十三

文字数 3,648文字

 思玲は膝に手を突く。螺旋を四発も放ってしまった。心臓が不整に脈動して脂汗が流れだす。だが鍛錬で六連発したことがある。一日後に目覚めたら白髪が生えていたので抜いたが、つまりあと二発は間違いなく撃てる……。

 私は人殺しではない。それをいま心に思い浮かべることもない。

 小鬼は連れ去られた。このゴルフ場は私だけでない。異形に変えられた青年がいる。異形になってしまった人もいる。双子の鬼ならば知っている。私が楊偉天に飼われていた頃からいた双邪媿(シュァンシェクイ)の『(シュ)』と『(シャォ)』。あの乳丸出しの雌鬼どもはそこそこ賢く強靭だ。一体倒すのに螺旋は二発必要。

 思玲は空を見る。大燕は飛んでない。師傅は四玉の箱を追っている。まだここには現れない。……師傅は虎を抹殺するかもしれない。十六歳ならば資質はまだ伸びしろがあるから……それだったら楊偉天が手放すはずない。
 あの老人は見限った。つまり救えば、ただの人として生きられる。
 連れ戻して町に帰ろう。人の目に見える虎だとしても、獅子舞の振りをさせれば道を歩かせても何とかなるかも。春節二日目でよかった。

 思玲は小刀からの金色の光だけで、クラブハウスの鍵を破壊する。力を温存しないとならない。
 もし私がいきなり異形になり放置されたらどうするだろう? ……十代前半の自分を思いだせ。いきなり化け物にわらわら寄ってこられたころの私を。夜に布団をかぶろうが、その中に現れる……。まずは親にすがる。ついで神仏にすがる。どちらもあてにならなければ、明かりをつけて家に閉じこもる。
 思玲はコースに向かわない。クラブハウスのなかを歩く。春節の飾りはない。ここはまだ春を迎えていない。獣の気配が漂いだす。
 レストランで、白い虎が二本足で立っていた。

「僕は人間だ。台南市の王宇翔」
 虎が心の声で伝え、両手をあげる。前脚ではない手だ。

「わ、私も王だ。王思玲」
 動揺するな。「私はあなたを救いにきた。家に帰るぞ」

 背丈は2メートルを余裕でオーバー。白い毛並みに薄墨ていどの斑模様。ほかに目立つのは、ぶら下がる雄である証。
 思玲の目線に気づき、虎人間は両手で股間を隠す。

「麗妤が小さなヤモリになって踏みかけた。母はニワトリなんかになった。親父は巨大な亀なんてふざけてる。でもみんな人のままでテレパシーもできる」

 まだ現実感がないようだ。誰も鬼や鴉の餌食になっていないからかな。恐慌なきまま終わらせたい。

「ここには怖いのがいる。急いで逃げるからな」

 春節の余興と勘違いされて、スクーターに二人乗りで帰れるかも。タクシーは無理だろうな……。四玉の箱の生贄を幾人も見てきたが、虎の姿は初見だ。しかも半獣半人。こいつはずば抜けて異形だ。いやな言い方だが、宇翔は決して失敗作ではない。
 ……べつの異形の気配が近づく。しかも二体。

「宇翔は鬼に追われていたか?」
「見かけただけ。見つかってはないかも……お姉さんは強いの? 奴らを倒せる?」
「いつもならばな。今日は餅を大判振る舞いしすぎて閉店だ」
「ふふっ。なら僕が戦うべきかな。さっきは怖くて逃げちゃったけど」
「人でいたければやめておけ」

 よほど追い詰められない限り、犠牲になった人を矢面に立させない。よほどあてになりそうでなければ頼るはずない。そんなのファーストコンタクトでわかる。この子は虎の姿をした人なだけだ。
 鬼の気配は……エントランスで待ち伏せか。相変わらず知恵足りぬな。出口はそこだけでない。でも別の異形の気配……空腹のようだ。こっちに近づいている。もちろんどちらとも戦いたくない。しかし走って逃げるのは、いまの私では無理だ。17番ホールで追いつかれる。

「やはり営業再開だ。ここで鬼を待ち伏せる」

 思玲は厨房へと進む。宇翔である虎人間がテーブルクロスを腰に巻いてついてくる。しかしこの子は何故に妖術士に置いていかれた?
 そりゃ私はこの人を殺さない。でも師傅ならば、ためらいもなく処分するだろう。……本物の白虎を見たことある。あれは林ほどにでかかった。それに比べれば塵みたいな仕上がりか。なので不要か。
 だったらあの老人は焦りだしている。本物の四神獣だけを求めだしている……それだけじゃない。
 また弱い私が人の命を乞うことを、薄ら笑い待っている。

 鬼は私の術を警戒して――それだけでないにしても、ゆっくり近づいている。いまの私だろうと一人なら捕らえられることはない。仮に捕まっても、雌鬼だから辱めにあわされることもない。老いた雌の双子の鬼などに……。
 楊偉天は私の力量を知っている。双邪媿ごときたやすく倒せるから、嫌がらせとして私を襲わせる。まさに究極の嫌がらせだ。
 勝手口があった。

