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文字数 5,957文字

 二学期になりしばらくして、剣道部で仲の良かった岡本が、ミユキの親友のルミと付き合いはじめた。
 そのことがきっかけで、ルミを通じてミユキがおれに交際を申し込んできて、おれとミユキも付き合いはじめた。 
 その頃のおれは、まだ、アキやリエに対しての未練を引きずっていた。
 特にアキに対しては、目の前の獲物が、私をどうぞ食べて、と言っているのに、食べずに帰ったのだから、余計に悔しい。それが上等の獲物だっただけに……。
 あの時おれは、どうしてアキとやらんかったがやろうと、ずっと後悔していた。
 アキもおれがミユキと付き合いはじめたことを知り、
「おちこんじょったよ」
 と、後でサトミから聞かされた。
 ミユキは小柄でとても性格の良い子だった。
 美人ではないが、愛嬌があり、可愛いらしかった。
 ミユキは市街地にある自宅から通学していた。
 おれたちは付き合い始めの頃は、よく一緒に帰った。
 夕暮れの川の堤を学校帰りに歩くだけで、充分幸せに思えた。
 お互い並んで歩くだけで満足で、意味もなくおれの下宿とミユキの自宅の間を、何往復もしたりした。  
 ミユキのさりげない心遣いが、おれは好きだった。
 ミユキといると心が和んだ。
 ミユキと付き合っていた時期は、それなりに充実もしていたために、放課後白木のアパートでたむろする回数は減っていた。
「三木、日曜の三時頃、下宿でミユキとやりよったろぉ」
 と、眠と谷本が朝学校で会うなりおれに言った。
「バカ言え、昨日は映画見にいっちょって、その時間はおららったぜよ」
 サルと二人で、日活ロマンポルノを観に行っていた。
「うそいえ、昨日おれらん行った時、窓んちょっとあいちょって、おまえらんやりよう声が聞こえたぞ」
 と谷本が冷やかした。

 付き合い始めの頃、ミユキをおれの下宿に連れてきたことがある。
 その時はサトミも一緒だった。
 ミユキとサトミは同じバトミントン部だった。
 おれの部屋は、買ったばかりのヤマハのガットギターと、安いステレオとハンガーボックスと、ほとんど座ることのない机のみの殺風景なものだった。
「三木君、ギター弾くが?」
「いや、まだ買ったばっかりやけん、ほとんど弾けん。ギターより本当はドラムをやりたいがやけんど」
「本当にやりたいがやったら、バンドの人紹介するけん、教えてもろうたらええわ」
「いやそこまで、本格的にやる気はないがやけんど」
 おれは部屋に入ってから、ずっとサトミとばかり話していることを気にしながら、サトミがおれにばかり話しかけてくるため、それに合わせていた。
「三木君って、メンクイなが?」
 しばらくして、唐突にサトミが聞いてきた。
「いや別に、おれは、ゴハン類も好きやけんどにや」
 面白くもないシャレを言った後、ミユキの表情が少し曇ったことに気がついた。
 けっして美人とは言えない、ミユキの前で何か悪いことを言ってしまった気がした。
 また、そんな話題を引き出したサトミにも、意地の悪さを感じた。
 結局その日のミユキは、ほとんど口をきかずに帰ってしまった。

 おれとミユキのデートは、もっぱら川の堤を歩くことだった。
 その頃のおれは、おくてのシャイを絵に描いたような学生だった。ミユキと付き合いはじめてからも、手も握らなかったし、キスする何て思いもしなかった。
 おれはミユキと夕暮れ迫る川の堤を黙って歩くだけで充分だった。
 雨降りなど相合傘で学校から帰る時、眠や谷本に会うと、
「どうだ、うらやましいだろう」
 という勝ち誇った顔で、彼らを見下していた。
 女の子と付き合っていること、それだけで満足していた。
 これは明治や大正時代の話ではない。
 こういう純朴な高校生が、昭和四十年代後半の田舎には、本当に存在したのである。
 ミユキの自宅は歯医者だった。
 しつけに厳しい家であり、門限内に帰らないと、怒られるとミユキは言った。
 おれたちは下宿が使えず、ミユキの家でも会えなかったため、川の堤を歩く以外は、映画を観にいくか、たまにコンサートにいくか、後は電話で話すぐらいしかなかったのである。
 それでミユキも満足しているものと思っていた。

