4. 父の言葉 ― 確かな平和のために

文字数 3,969文字

 あやかしの沼に入ると、堂々たる態度で()け合ったアベル。

 ところが、割り当てられた部屋に一人になると、しばらくして熱が冷めた。そう、あの時は少し興奮していたのだ。これから戦いが始まる! という話を上の者から聞き、関所の衛兵たちが迎撃(げいげき)準備を進めている勇ましい雰囲気に影響されて、自分も勇気ある立派な戦士だという錯覚(さっかく)(おちい)っていた。

 無惨(むざん)に犠牲になった隊員たちの声を聞いたアベルは、許せない! 敵は卑劣(ひれつ)な手を平気で使う悪だ! と強い(にく)しみをずっと覚えていた。だから、あの時は、恐怖よりも、逆襲(ぎゃくしゅう)できるという闘志の方が勝っていたのである。

 なのに、今思えば、まだ見習いなのにあんなふうに言うなんて、自分ではない者が答えたような気分だ。そして(なさ)けのないことに、ふいに勇気がくじけた。

 そうして、時間が経つにつれ恐ろしさの方が増していき、眠ることができなくなってしまった・・・。

 自分にがっかりしたアベルは、それで、気分転換に外へ出た。

 そして、庭園の道沿いにあるベンチに座って、(すず)しい夜風を浴びていた。ここは玄関のすぐそばで、背後には一階の窓が並んでいる。

 誰かが玄関から出て来た。ポーチに立っている衛兵が、その人に向かってうやうやしく一礼した。その人は軒先(のきさき)の低い階段を下りて、アベルがいるベンチの方へ曲がってきた。

 ルファイアス騎士だ。

「窓からお姿が見えたので。ご一緒しても構いませんか。」
「はい、もちろん。」
 アベルが少しずれて場所を空けたところに、ルファイアスは腰を下ろした。
「大丈夫ですか。」
「え、あ・・・はい。」

 そう答えながらも、アベルは視線をそらしていた。
 ルファイアスが無言で顔をのぞきこむ。
 見透(みす)かされている・・・と、アベルは観念(かんねん)した。

「いえ・・・あの・・・ほんというと・・・あんまり大丈夫じゃないです。」

 わかる・・・というように、ルファイアスはゆっくりと二、三度うなずいた。
「私でよければ。」

 下手(へた)に聞いたりしないで、目の前の騎士はそう言った。その優しい眼差(まなざ)しは、聞いて欲しいことだけ話せばいい、そう言ってくれていた。

「沼のそばで、彼らの声を聞いたんです。」

 ルファイアスは首をひねった。その言葉だけで、だいたいのことは理解できた。今は亡きヘルメスと親しい間柄(あいだがら)だったことで、その特殊能力、すなわち風の声を聞ける力については知っていたし、疑わなかった。御霊(みたま)(つど)う神秘の山、そう呼ばれるイルマ山で、賢者(けんじゃ)ヘルメスに育てられたこの少年が、彼と同じその能力を持ったとしてもおかしくはない。変だと思ったのは、〝風〟ではなく〝彼ら〟の声と言ったことだ。沼のそばでと。そこで死にかけたルファイアスは、それについてもさっと理解できた。ということは、死者の声だと。彼が聞いたのは、きっと惨劇(さんげき)の記憶。風というのは、そのようなものまでよみがえらせて、聞かせることができるのか。

 一方アベルは、彼が何の指摘(してき)もしてこないので通じていると分かり、そのまま言葉を続けた。
「とても悲しく響く(くや)しそうな声でした。涙が出て、止まらなかった。それで僕・・・敵は突然、思うように力が使えなくなったら、すごく困って慌てふためくだろう。彼らの(うら)みだと思わせ、悪は()たれると、神の(さば)きだと思い知らせてやれる、仕返しができるだろうって。だからあの時は、沼に入るのを怖いと思わなかった。」

 たかぶる口調とやや乱暴な言葉遣いに、ルファイアスは眉をひそめる。

「バラロワ王国の君主や、その彼の命令に従って、卑怯(ひきょう)殺戮(さつりく)をやり()げた者たちに、どんな(さば)きを望みますか。」

 そう問われて、視線を地面に向けたアベルは、言わずにはいられなかった言葉を、正直に口にした。
「彼らと同じような、ひどい死・・・。」

 ルファイアスは目を()せ、重いため息をついた。

残虐(ざんぎゃく)に殺された者たちの死は、報復(ほうふく)されるべきだと、本音を言えば私も思います。ですが、先代の王や陛下は、その復讐心(ふくしゅうしん)を解放して実行に移すようなことは、決してしないでしょう。それをすれば、確かな平和をつかむことができなくなるから。(にく)しみが憎しみを生み、争いが果てなく続いていく。そして、また民間人が巻き込まれていく。陛下は、臣民すべてが永遠(とわ)に安心できる未来を一番に望んでおられます。()えがたくても、彼らへの裁きは、(あやま)ちを認めて後悔(こうかい)させる以外にありません・・・。」

「でも・・・ラルティス総司令官は・・・彼は納得(なっとく)できるでしょうか。僕よりも(ゆる)せないでいるはず。」

「確かに、その時は彼も、〝(あだ)()たねばならない!〟 と強烈(きょうれつ)に思ったでしょう。しかし今は、その憎悪(ぞうお)に打ち勝つため、きっと必死で戦っている。もう戦争はしないと、武器を置いて言える日を(むか)えるために。これは先代王、つまり、殿下の御父上の言葉です。
〝我々は、いつか武器を置いてこう言える日のために、涙をのんで正義のもとに戦う。もう戦争は止める 〟」

