火が燃え広がっている」
と騒ぎ始めたのだという。だが八時になると、
「私の家の三軒手前で火が止まってくれた」
と安堵した様子になった。翌朝イェーテボリ市長に招かれた彼は、火災の発生から鎮火まで細かく市長に話して聞かせた。するとその話は、ストックホルムからの使者が伝えた火災の様子とことごとく一致したのだという。
霊界を行き来していたともいわれ、スウェーデン王妃から亡くなった兄への伝言を依頼された時も、誰も知るはずのない事実を言い当てたらしい。そして、自分が予告した三月二十九日の夕方、ロンドンの寄宿先で亡くなった。八十四歳だった。

「気味が悪いと思われたついでに、思いきって伝えておくよ」
ぼんやりスウェーデンボルグのことを考えていた俺は、無為から話しかけられてハッと目が覚めたようになった。
「きみと僕とは、なんだか縁があるような気がしてならないんだ。まるで兄弟の絆のような…。僕の能力がどれほど確かなものなのかわからないんだけど…」
遠慮がちに話す無為を、俺は混乱と驚愕が入り混じった眼差しで、黙って見つめていた。

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