「三木君、ミユキのことどう思うちょうかって、ミユキが言いよったよ」
 放課後サトミが、おれの下宿にやってきて、玄関口で中に何も入っていない薄っぺらのカバンを後ろ手に持ちながら、いたずらっぽくおれの顔色を覗きこむように聞いた。
 サトミのこう言った時の表情とか仕草が可愛いと思う。
 とても元スケ番には見えない。(サトミと同じ中学出身の女子から聞いた話では、中学時代は恐くて声もかけられなかったらしい。高校に入って、別人のように穏やかになったとのことだ)
 しばらく、その意味するところが解らず黙っていると、さらにサトミが、
「本当のところは、どうなが?」
 サトミがおれの表情の変化を見逃さないように、ジーッと見つめている。
「べつに……、どうっていう特別な感情は……」
 と言った後、少し後悔をした。
 多分、サトミが聞いたのでなければ、おれはもっと別な素直な言葉を言えたと思う。
 後から考えて、ミユキとおれはうまくいっていたはずなのに、突然ミユキが「どう思うちょう」なんて、サトミに聞かせた話は、どうも不自然な気がした。
 が、もう後の祭だった。
 何故か、サトミにはめられたという気がした。
 うぬぼれではないが、サトミもおれに好意を持っている(と、おれは薄々感じていた)。
 そのことに気付いているから、サトミの前でカッコつけてしまう自分がいて、話が少々ややこしいのである。
 案の定、次の日ミユキからだといって、サトミがメモ用紙のような紙片をおれに渡した。
 そこには、
「みじかい間だったけど、楽しかったです。ありがとう。ミユキ」
 とあった。 
 おれはまた、何かドジを踏んでしまった自分に後悔をしていた。
 まだまだこの頃のおれは、女心などわかるはずはない。
 しばらくの間、塞いだミユキの様子を見るにつけ、おれの心は痛んだ。
 ミユキに素直に誤ってもう一度付き合おうというには、おれの優柔不断の性格が邪魔をした。
 気まずい気持ちのまま、月日がどんどん過ぎていき、おれとミユキの付き合いは、ピリオドが打たれてしまった。

「三木、しっちょるか、ミユキが森田のアパートから、朝帰りしよるらしいぞ」
 大熊がおれの席にきて、耳元で囁いた。
 ミユキが最近バンド仲間の森田と付き合いはじめたことは、知っていた。
 森田はいかにも軽い男だった。
 同級生たちとバンドを組んで、サトミたちと同じようにアマチュアバンドのコンサートなどに参加していた。
 そこにミユキがボーカルとして加わった。
 森田はツッパリグループの一員だったが、どこかユニークな憎めない奴だった。
「森田にミユキもやられたろうにや」
 大熊は、ミユキのことが気がかりな風をして、小さな声でボソボソと言って立ち去った。
「なんで、こうなるの」
 おれは当時流行っていたコント55号の落ちのセリフを、溜息をついて心の中でつぶやいた。

