【エピローグ】

文字数 1,302文字

「あなた、起きて下さいな? あなた……?」



さっきから誰かが呼んでいる…



頭が重い…

光が眩しくて目を開けることが出来ない…



私はどうなってしまったんだろう…?



「こ、此処は何処だ…?」



私は目を閉じたまま声の主に訊いてみた…



「此処は病院ですよ… あなたは風邪をこじらせて此処に運びこまれたんです…」



聞き憶えのある声だ…

私はうっすらと目を開けて声の主を見た…



「………ヒルデ?」



「はい、私ですよ… ずっとあなたのお側にいますからね…」



ヒルデの髪は真っ白だった…
顔には(しわ)が増えたが、歳を取ってもヒルデは上品で美しく見えた…



「夢を…… 夢を見ていた…… とても長い夢を……」



「まぁ…また戦争中の夢ですか? 大丈夫ですよ… 戦争はずっと昔に終わったんです… あなたはもう何も心配しなくていいんですよ…」



「そうか…… そうだったな…… あれからどのくらい経ったんだろう?」



「さぁ? 70年以上経ちましたかね……?」



70年…

もうそんなに経ったのか…?



だが私はあの日のことを、昨日のことのように思い出せる…



1950年の春…
私は約5年の長きに渡る抑留(よくりゅう)生活から解放されて故郷に戻った…



驚いたことにヒルデはずっと私のことを待ってくれていた…



ヒルデは私が捕虜として連れて行かれたことを、ブラント二等兵から聞かされて知っていたのだ。

ヒルデは私が生きて帰ることを、ひたすら信じて待ち続けていたという…



ちなみにブラント二等兵とは、私が首都攻防戦の際に命を救った若い兵士のことだ。

負傷していたブラント二等兵は元隊に送り返され、運良く捕虜にならずに済んだ。

私に恩義を感じていた彼は、故郷の家族に私のことを報告に行ってくれたらしい…



私は戻ってすぐにヒルデと結婚した…



仕事は家業の靴職人を継いだ…

戦後復興の波に乗り、靴は飛ぶように売れ、収入も安定した…



子供も4人授かった…

息子が3人に娘が1人だ…



今では皆それぞれに所帯を持ち立派に暮らしている…

それでたくさんの孫の顔も見ることができた…





これがあの時トロイメライが指し示してくれた道だった…

絶望の果てに希望に満ちた未来は確かにあった…



ありがとう、トロイメライ…



もう、何も思い残すことはない…





ふと見上げると…ベッドの縁に銀髪の少女が座っていた…



私の長年の友人であり、かつてのカメラート(戦友)…



そして私の命の恩人…



トロイメライだった…



『本当にやり残したことは何もないのかしら…?』



「ああ…何もない…」



『じゃあ、私と行く…?』



「それも悪くないが、ひとつ聞いておきたいことがあるのを思い出した…」



『何かしら…?』



「トロイメライ… お前さんの本当の名前は何て言うんだい?」



『私は死神ジュン… 死者の魂を冥府に運ぶ者よ…』



「そうか… お前さん、死神だったのか… それにしちゃずいぶんと面倒見の良い死神だ…」



『ハンス、あなたはとても頑張って生きたわ… そんなあなたのお迎えですもの… 私以外の誰が相応しくって?』



そう言って小さな死神は私にウインクした…



私の死の介添人が彼女だというのなら、あの世までの道のりは楽しいものになりそうだ…



私は目を閉じると、深い闇に身を任せた…



こういうのも悪くない…

心からそう思えた…



(終)
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