三
文字数 1,882文字
「そこのあばら家に隠れましょう。日向さんを待ちましょう」
ジェーンが肩で言う。爪が肩をえぐるほどに食いこんでいるが、文句を言えない。さもないと、こいつは風に飛ばされる。
「真っ先に捜索される」
眼鏡など関係ない暗闇だ。人である思玲の目ではアスファルトを走るが精いっぱいだ。雷が照らしてくれればいいのに。
僕がまたおとりになると言って、日向は結界を飛びだしていった。白猫の面 にふにゃふにゃした笑みを浮かべて。
「あと少しで車を停めてある場所にたどり着く。ヘッドランプはあいつらみたいな下等な異形には武器になる」
鬼には通用する。ハイエナにも。でも異界の闘犬であるチベットピットブルにはどうだろうか?
雷が道の前方を照らす。巨大な人影と犬のシルエットが浮かんだ。
「鬼の旦那がのろすぎでな。俺一匹だったら結界を出たときに噛み殺せていた」
ピットブルが笑う。「ほれ、術のかかった首輪をはずせ」
「老祖師じきじきにご命令いただいたんだぜ。はずさないし、それをはずしたら、お前は鷲も俺も食っちまうだろ。殺すのは思玲だけだ。俺は犯してから食いたいがな」
鬼も思玲へと下種な笑いを浮かべる。
跳ねかえしの結界を車道で張る訳にはいかない。通りすがりの自動車がぶつかり爆発する。
思玲は小刀を振るう。金色の光を受けた鬼がのけぞる。再度振るう。金色の光を猛犬は噛み砕く。
「しっかり捕まっていろ」
ジェーンの爪がさらに食いこむ。……くちばしで髪の毛を噛んでやがる。
思玲は扇で舞いながら林に飛びこむ。
「今宵の我はひたすら人を護るために――くっ」
張りかけの結界ごと彼女を巨大なピットブルが押し倒す。
「食ってやるぜ」
こいつの体長は170センチの思玲と同じぐらいある。不完全な結界だとしても、跳ねかえされない。よだれを垂らしながら、空中を噛み裂こうとする。ジェーンがパニックを起こして、でかい羽根をばたつかせる。顔を往復で叩かれまくる。
「グヒヒ、独り占めするなよ」
鬼が紐を持ちなおす。しっかり掴んでいろ。
結界にひびが入った。思玲は土に横たわったまま両手を交差する。崩壊した結界ごとピットブルが吹っ飛ぶ。鬼が受けとめる。
「チャンプ、気をつけな。俺達でも続けて二発喰らえば消えるぜ。グヒヒヒ」
チャンプだと? 禍々しい犬のくせに洒落た名前じゃないか。思玲はまた両手を交差させる。と見せかけて、転がりながら頭上で扇をまわす。雨中の森に姿を消す。フェイントに引っかかった鬼達が慌てだす。
「無事か?」
しがみついたままのジェーンに小声で聞く。姿隠しをまとって歩くのはきつい。跳ねかえしなどもっての外 だ。
「思玲が転がった際に羽根が折れたかも」
苦悶した声で小さく答える。たしかに左羽根がだらりと落ちている。どうせ飛べないのだから関係ない。人は異形になろうが空を飛べない。
「ハイエナどもがいないのは幸いだな」
姿隠しのかすかな痕跡を、こいつらだけでは追えないだろう。……車までどれくらいだ。森からではたどり着けない。リスクがあろうと車道にでないと。
ハウ、ハウ、ホー
鬼が両手を口にあわせて空へと吠える。……ハイエナどもが遠吠えで答えた。呼びつけたな。
「猫に逃げられただと? 愚図どもを集めても意味ない。紅宝 、俺の首輪をはずせ」
ピットブルが騒ぐ。いまのは会話でもあるのか? さすが異形だ。
「森に逃げた白猫はあんたでも捕まえられないぜ。そしてあんたを放すのは、おっかない人間が現れた時だ」
紅宝と呼ばれた真紅の腰巻の鬼が答える。その脇を思玲はゆっくりと移動する。姿隠しなど、チャンプの牙なら容易に破る。ばれたら晒される。
ピットブルが鼻をひくつかせる。思玲は体を固める。
「でかい声で吠えあうな。木霊が怒りだす」
小鬼が宙を浮かんで現れた。「思玲の車がすぐそこにある。壊して足を奪うぞ」
小鬼を先頭に異形の犬と鬼が去っていく。……幹部クラスでいるのは小鬼だけか。お気に入りの日本製の小さい四駆が廃車になっても、幸運はこちらにある。
ハイエナ達も道を通過していった。さらに時間をおいて思玲は立ちあがる。
「羽根は治ったか?」
「はい? ……痛みは消えています」
それはお前が生身の鳥でなく異形だからだ。
「ならば行くぞ」
思玲は車道にでる。白猫が待ちかまえていた。爆発音が響く。
「トラップだ」
日向へとほくそ笑む。「結界を張れる私が、車をむき出しにしておくものか」
魔道士の仕掛けた術と人の作りし破片を浴びて全滅してくれたらいいが。どうせピットブルは生きのびる。小鬼にしても。
しかし、間違いなく師傅にばれてしまった。
ジェーンが肩で言う。爪が肩をえぐるほどに食いこんでいるが、文句を言えない。さもないと、こいつは風に飛ばされる。
「真っ先に捜索される」
眼鏡など関係ない暗闇だ。人である思玲の目ではアスファルトを走るが精いっぱいだ。雷が照らしてくれればいいのに。
僕がまたおとりになると言って、日向は結界を飛びだしていった。白猫の
「あと少しで車を停めてある場所にたどり着く。ヘッドランプはあいつらみたいな下等な異形には武器になる」
鬼には通用する。ハイエナにも。でも異界の闘犬であるチベットピットブルにはどうだろうか?