 文化祭が終わった夜、白木のアパートでおれと眠と谷本と白木で酒を飲んだ。
 今日の文化祭の最後に、学生たちのミニコンサートが行われ、森田と一緒にミユキも出て、森田のアコースティックギターに合わせて、ユーミンの「卒業写真」を歌った。
 この曲はミユキの大好きな曲で、いつか二人で、ユーミンのコンサートに行こうと約束していた。
「卒業写真」を歌うミユキの声を、体育館の後ろの方で聞きながら、すっかり変わってしまったミユキを歌詞のようにしかりつけてやりたかった。
 そして、得意な顔をして隣でギターを弾く森田に、無性に腹が立った。
 おれはむしゃくしゃしていたたまれずに、眠たちを誘い飲むことにしたのである。
 ある程度酔いが回ってきた頃、情報通の谷本が、
「おれの部屋の、二段ベッドの上に女連れこんでやりまくりよう先輩から、ええ話を聞いたがやけんど、聞きたいか?」
 谷本は、ニターと笑い、もったいつけるように、ハイライトに火をつけた。
 おれたちはその様子からきっと女のことだろうと思い、
「もったいぶらんと、はよう言えや」
 と話しの続きを催促した。
「その先輩が連れてきてやりよう女は、農高の子でよ、その女の友達にめちゃくちゃ好きもんがおるらしいわ、京町のアパートにおってよ、なんでも五百円でやらせてくれるらしいぞ」
「そりゃ、本当か?」
 おれたちは、半信半疑ながらも、うれしさのあまり手を叩いて喜んだ。
「ほんならよ、その話しが本当かどうか、今晩行ってみたら面白いやん」
 いたずら好きで好奇心だけは人並み以上に旺盛な、眠が言った。
 おれたちは、狂おしい童貞喪失願望を忘れて、もっぱら万引きや覗きやセンズリといった、ひたすらマイナーな日常を送っていたため、久々に浮かれた気分になった。
 時間は八時を少し過ぎていたが、
「まだやらせてくれるろう、ほんで、一人三十分として二時間か、ほんなら十時過ぎには終わるにや」
 と谷本が、時計を見ながら言った。
 谷本や眠には、寮の門限はあってないようなもので、再々夜中に帰っては窓から忍び込んでいた。
「おれは、やめちょくけん」
 白木が、気弱に言った。
 おれたちも白木の性格がわかっているから、無理強いはしなかった。
「そりゃそうと、誰からやるか決めちょかんと、むこういってケンカになるぞ、ジャンケンで決めちょこうや」
 おれの提案でやる順番をジャンケンで決めた。
 一番が眠で、二番がおれ、三番が谷本になった。
「残り物に福があるゆうろう、女ちゅうもんは、やればやるほどようなるゆうけん、おらん時ん一番感度がええぞ」
 知ったかぶって、谷本が言った。

 アパートに行きドアをノックすると、女の子が顔を出した。
 農高の女の子は、びっくりするほど可愛らしく、とても不良には見えない。
 中学生のような感じだ。
 おれたちは顔を見合わせ、ニヤついた。
 谷本が寮の先輩の彼女の名前を出して、ここにきたことを言うと、簡単に了解が取れた。
 眠が部屋に入ってから、おれと谷本はアパートの玄関に立ち、ハイライトを立て続けに吸った。
 タバコを吸いながら、これだけ時間を待ち遠しく感じたことがない。
 十五分もすると眠が、にやけた顔で出てきた。
「えらい早いにや」
 おれと谷本が冷やかすと、
「興奮してからよぉ」
 と、眠は笑いながら頭をかいていた。しかし顔はスッキリしていた。
 おれの番である。
 部屋に入ると女の子は、下着姿のままベッドに横たわっている。
「ごめんね、めんどくさいけん、服よう着ららったぁ」
 目の大きな可愛い顔の女の子が、笑いながら言う。
 おれは心臓がバックンバックン高鳴り、今にも爆発しそうな下半身をしずめるように、
「きみ、農高の何年?」
 と冷静を装いながら、裏返る声で聞いた。
「一年」
 女の子は普通の顔で言う。
「いっ、一年! と、ということは、ついこの前まで、中学生じゃん」
 とおれは興奮して、しょうもないことを言った。
 どうりで中学生に見えるわけだ。
 女の子は、
「早うせんと、時間ないなるぜぇ」
 と笑う。
 おれもあっという間に果ててしまった。
 童貞を喪失する感慨に浸る間もなく、あっさりと終わったのである。
 谷本も、
「おまえら、本当に情けないヤッチャにや」
 と太いことを言った割には、一番早く出てきたのに、おれと眠は大笑いした。
 おれたちは、農高の可愛い女の子にコーラの差し入れをして、帰路についた。
 秋風が爽やかに頬を撫でる。