 僕は子供だ・・・と、アベルは、自分の方が思い知らされた。父は間違っても、怒り任せに人を傷つけたり、手にかけたりしない人だ。その理念に誓って。

「父・・・父上・・・。ルファイアス騎士、もっと詳しく話してください。」

 以前、この英雄騎士から、父は死を恐れない勇者だとも聞いたアベルは、あやかしの沼に(いど)める勇気をもらいたい! とさらに思った。気持ちを立て直さなければ。

「例えば、前に聞かせてくれた、バラロワ王国との戦いの話。」

 そして、ふと知りたいと思った。父が(にく)むことなく懸命に理解し、変えたいと努力を続けた相手のことを。しかし、(いま)だに分かり合えないその相手。

「その時、敵の君主の顔は見ましたか。」
「少しだけ。今、彼の顔を見た・・・と言えるのは、私と、エオリアス騎士だけでしょう。もう一人、先代の王ははっきりとご(らん)になったはずですが。」

 そう答えたルファイアスは、言葉遣いを物語の語り口調に変えた。
 彼は、聞き取りやすい声で、丁寧(ていねい)に話して聞かせた。時代背景について説明し、歴史を語った。関守マルクスが軍師として活躍した話をし、エオリアス騎士が最強だと(うた)われるその腕のほどを話した。もちろん、先代のラトゥータス王については、前に話したよりも特に(くわ)しく聞かせた。

 アベルは、父が臣民から愛される理由をさらに理解し、当時はもっと多くいた敵と、どう向き合っていたかをも知った。

 そして物語は、ついにバラロワ王国との大戦争の核心(かくしん)へと及んだ。

「その戦いは、本来、一騎打(いっきうち)ちではなかった。混戦だった。しかしその中で、ついに互いの王が剣を交え合う事態になった。両者、体の大部分を覆う甲冑(かっちゅう)を身に着けていたが、(かぶと)まで、バラロワの王のものは顔のほとんどを隠していた。だがある時、何を思ったか、彼は兜を取って先代の王に挑んだのだ。それを見た我らのラトゥータス王も、同じように応じた。周りにいた我々は、思わず(ひか)えて戦いを見守った。どちらも素晴らしい腕前で、強く、互角だった。だがそのうち、我らの王ラトゥータスが優位になった。我々は勝利を確信した。ところが、相手の近衛兵(このえへい)が割って入ってきたのだ。それで、私とエオリアス騎士も透かさず護衛についた。戦いは再び混戦となり、結果的にはバラロワ王国が敗走して、我らウィンダー王国が勝利を手にした。そこでの二人の戦いは、長く感じられたが、実際には(つか)の間だったかもしれない。」

「どんな人でしたか? 髪や、目の色は。」
「髪は赤かった。瞳は茶色。少し(ほお)がこけてエラの張った顔に、その時は顎鬚(あごひげ)を生やしていました。(たくま)しさよりも、頭の良さを感じた。」
「じゃあ・・・イルーシャ王女とは違う。」
「彼女は母親似でしょう。」 

 ルファイアスは、もうじゅうぶん話したつもりでいた。彼のその表情・・・眉間(みけん)(しわ)は無くなり、(おび)える様子も消えたこと・・・から、もう大丈夫だと思われたから。

 一方は傾聴(けいちょう)し、一方は語ることに集中していた二人は、そのあいだ気にならなかった夜風を、肌身にしみるほど感じた。体が冷えてきた。

「殿下、最後に聞かせてください。あやかしの沼に入ると(あらた)めて決心した、その想いや目的を。」

 復讐心(ふくしゅうしん)は閉じ込めた。僕も、争いの無い時代を夢見て、確かな平和をつかむために、一役(ひとやく)買う。そう思うと、恐怖心まで克服(こくふく)できた気がした。

 顔をルファイアス騎士の方へ真っ直ぐに向けて、アベルは答えた。
「ただ、正々堂々(せいせいどうどう)たる戦いのため。」

 ルファイアスは安心したように微笑んで、うなずいた。

 とても落ち着いて言うことができたアベルは、大袈裟(おおげさ)だけれど、何か(さと)りの境地(きょうち)に達したかのような気持ちになった。良かった、やっと眠ることができそうだ。

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登場人物紹介

アベル(アベルディン)。王アレンディルの弟でありながら、正体を隠して訓練中の見習い兵士。難病の治療で1歳から15歳頃まで神秘の山にいたため、風の声が聞けるという特殊能力を持つ。弓の名手。

リマール。アベルの親友。イルマ山に住む賢者(名医)のもとで勉強していた薬剤師。現在は正規軍の軍医になる勉強中。

レイサー。王族とも親しいベレスフォード家の末っ子。4人の男兄弟の中で、一人だけ騎士の叙任を辞退した。さすらい戦士をやめて実家のカルヴァン城へ戻り、現在は若い騎兵隊の隊長を務めている。

ラキア。ローウェン村の見習い精霊使い。5歳児と変わらない言動ばかりする少女。アベルのことが好き。

アレンディル。アベルの兄。ウィンダー王国の若き王。父ラトゥータスの遺志を受け継ぎ、争いの無い時代を強く望んでいる心優しい君主。

ルファイアス。ベレスフォード家の長男。先代王ラトゥータスと、現国王アレンディルの近衛兵を務めた英雄騎士。父のあとを継いでラクシア市の領主となり、カルヴァン城の城主となった。

ラルティス。ベレスフォード家の次男。南の国境警備隊の総司令官を務め続けている美貌の三十代。

エドリック。ベレスフォード家の三男。王アレンディルの近衛兵。

アルヴェン。イスタリア城主の息子で跡取り。レイサーの友人。

イルーシャ。バラロワ王国(敵国)の王女。野心に燃えている父とは違い、争いを嫌う穏やかな美姫。

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