11.  ベルニア国の滅亡 

文字数 2,624文字

「彼に何を。」
「嘘の証言を拒否すれば、可愛い王子と王女は長生きできぬと。ここはもうすぐ戦場になる。バラロワ王国が攻め入り、王室の者は皆殺しにされると。だが証言すれば、征服(せいふく)するのは我が軍隊。バラロワ王国が王都まで来ることはない。みな生かしたままにしておけるとな。もっとも、お前以外はだが。」
「そのようなこと・・・。」
「信じないと思うか? 私が適当なことを言っていると? それとも、不可能だと? だが、ゼルフィンは信じたぞ。お前の老僕(ろうぼく)が信じていないのは、平和、平和と(うた)い続けて、すっかりたるんだウィンダー王国の軍事力の方だ。」
「違う・・・彼はもう判断力が・・・それをいいことに、あなたは・・・。」
「私が巧妙(こうみょう)(そそのか)したと言いたいのか。死に(ぎわ)で何とでも言え。」

 手すりに背中をつけて、アレンディルが下になっていた。そのまま押し出そうとするかのように、叔父が体重をかけてくる。
 アレンディルは、つかんでいる彼の腕を死にもの狂いで横へ振った。
 その拍子(ひょうし)に起こることを、考えるなどできなかった。落とすつもりなど無かったが、彼だけでなく、自分の体もまた一緒に外へ投げ出されるとは・・・!

 その瞬間、驚いた互いの体が離れた。

 とっさに手を伸ばしたアレンディルは、おかげで間一髪、手すりのふちにぶら下がることができた。
 しかし、ムバラートの方は、ゾッとなる悲鳴を上げながら落ちていった。

 下で、重い大きなものが岩にぶつかる嫌な音がした。

 背筋が凍りついた。アレンディルは動揺(どうよう)した。それでも、ベランダにつかみかかっている手の力は必死で保ち続けた。こんな状況でなければ自力で這い上がることもできるが、今はすでに体力を消耗しているうえ、何よりショックが大きかった。

 ゼルフィンが駆け寄ってきて、助けようとアレンディルの手首をつかんだ。しかし、七十を大きく超えた老体ではとうてい引き上げることはできない。

「ゼルフィン、ドアを開けてマクヴェインたちを・・・!」
「あ、は、はいっ・・・!」

 アレンディルに言われて、ゼルフィンは(あわ)ててドアへ走った。もう長い年月、走るなどしたことがなかった足はもつれて時間がかかったが、ドアが開いてからは早かった。
 だがその前に、エドリックとマクヴェインは、敷居(しきい)のところで愕然(がくぜん)とした。

 王がいない!

「引き上げてくれ!」

 ベランダから叫び声が聞こえた。今まで聞いたことがないような、アレンディル陛下の声だ。

 間もなくアレンディルは、矢のように駆けつけた二人の従者に救出された。しかし膝に力が入らないせいで、立っていることはできなかった。立膝(たてひざ)の姿勢で座り込み、息をきらせて、呆然(ぼうぜん)と下の一点に目をやっていた。
 (かたわ)らでは、またうずくまったゼルフィンが、皺だらけの顔を濡らして泣きじゃくっている。 

「申し訳ございません・・・アレンディル様。」

 アレンディルは息を呑み込み、動揺をおさえて、ゼルフィンの肩に手を回した。
「よい。ひどい葛藤(かっとう)にさぞ苦しんだことだろう。」

 そのあとすぐに、広間に残っていた騎士団や宮殿の家来たちもやってきた。
 そして大変な騒ぎになった。下の階が、その宴会が開かれた広間だったのだ。よって、悲鳴をあげて落下したムバラートを一瞬、目撃した者もいた。

 至急、湖にボートが()ぎ出された。

 岩場にひっかかっていたムバラートの体は、頭から上半身が湖に浸かっている状態ですぐに発見された。両目は眠っているように閉じられていたが、それは(まぎ)れもなく、青い顔をして頭から血を流した死体だった。

