文字数 2,904文字

 車道にでるなり横なぐりの雨だ。思玲は眼鏡をあきらめてショルダーにしまう。ビニールの白いレインコートを頭から被る。また駆けだす。

「行く当てがないのならば、ジェーンの家に行きましょう」

 濡れそぼった日向が言う。白猫は感づきやがる。

「それはどこだ?」

 ジェーンが松山(ソンサン)と答える。車を使えば遠くはないが、人の目に見える異形のこいつらを町に連れていけない。

「子どもは旦那が世話しているだろ。心配するな」
「私は三月に離婚しました。アイリスは両親が見ています」
「なおさら心配するな。年は?」
「三歳です」
「お前の年だ」
「……三十二です」

「でもずっと若く見えました。課長は、お前のが老けて見えると言ってました」

 白猫である日向が口を挟む。こいつは私の足に懸命についてきている。夜の異形といえどもしんどいだろうに。

「ちなみに思玲さんはおいくつですか? 女性に年を聞くのはあれですけど、僕はいま猫だし」
「二十三だ」

「なんだ、僕より年下だ――。思玲、そっちはまずいかも」
 白猫の耳が立っていた。「また鬼と犬が来た」

 それは犬でなく、異形であるオニハイエナ(鬼鬣狗)だ。異形への猟犬だ。

「姿を消すぞ」

 思玲はショルダーバッグから扇を取りだし、頭上に輪を描く。姿隠しの結界に包まれる。結界の外を雨がしたたる。それを背負ったまま森へと入る。

「鬼やハイエナ程度ならば、我が結界は、見破れぬ」
 重くて息が切れるのを隠しながら言う。

「つまり私達は見えてないのですね……。日向さんは?」
「奴はおとりだ」

 びしょ濡れの白猫が路上で途方に暮れていた。白虎くずれにも私の結界は見抜けない。白猫がなにかに気づき樹上へと跳ねる。

「来るぞ」

 思玲はジェーンを地面に降ろす。バッグから小刀をだす。

ホワホワホワ
 笑い声のような吠え声。猫一匹だと油断してやがる。魔道士がひそんでいると知らずに。

「ミャーちゃんよ、そこにいるんだろ。俺達はしつこいぜ、あきらめな」

 赤黒い巨躯に黒いぶち模様。オニハイエナが木の下でよだれを垂らす。こいつは後回し。

「グヒヒ、猫だけか? 朱雀くずれさんは死んじまったか?」

 巨大な人影が闇に浮かぶ。腰巻だけの隆々とした肉体が雨で濡れている。頭部の対のツノも。
 もっとそばに来い……。そこだ!

 思玲は無言のまま結界をぬぐい去る。目前の鬼の背中に向けて扇と小刀を交差させる。金色と銀色の光が螺旋を描き鬼に直撃する。前かがみに倒れた鬼へとさらに両手を交差させる。立てつづけに邪を制す光を浴びて鬼が溶けていく。

「今宵、我に護る者多し」
 思玲は扇を返し素早く舞う。「舞いを納めるゆえ、魔を弾く力を与えたまえ」

 次の瞬間、彼女への雨が弾き飛ぶ。かかってきた異形の大型犬も、思玲の首に牙を向けたまま弾かれる。跳ねかえしの結界。

「喰らえ!」

 また結界をぬぐい、扇と小刀を交差させる。オニハイエナはさらに数メートル吹っ飛び、樹木にめりこんだまま溶けていく。

 立てつづけに術を五発か……。思玲は息を荒げながら、脱力しかけた体を鼓舞する。

「禍々しき異形が二体で来ようが、我が白露扇と護刀には勝てない。日向、降りてこい」
 樹上へ声かける。

「二体だけじゃねーよ」非難めいた怯えた声。「あいつら怒りまくっている」

ホワッホワッホワ、ホワッホワッホワ、

 複数のオニハイエナの吠え声が聞こえてきた。
 術の光は使うほどに弱まっていく。思玲は鷲を抱えあげる。

「逃げるぞ!」

 路上にでる。叩きつける雨の中、白猫が横を走る。



 樹上で姿隠しの結界をまとう。匂いが消えたのを察して、オニハイエナどもは周囲から離れようとしない。三体が相手だとだまし討ちも難しい。そのうえ、鬼がもう一体を連れて徘徊している。一際でかい褐色の図体の魔犬。チベットピットブル(藏斗牛)じゃないか。