「ここから外にでる」
 思玲はドアを開ける。一月末の山の空気。雪など降るはずない。コースの池が見えた。そこに潜み異形が私達を眺めている。
「宇翔の力を借りたい。それを入り口に運んでくれ」

 思玲は閉じた扇で三本のガスボンベを指す。

「……爆発させるの? スマホで中国の事故を見たけど、すごいことになるよ。僕達も巻き添えになる」
「跳ね返しの結界というものがある。それにそれだけでは、奴らは傷も負わない」

 宇翔が二本抱え、思玲が一本運ぶ。ワニは寄ってこない。気配だけが漂う。宇翔は白虎くずれのくせに気づいてない。私だけが感づける、水辺のハンター。

 ガスボンベを出入り口横に立て掛ける。バッグをドアノブにかけて、とりだした財布とハンカチをジーンズのポケットに突っこむ。宇翔を背後にしゃがませて待ちかまえる。
 しばらくしてドアが恐る恐る開き、鬼が現れる。どす黒い肌に二本のツノ。腰巻だけの素足。ちりぢりの天然パーマ。私よりはるかにでかい胸をたるませている。
 黒い腰巻が姉の暁で、赤い腰巻が妹の曙だったな。二体とも姿を現した。ひさしぶりに見る私へと戸惑いを向けている。懐かしきキツい体臭。

玲玲(リンリン)様――」
「聞かぬ」

 躊躇しない。思玲は小刀を振るう。銀色の光がボンベに向かう。
 思玲は小刀をくわえる。扇をひろげる。

「人であるものを護るため、我に無情の力を授け賜え」

 壮絶な爆発音。片面だけの結界が衝撃をすべて吸収する。
 煙は即座に収まる。厨房は半壊したが火事にならずに済んだ。その前で、人の目に見えぬ鬼が人の目に見えぬ炎に焼かれながら倒れていた。

「私のカバンには術がコーティングしてある。それは武器になる」

 そう言って、思玲は鬼達へ歩く。……ワニが興奮しだした。誰よりも早く死の匂いを嗅ぎとりやがった。

「曙と暁。昔は知らぬが、お前らはまともだったぞ。中学生だった私のお()りと番をしてくれたことは……泣き虫だった私をあやしてくれたことも忘れていない」

 でも楊偉天の式神。思玲はくわえた小刀を手にし、横たわる異形へと二度ずつ光を放つ。鬼達の首が胴体から離れ、それぞれが溶けて消えていく。
 振り向くと、宇翔である虎人間はまだしゃがんでいた。怯えた目で思玲を見る。

「なんで僕は虎になったの? 寅年だから? 僕も殺すの?」

 異形は人の死に怯えない。異形の死と、異形を狩る者に恐怖する。

「爺さんか女から聞いてないのか。ならば私も説明しない。早く立て」

 結界を張ることだって身を削る。走る体力はもはやない。思玲は見上げる。一月末近い空と太陽。大燕は飛んでいない。
 ここの玄関を抜けてバイクまで下るだけだろ。あの家まで白い虎人間と二人乗り。宇翔に運転させよう。あの家に帰って、家族と私が懇願すれば、師傅は宇翔を殺さない。

「お爺さんには何かを聞いた。でも……気を失わされたから……覚えていない」
 背後で宇翔の声が覚束なくなっていく。
「……なにか声かけられたけど……それは……ワニを見かけたら……」

 振り返ると、彼は立ちすくんでいた。その獣の眼差しはうつろで、すぐそばの池を見ていた。8メートルほどあるワニが這いでていた。

「思いだした……ワニを見たら戦いなさい。劉昇か王思玲……二人を見たら殺しなさい」

 これは、人を自在に操る傀儡の術だ。宇翔はそれにかかっている。異形になってもまだ残る人の心を、楊偉天め……。

「済まぬ」

 思玲は宇翔である虎人間の腰を扇で叩く。宇翔は「うっ」と座り込む。
 手荒だろうが気を失わせないと私が襲われた。……傀儡祓いの術はまだ掌中にしていない。目が覚めても妖術士の操り人形のままだ。しかし一発でダウンとは弱すぎる――だから傀儡の術をかけたのか。私を苦しませるために。
 楊偉天は齢を重ねるほどに嗜虐になっていく。人の生死も心も弄ぶ。

「タベモノ……タベモノ……」

 異形の声をつぶやきながら、ワニは意識なき虎人間へにじり寄ってくる。
 この人はもう人に戻れない。誰だったのかも知れないし、誰の記憶にも残っていない。そうだとしても消滅させない。二度とあんな思いはしたくない。

「ワニよ、私を見ろ。ずっとうまそうだろ」

 人だったワニが思玲に目を向ける。感情なき爬虫類の眼差し。

「ママ、ミテ……オイシソウ……」
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