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文字数 2,987文字

 冬休みを直前にした、ある寒い日に、谷本の父親が死んだ。
 谷本の父親は糖尿病で入退院を繰り返していたが、退院するとすぐに、医者から禁止されていた酒を飲んで死んでしまった。
 谷本は姉と二人の兄弟で、跡取り息子である。
 谷本はよくおれたちと将来のことを話している時、大学には進学せずに家業の木材業を継がなければいけないと言っていた。
 谷本は真面目に勉強すれば、おそらく地元の国立に入るぐらい、わけない頭脳の持ち主だった。しかし、はなから進学する意思のない谷本は勉強を放棄していた。
「オレよ、学校やめるけん」
 三学期になって、始めて白木のアパートにおれと眠と谷本が集まってハイライトを吹かしている時、谷本が唐突に言った。
「なしや、また急に」
 おれは谷本の沈んだ顔を見ながら聞いた。
「いや、どうせ学校卒業したち、家継がんといかんしにや、おふくろも今度のことでめっきり弱ってしもうちよ」
「けんど、後一年ばぁ、何とかならんがか」
 おれは今時、中退なんてはやらんぞと、内心思いながら谷本に言った。そして谷本がいなくなった後のことを考えた。
 おれたちは、しばらく無言のままハイライトを吸った。
「おれも、谷本が学校やめるがやったら、寮出ようかにや」
 長い沈黙の後、眠は淋しそうな表情をして、タバコの煙でワッカを作りつつ天井見ながら言った。
「なんか、谷本がおらんなると、寂しくなるにや」
 おれは谷本がいなくなった後、何の希望もない怠惰な日々を一年過ごすことを考えただけで、憂鬱な気がした。
「ああ、おれも高校なんかやめちまいたいにや」
 眠も考えていることは同じらしく、憂鬱そうに言った。
「おれよ、高校やめて、バーテンかなんかやってよ、その店の姉ちゃんと同棲する生活にあこがれるがやけんどにや、ええと思わんか三木」
 暗くなった雰囲気を盛り返そうと、眠が心にもないことを言った。
「やっぱし、そういう生活がみんなの共通の願望よにや」
 とおれもわざと調子を合わせて、明るい話題に転じようとした。しかし、話が続かずすぐに白けたような沈黙が来る。
「まあ、おまえらは、大学にも行けるがやし、三年になったらちったぁ勉強せんとにや、今のままやったら、どこっちゃ入れんど」
 谷本が、生徒会長をしていた中学生時代を彷彿させるような、妙に真面目くさった顔で言った。内心谷本にしてみたら、
「おまえらのように親のすねかじって生きていくわけには、もういかん。厳しい現実が待ちようけん」
 と言いたいところだったろう。
 白木のアパートに集まって、タバコ吹かしながら時間つぶしをすることは、谷本には最早甘えにしか思えなくなっていた。
 谷本の顔は、家業の木材業を担う二代目としての自覚のようなものが出来てから、以前とは百八十度変わっていた。
 
 谷本は一月末で自主退学することになった。
 退学の日を明日に控えた寒さが身に凍みる日の夕方、谷本とおれと眠は校舎のすぐ側を流れる後川の河川敷に降り立ち、もうすぐ現われるであろう三年の新田たちを待った。
 待ち合わせ時間の六時を少し過ぎた頃、新田と連れの二人がやって来た。
「あれん卒業するまでに、絶対やっちゃる」
 と、谷本はよく口癖のように言っていた。
 新田は谷本のバスケ部の先輩にあたり、下級生をいじめる根性の悪い奴だった。
 不良グループに属し喧嘩も強かったことから、下級生たちも新田に反感を持っていたが歯向かう者はいなかった。
 谷本は心底バスケが好きで、中学時代にはキャプテンとして活躍していたことから、N校に入学するやいなや迷わずバスケ部に入部した。
 入部してみると一年を指導する立場にあった新田に、散々しごかれた。
 それはしごきと言うより、いじめに等しい嫌らしいものだった。一年の他の部員が、新田から嫌がらせにあい半泣きになっているときなど、正義感の強い谷本がよくかばってやった。
 そんな谷本のことを面白くなく思った新田が、いつの頃からか谷本個人に集中的に嫌がらせをするようになった。
 しかし、谷本は大好きなバスケをやりたい一心で我慢し続けた。
 そんな谷本だったが、ある日魔が差したのか、はたまたよほど虫のいどころが悪かったのか、新田の言った、
「われの姉やん、オメコ好きらしいにや」
 という挑発に切れて、新田の顔面を殴ってしまった。
 このことがきっかけとなり、結局谷本は退部してしまった。