「奴はなんで紐をつけているんだ?」
「小型犬だろうと、日本では散歩のときはつける」

 思玲のつぶやきに日向が答える。深夜の散歩だと言いたいのか?

「それは危険だからですか?」

 ジェーンが言う。……なるほど。たしかに凶悪な面だ。仲間だろうが噛み殺しそうだ。ジェーンを守りながらだと、こいつは私の手に負えない。連中も師傅と戦わせるために連れてきたのだろう。

「心への声はどの言語でも通じる。お前は中国語だけ使え」

 いらつきを肩に乗せた鷲にぶつける。私一人ならば結界に三日ぐらい引き籠っていられるが、こいつらのタイムリミットはあと数時間だ。

「あいつらは何者だ? なんで僕達を狙う」

 日向が枝の上から問いてくる。……教えておくか。

「ジェーンに四神の資質があったからだ。荒唐無稽と笑えばいいが、お前を朱雀にするためだ。資質なき日向達はその巻き添えだ。四神を生みだすには、生け贄が四人必要だからな。
あの禍々しい式神どもの主は私の老師だった男だ。そいつは齢百に近づくにつれ、おのれの人生にあせりを感じ始めた。そして人を異形に変えて式神としだした。今までは大鴉に変えていた」

 奴らはこの暗闇でもこの暴風雨でも飛ぶ。幸いにも、奴らは老師の用心棒だ。師傅のお相手だ。

「私に資質? そんなもの感じたこともありません」

「生身の者が気づくはずない。だがお前が鷲になったことこそ資質の仕業だろう。今までの朱雀もどきは鶏だった」
 そしていずれも異形どもに食われて消えた。
「本来ならば資質は二十歳を境に(かす)んでいく。三十過ぎの年増になって残るとは、よほどに強い資質だったな」

 レインコートを破り、肩に爪が食いこんだ。その気性も鷲になった理由だな。

「だからジェーンは若く見えたんだ。……なにがあっても人間に戻らないとね。空港に着いてからラインしようと思ったんだ。お礼と、また会いたいですって」
「私はおばさんですよ、思玲が言うようにね。彼女のようにきれいで背も高くないし」

 猫と鷲で恋愛ドラマをやっていろ。
 雨が強まっている。そろそろ動きださないと。隙をついて、結界をまとったまま忍び足で逃げるか。無事に済んでも三日は動けないな。

「ジェーンは朱雀にならなかったのに、何故まだ狙われるのですか?」
 なおも生き延びている白猫が問う。

「再チャレンジするためだ。また四個の玉を光らせて、別の四神獣に導くためだ」

 また異形とするためだ。チキンになって餌として追われるのがましだ。おそらくジェーンは人に戻ってもつけ狙われる。もしくは殺される。もしくは二日が経てば人の心がなくなる。それを阻止するために私は来た。
 思玲は握ったままの護刀を見つめる。この刀から発する術だけで、こいつらは抹殺できる。師傅の言う、忌むべきものどもを。

「ジェーンと日向の人間の姿を見たい」思玲は言う。「そのために私はここにいる」

 師傅も、老師だった肥溜めみたいな野郎も関係ない。そのためだけに私はいる。

「ならば僕はジェーンを守るために台湾に来たんだ」
 泥だらけの白猫は羽根も落ちた鷲だけを見る。「いつか言いたいと夢想した言葉です。どうせ伝えられなかっただろうけど。僕は太って背も低いし」

「でも、今までお会いした日本人のなかで一番優しかった。そして、ここまで私を守ってくれた……」

涙声だろうと、鷲の目から涙は落ちない。
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