 と言うのは、またおれの病的な妄想で、話は三人が勇ましく、女の子のアパートに向かうところまで、遡る。

 京町のアパートは、銀行の近くにあった。
 おれと眠と谷本は、白木の五十CCのバイクに三人乗りで、夜の街を浮かれた気分で走った。
 四叉路の交叉点を勢いよく曲がったところで、百メートルほど先にパトロール中のパトカーがこちらに向ってきているのに気づいた。
 後ろに乗っていたおれと眠は瞬間飛び降りた。
「おい、逃げろ」
 と、運転していた谷本はバイクを百八十度回転させて、もときた方角に一目散に走らせた。
 おれと眠も慌てて走り出し、小さな路地に逃げ込んだ。
 しかし、蛇の道は蛇である。
 すぐにおれと眠は捕まってしまった。
 おれと眠は、パトカーに乗せられ取り調べを受けた。
「逃げたらいかんろうが」
「すいません」
「おまえら、N校の学生か?」
「はい」
 おれと眠は、深々と首を垂れて、おまわりの言うことに素直に答えた。
「何年ぞ?」
 おまわりは、おれたちが逃げたことに腹を立てているらしく、怒った口調で聞いた。
「二年です」
「おまえら、酒臭いけんぞ、飲みよったがやないろうにや?」
「……」
「優秀なN校生がそんなことじゃいかんろうが」
「すいません」
 観念して素直に謝るしかなかった。
「こんな時間にどこ行きよったがぞ?」
 もう一人の、やや年配の小太りのおまわりが、不審そうに聞いた。
「ラ・ラーメンを食べに……」
 おれはとっさに嘘をついた。
「もう一人は、どこ行ったがぞ? あれが、帰ってこんかったら、おまえら帰さんけんにや、ええか」
 若い方のおまわりが、脅すように言った。
「あれは、どこに住みようがぞ?」
「寮です」
 眠が言った。
「ほんなら、寮にいってみるか」
「いや、多分寮には帰ってないと思います」
「ほんなら、あれが行きそうなとこ、案内せぇや」
 おれも眠も一気に酔いが醒め、段々と顔が青ざめていくようだった。
 白木のアパートに行くと、案の定白木のバイクがあった。
 おれは、部屋を見られるとやばいと思い、
「ちょっと、見てきます」
 と言って白木の部屋にかけこんだ。
「おいやばい、今、おまわりん下にきちょうけん、上がられんうちに、はよういくぞ」
 谷本も吸いかけのハイライトをすぐにもみ消して、アルコールの匂いを消そうと思ったのか、洗面所で慌ててうがいをした。
 心配そうに見上げる白木に、
「ひょっとこの部屋に入られたらいかんけん、部屋片付けちょけや」
 と言っておれと谷本は、まるで出頭する罪人のような面持ちで階下に降りて行った。
 おれと眠と谷本は、パトカーの後部座席に乗せられ警察署まで護送された。
 点滅灯をつけて、わざわざアーケードを通っていくおまわりを恨めしく思った。
 アーケードでパトカーにすれ違う人たちは、おれたちのことを、
「この子たちは一体どんな罪を犯したがやろう?」
 といった、興味津々の眼差しで、後部座席に沈痛な面持ちで座るおれたちを覗きこんだ。
 警察でコンコンと説教された。
 その晩みんなの保護者が呼ばれた。
 警察署を出てから父親に説教され、翌日校長室に呼ばれてまた説教された。
 それからおれたちは、停学をくらった。


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