 まわりは日が暮れてすっかり暗くなり、吐く息だけが白かった。
 新田はさっきからふんどり返ったような態度でこちらを睨みつけている。
 連れの二人は不良グループのメンバーで、いつも新田と行動を共にしている生意気な奴らだった。
 三人はいかにも落ち着いた様子でタバコを吸っている。
 谷本が一歩前へ出て、新田に向い、
「新田、呼び出してすまらったにや、けんど、われにここで土下座して謝ってもらうまで、かえさんけんにや」
 と、啖呵を切った。
 新田はせせら笑うように、
「谷本、われはそれん先輩に対する口の聞き方か」
 と言って、タバコを足元に叩きつけた。
 谷本は、「じゃかましや」と叫んで、新田に全身でぶつかって行った。
 その突進をまともに受けて、二人は重なり合うように倒れた。
 谷本は馬乗りになって二発三発新田の顔面を殴りつけたが、新田も体力的には谷本より一回り大きく負けていないことから、逆に馬乗りになって谷本の顔面を立て続けに殴りつけた。
 おれと眠は、谷本から決して手を出すなと言われていたから、新田の連れが手を出さない限り、加勢するまいと決めていた。
 その後も二人は殴り蹴る、殴られ蹴られ、の一進一退の攻防を続けた。
 この周辺は夜になると人通りのほとんどない静かなところであり、二人の殴り合うにぶい音だけが、闇に木霊した。
 谷本と新田はしばらくの間殴り合っていたが、最後の方は気力だけで闘っていた。
 おれは喧嘩を見て、胸が熱くなったのは、この時が初めてだった。
 二人の吐く息が「ハー、ハー」と荒々しくなり、手数がほとんど出なくなった頃、新田が、
「われにはすまんことした思うちょる、許せ」
 と言って切れた唇の血を手の甲で拭いながら、はにかむように笑った。
「わかったら、ええわや」
 と言って谷本も少し笑った。
 二人は膝に手を置き前屈みになったまま、しばらく肩で荒い息をしていた。

 寮の正門には寮生たちの他、おれ、眠、白木、マンコ、大熊までもが休みの早朝にも関わらず谷本を見送りにやってきた。
 集まった皆が谷本の顔を見て驚いた。
「自転車で、こけちにや」
 と谷本が頭を掻きながら、バレバレの嘘を言った。皆もただ笑ってその嘘を呑みこんだ。
 谷本は感傷的になることを嫌って、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を、へたくそな口笛で吹いた。
 試合後のボクサーのような痛々しい顔をした谷本が、静かに笑って、
「また家のほうにも遊びにこいや」
 と最後におれたちに言って、親戚の軽トラに乗り込んだ。
 大熊が突然万歳三唱をした。
 それに合わせて皆で何度も繰り返し万歳をした。
 谷本は照れた顔で、戦地に赴く兵士のように皆に敬礼をした。
 いつも谷本は、ハイライトは労働者のタバコだと、言っていたけど、これで本当に労働者になる谷本が、うまそうにハイライトを吸うだろうな、と思いながら、朝靄の川沿いを走り去る軽トラを少し羨ましく思いながら見送った。



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