雷が道の前方を照らす。巨大な人影と犬のシルエットが浮かんだ。
「鬼の旦那がのろすぎでな。俺一匹だったら結界を出たときに噛み殺せていた」
ピットブルが笑う。「ほれ、術のかかった首輪をはずせ」
「老祖師じきじきにご命令いただいたんだぜ。はずさないし、それをはずしたら、お前は鷲も俺も食っちまうだろ。殺すのは思玲だけだ。俺は犯してから食いたいがな」
鬼も思玲へと下種な笑いを浮かべる。
跳ねかえしの結界を車道で張る訳にはいかない。通りすがりの自動車がぶつかり爆発する。
思玲は小刀を振るう。金色の光を受けた鬼がのけぞる。再度振るう。金色の光を猛犬は噛み砕く。
「しっかり捕まっていろ」
ジェーンの爪がさらに食いこむ。……くちばしで髪の毛を噛んでやがる。
思玲は扇で舞いながら林に飛びこむ。
「今宵の我はひたすら人を護るために――くっ」
張りかけの結界ごと彼女を巨大なピットブルが押し倒す。
「食ってやるぜ」
こいつの体長は170センチの思玲と同じぐらいある。不完全な結界だとしても、跳ねかえされない。よだれを垂らしながら、空中を噛み裂こうとする。ジェーンがパニックを起こして、でかい羽根をばたつかせる。顔を往復で叩かれまくる。
「グヒヒ、独り占めするなよ」
鬼が紐を持ちなおす。しっかり掴んでいろ。
結界にひびが入った。思玲は土に横たわったまま両手を交差する。崩壊した結界ごとピットブルが吹っ飛ぶ。鬼が受けとめる。
「チャンプ、気をつけな。俺達でも続けて二発喰らえば消えるぜ。グヒヒヒ」
チャンプだと? 禍々しい犬のくせに洒落た名前じゃないか。思玲はまた両手を交差させる。と見せかけて、転がりながら頭上で扇をまわす。雨中の森に姿を消す。フェイントに引っかかった鬼達が慌てだす。
「無事か?」
しがみついたままのジェーンに小声で聞く。姿隠しをまとって歩くのはきつい。跳ねかえしなどもっての
「思玲が転がった際に羽根が折れたかも」
苦悶した声で小さく答える。たしかに左羽根がだらりと落ちている。どうせ飛べないのだから関係ない。人は異形になろうが空を飛べない。
「ハイエナどもがいないのは幸いだな」
姿隠しのかすかな痕跡を、こいつらだけでは追えないだろう。……車までどれくらいだ。森からではたどり着けない。リスクがあろうと車道にでないと。
ハウ、ハウ、ホー
鬼が両手を口にあわせて空へと吠える。……ハイエナどもが遠吠えで答えた。呼びつけたな。
「猫に逃げられただと? 愚図どもを集めても意味ない。
ピットブルが騒ぐ。いまのは会話でもあるのか? さすが異形だ。
「森に逃げた白猫はあんたでも捕まえられないぜ。そしてあんたを放すのは、おっかない人間が現れた時だ」
紅宝と呼ばれた真紅の腰巻の鬼が答える。その脇を思玲はゆっくりと移動する。姿隠しなど、チャンプの牙なら容易に破る。ばれたら晒される。
ピットブルが鼻をひくつかせる。思玲は体を固める。
「でかい声で吠えあうな。木霊が怒りだす」
小鬼が宙を浮かんで現れた。「思玲の車がすぐそこにある。壊して足を奪うぞ」
小鬼を先頭に異形の犬と鬼が去っていく。……幹部クラスでいるのは小鬼だけか。お気に入りの日本製の小さい四駆が廃車になっても、幸運はこちらにある。
ハイエナ達も道を通過していった。さらに時間をおいて思玲は立ちあがる。
「羽根は治ったか?」
「はい? ……痛みは消えています」
それはお前が生身の鳥でなく異形だからだ。
「ならば行くぞ」
思玲は車道にでる。白猫が待ちかまえていた。爆発音が響く。
「トラップだ」
日向へとほくそ笑む。「結界を張れる私が、車をむき出しにしておくものか」
魔道士の仕掛けた術と人の作りし破片を浴びて全滅してくれたらいいが。どうせピットブルは生きのびる。小鬼にしても。
しかし、間違いなく師傅にばれてしまった。