十二

文字数 3,624文字

「私だけが向かいましょう。思玲様はここで彼らをお守りください」

 小鬼が魅力的な提言をしてきたが、こいつはずる賢くもある。力及ばず無念でございます……などと言って実は昼寝しているかもしれない。しょせんは異形だ。

「私達は息子さんの奪還に向かう。誰もここから出ないようにしてください」
 ここから出られそうもない巨大すぎる陸ガメに告げる。
「ここには盗人も現れない。あなた方のことを誰も覚えていない。そして、あなた方はいまの記憶を失う。案ずることなく過ごしてください」

「あなたを信じよう。必ずやお礼をする」

 即答かい。この亀というか人は肝が座りすぎて怖いぐらいだ。妻と娘からも全幅の信頼を受けているし、彼こそ家族を守るのに懸命だし。当たり前に思えても、そうでない者がいるのも確かだ。

「では北海道旅行をお願いする」

 私は彼らの記憶から消える。だったら夢想させてくれ。
 感謝されての往復チケットで雪を見にいく。小鬼も連れていこう。なんて言ったっけ……炬燵だ。それがある宿にしよう。そこで赤い林檎を楊枝で食べて、部屋から雪をずっと見よう。

「冗談だ。サヨナラ」

 思玲は家族だった異形達の根城をあとにする。

 ***

 小鬼の特技に、手のひらを向けるだけでエンジンを起動させるなんてのがある。それを利用して、思玲は黒色のヤマハスクーターを拝借する。所有者が怒り悲しむのはわかっている。なので心でたっぷりと謝罪した。
 魔道士だろうと風をうければ手がかじかむ。ヘルメットに染みついた男もの整髪剤が臭い。爆竹の音。獅子舞を乗せたトラックとすれ違う。人の目に見えぬ小鬼がバスケットに座り道案内を始める。

「楊偉天は、まだあの山の中で過ごしているのか?」
 私が青春を過ごした人里離れた地。師傅が術や武闘の鍛錬して過ごした地。

「どこのことでしょう? 奴は居場所をかまえません」
「知らぬならばいい。だかあてはあるのだな?」
「ご察しの通りです。楊偉天は巨大リクガメを見て『嘉南(ティアナン)に飼っているワニと戦わせてみたい。この甲羅が通じるか見てみたい』と言いました。おそらく気が変わり、虎とワニを戦わせるつもりかと」

 すれ違うノーヘルおやじが私に手を振る。朝から酔っ払いめ。

「ワニって、ただのワニか?」
「南で見かけるイリエワニです。……ただし鱗が青色です」
「……なぜにまだ存在している?」

 私達が気づかぬ犠牲者がいた。そいつは青龍の光を浴びてワニになった。四十八時間が過ぎて人の心を失い、楊偉天に飼われている。

「私も今朝がた聞かされましたが先週の話です。楊偉天は生け贄をそこに拉致しました。人でなくなる様を観察したそうです」
「ほかの方々は?」
「鶏と白猫と蛇は人の心が残るうちに、ワニに喰われたそうです」

 これは私の責任だ。師傅の責任だ。私達も老いた妖術士に飼われていた。だから私達は命に替えても老人を倒す義務がある。

「嘉南はここからだとすぐだよな」
「はい。三十分ほどです。そこにあるゴルフ場のオーナーは、楊偉天を信奉しております。改装休業とのことにして、奴に貸しだしております」
「商売にならんな」
「忌むべき者に関われば破滅だけが待ちますゆえ。そこの道を左にお曲がりください」

 小鬼に指図されて、忌むべき私は盗んだバイクを走らせる。春節だろうと冬の畑で働く方々。登り坂になってきた。……そろそろすべきだな。私と小鬼がつながっているのを確信させるわけにはいかない。

「ここから一本道です。あと十分でゴルフ場が見えてきます。その林で済ませましょう」

 小鬼が速度上がらぬバイクからふわりと降りる。思玲はガジュマル群生地の脇へ停める。眼鏡をかけなおし、肩にかけたままのバッグから扇と小刀を取りだす。

「……螺旋ですか?」小鬼の顔色が変わった。
「ただの光でお前を仕留められるはずないだろ。疑われる」
「直撃すれば私は消滅しますが」
「案ずるな。かすめるだけだ。しかもあと十日で新月だから、傷も即座に復活する」
「……御意」

 引きつった顔で浮かぶ小鬼でなく、その1メートル左へ向けて、思玲は白露扇と小刀を交差させる。金色と銀色の光の螺旋が飛びだす。

「ひい」

 避けやがった。今日はすでに一発だしているのに。

「次も逃げたら本気で当てにいく」
「面目ございません」

 再びの螺旋を真横に受けて、小鬼が吹っ飛ぶ。ガジュマルに衝突する。地面にうつ伏せに落ちる。

「……充分だな。これなら一撃で降伏したと思うだろ」
 思玲はひたいを伝いだした汗を拭きながら言う。強い術は体力を奪う。

「仰せのとおりです」
 フードがずり落ちた小鬼が頬から黒い血を垂らしながら、よろよろと籠に乗る。

 バイクは再び農村のアスファルトを進む。集落の広場が見下ろせて、獅子舞が対で踊るのが見えた。音楽は聞こえない。……私はいまから獰猛なワニに屠られる怯えた虎を見るのだろうか。私が老いた妖術士に屠られるだろうか。