 そうして引き上げられた遺体は、宮殿の彼の寝室に安置された。





 その夜は、昼間のように人々の話し声がし、動きが絶えなかった。
 いつまでも続く衝撃の中で、様々な思いが一晩中眠ることなく胸をかけめぐり、誰もが心の整理をつけようと必死になっているようだった。エドリックもマクヴェインも、そしてアレンディルも、誰もがみな・・・。

 ベルニア国の統治者、ムバラート。本当の彼を知る者は少ない。ベルニア国には、ほとんどいないだろう。彼は、そこでは英雄だった。
 その名誉を守り、さらなる混乱を避けるために、エドリックやマクヴェインのとっさの機転によって、彼は事故死ということになっていた。そしてアレンディルは、足を(すべ)らせた彼を助けようとしたが、間に合わなかったと・・・。

 そうして、結局は失敗して自分が死ぬ羽目(はめ)になったムバラートだが、(たくら)みを知られてからも、あと少しのところまでは上手くいっていた。唯一の誤算は、アレンディルは反射神経もよく腕っぷしが強い、ということだった。(おい)がどのように育ってきたかを勝手に想像していた彼は、その意外な理由を知らなかった。

 そして、このような事態になったことで、それからも数日間、王の一行はベルニア国にとどまることとなった。葬儀(そうぎ)に出席し、残された者たちがやや落ち着くのを待ったのである。王都からも、王族(アベル以外の)や権力者たちが緊急で駆けつけていた。

 それからは、思いのほか(すみ)やかに事が運んだ。
 あとのことを引き受けたその(えら)い家臣たちは、王に頼まれた通りに後処理を上手くやり、そこに住む信仰者(しんこうしゃ)たちや、ベルニア国軍の好戦的な兵士たちをも説得することに成功したのだ。

 もともと、ベルニア国は正式に認められた共同体ではなかった。大きな権力を欲しがったムバラートと、その(うた)い文句に絶対の信頼を寄せた者たちが造り上げ、自然と成り立ってしまった宗教的組織のようなものだった。ムバラートには妻も子もいるが、彼ほどの強い印象や影響力を持ってはいなかった。誰もが、ただ悲しみに暮れるだけで、その理念や思想を継ごうとする者も、継がせようとする者もいなかった。これは、ウィンダー王国の中枢(ちゅうすう)にいる者たちには幸いなことだった。




 こうして、指導者が突然死したベルニア国は、呆気(あっけ)なく滅んでベルニア州に戻り、ウィンダー王国は再び一つとなった。

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登場人物紹介

アベル(アベルディン)。王アレンディルの弟でありながら、正体を隠して訓練中の見習い兵士。難病の治療で1歳から15歳頃まで神秘の山にいたため、風の声が聞けるという特殊能力を持つ。弓の名手。

リマール。アベルの親友。イルマ山に住む賢者(名医)のもとで勉強していた薬剤師。現在は正規軍の軍医になる勉強中。

レイサー。王族とも親しいベレスフォード家の末っ子。4人の男兄弟の中で、一人だけ騎士の叙任を辞退した。さすらい戦士をやめて実家のカルヴァン城へ戻り、現在は若い騎兵隊の隊長を務めている。

ラキア。ローウェン村の見習い精霊使い。5歳児と変わらない言動ばかりする少女。アベルのことが好き。

アレンディル。アベルの兄。ウィンダー王国の若き王。父ラトゥータスの遺志を受け継ぎ、争いの無い時代を強く望んでいる心優しい君主。

ルファイアス。ベレスフォード家の長男。先代王ラトゥータスと、現国王アレンディルの近衛兵を務めた英雄騎士。父のあとを継いでラクシア市の領主となり、カルヴァン城の城主となった。

ラルティス。ベレスフォード家の次男。南の国境警備隊の総司令官を務め続けている美貌の三十代。

エドリック。ベレスフォード家の三男。王アレンディルの近衛兵。

アルヴェン。イスタリア城主の息子で跡取り。レイサーの友人。

イルーシャ。バラロワ王国(敵国)の王女。野心に燃えている父とは違い、争いを嫌う穏やかな美姫。

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