 ***

 閉鎖されたゲートからずいぶん歩かされる羽目になる。
 楊偉天は駐車場で待っていた。宙に浮かんでいる。片手に小刀を握り、もう片方の手に傷ついた小鬼のパーカーをぶら下げる私をにらんでいた。……刈り込んだ白髪頭に白シャツのいつものスタイル。もう百歳を過ぎたかな? さらにしぼんだようだけど、マジで怒っていやがる。

「老祖師お赦しください。穴熊などに捕らえられ面目ございません」
 小鬼が演技を始める。

「老師、恭喜發財(ゴンシーファツァイ)紅包(お年玉)はいりません」
 思玲も空に浮かぶ老人をにらみ返す。怯えを見せるな。
「こいつは老師の居場所を吐きませんでしたが、なぜか到着できました」
 小鬼の責任を少しでも減らす必要がある。

「……昇か」

 楊偉天が劉師傅の下の名を口にする。何故に正義の味方が秘密基地に現れられるのか。劉師傅が導いたと納得したようだ。あの人は戦いの匂い――死の匂いを感じとる。飛行機に乗っていようと、地上に禍々しい気配あれば感づき飛び降りるほどにだ。さすがにそれは冗談だが。

「師傅もじきに到着します。私はあなたに捕らえられた人を救うために、先んじてやってきました。……新年早々無益な戦いはすべきでございません。虎になった若者を人にお戻しください。さすれば私も小鬼を成敗することはありません」

 思玲はひたすらにらみ続ける。小鬼は楊偉天の寵愛を受けているらしい。『スマホを買ってもらえるかも』などと言うほどにだ。賢い式神は貴重だから、誰だって傍らに置いておきたいのだろう。私のもう一羽の式神も鳥類だけあって小利口だが、生意気でいい加減だ。

「ひひひ、我が弟子であった王思玲よ。儂が杖を向ければ、お前は苦しみながら死ぬ。それは分かっているか?」
「小鬼も一緒に地の底に連れていきます」
「苦しみも与えずに即座に殺すこともできるぞ」
「それでも小鬼も地の底に連れていく」

 思玲は小鬼の首を4センチほど斬る。悲鳴が駐車場に響く。人の耳には届かない異形の悲鳴。聞こえるのは、ここにいる忌むべき師弟だった二人のみ。

「儂は今日までお前を大目に見てきた。式神に命じれば、いつでも命を奪えたのにな。いつでもだ」
 楊偉天が杖を掲げる。
「いまここで屍にしてやろう」

 即死の術――思玲は小鬼を盾にする。
 それでも楊偉天が杖をおろす。朱色の光がふたつ飛んでくる。速くはない。この距離で私ならば避けられる。

「追尾する光です」小鬼が潜み声で告げる。「扇を」

 思玲は小刀を捨てる。小鬼のフードに隠した白露扇を取りだし即座に、

「我は頼るものなき人々を護るため、この地に現れし」
 扇を振るう。「我が呪われし力を彼らのために使わせ賜れ」

 跳ね返しの結界に包まれる。朱色の光は見えない防壁を削ることなく消滅する。

「老祖師、助けてください! 僕はもちません」

 黒い血を首から流しながら小鬼が結界の外へと叫ぶ。……オーバーに思われるかな。もう一筋傷を作るべきかも。
 小鬼がぎょっとした。私の考えを感じとったな。

「ろ、老祖師! は、はやく逃げましょう。劉昇が向かっています!」

 逃げろ逃げてくれ。私は結界のなかで念じる。小鬼を地面に落とし、踏んづけながら、小刀を拾う。鳥が鳴いている。積もる雪を見たい。
 楊偉天が杖を掲げる。そして降ろす。それだけで私の結界が消える。
 差し違えてやる。
 思玲は白露扇と小刀を交差させる。

 でも楊偉天の老いた体が蜃気楼のごとくなっていく。私の螺旋の光は素通りする。

「……そうじゃったな。愛しい思玲を殺めれば昇が荒れ狂う。真なる青龍の資質を見つける日までは、儂はこいつに手出しせぬ。小鬼よ帰るぞ」

 老人のしゃがれ声だけが聞こえる。

「虎である人はここのどこかにいる。青色のワニもいる。警備で双子の鬼もいる。探してみるがいい。……お前は私を蔑んで見る。だが、お前も同類だろ。人を殺した王思玲よ、お前の罪は消えぬぞ。ひひひ……」

「へへへ、穴熊め、おととい来やがれ」
 足もとから小鬼も消える。「ご武運を、躊躇せ――」
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