五
文字数 1,963文字
「小鬼と出くわした。この箱を置いていった。あいつは、私がこの箱をよほど大事と思っているらしい」
白いシャツに濃紺のデニム。シンプルないでたちが似合うスタイルと顔立ち。師傅が青銅色の箱を投げ捨てる。ふたが開き、四個の玉が現れる。ふたつの玉は黒色と青色に輝いている。残りの玉は透明なまま……。朱雀の玉と白虎の玉。
「ジェーン……逃げよう。また僕の背中に乗って」
白猫は異形よりも無慈悲な存在に感づく。思玲はどちらも強く抱える。師傅へと歩む。
「咎めを受けるのを覚悟しての行動です。ですが、その箱があれば林佳蓉と日向なんとかは人に戻れます」
人であることを強調したいのに、名前をしっかり覚えていない。
「やはり日本人か。どちらにしろ白猫は今ここで人に戻す。そいつらを手放せ」
そしたらジェーンは消滅する。
「えーとですね、さすがは我が師傅というか」
やめろ。媚びた物言いになるな。「高雄 から即座に戻られるとは、平身低頭でございます」
「あそこはさらに大雨だった。もっとも忌むすべき大鴉の片羽根は砕いた。だが老師には逃れられた」
師傅の目が貫く。「小鬼は言ってたぞ。今回は見ず知らずと組み合わせて大失敗だったと。つぎは旧知の者を揃えるとな。あいつらはやり直す」
そんなのは重々分かっている。
「僕達は見ず知らずじゃない! 僕達だけでなく課長と千野さんもお願いします!」
日向が胸もとで絶叫する。こいつはなにも知らない。今回の餌食で、生き延びられるのはお前だけだ。
「それも小鬼から聞いた。だが消滅した魂はもとに戻せぬ。そして、お前は人に戻ればすべて忘れられる。その二人はこの世界にもはや存在しない。その人達が何歳 か知らぬが、すでに子や母親の心にも残っていない」
そして師傅は思玲だけを見つめる。
「その手を離せ!」
一喝される。思玲は二人を抱えてうずくまる。資質ある者を人に戻してはいけない。悪しき心に捉われた老師はあきらめず、いつの日か完全なる異形とされる。忌むべき存在になる前に……。
「前例は作れない。思玲、お前を忌みすべき世界に飲みこまれたものとして扱おう」
「この人に殺気を向けないで! すべては私の資質だかのせいですよね! 思玲と日向さんを巻きこまないでください。……あなたは私を殺そうとしていますね。その目で分かります。きっと鷲である私と同じ目です」
ジェーンが叫ぶ。この人はすべてを悟っている。
「でも私は死にません。娘が待っている限り。あの子から私の記憶が消えるはずない!」
いいぞ、もっと喋れ。師傅の情に訴えかけろと思玲は祈る。だが媚びるな。おのれの命だけは選ぶな。お前が対峙しているのは、台湾はおろか大陸でも比類なき魔道士だ。いかなる異形も瞬時に消される。
「また娘を抱きたいのか? その温もりを感じたいのか?」
「あの子に私の温もりを与えたいに決まっています!」
沈黙が流れる。もっと言葉を継ぎ足せ。
「話の流れが読めないんだけど、この人は……敵?」
白猫は黙っていろ。
師傅が車に目を向ける。剣を輝かせぬまま横に振る。四駆は一回転ちょっと転がりタイヤを下にする。ついで空を見上げる。
「じきにこの道にも人は現れる。王思玲、異形どもを投げ捨てろ」
即座なる最終通告。この方は山の頂を消し去れる。眠る赤子にたかる蠅だけを消し去ることもできる。歯向かえば、私は腕のなかで人の魂を見ることになる。
絶対的正論を胸に秘めた男への憎しみを灯しながら、思玲は手をひろげる。私はここで死ねない。まだまだ異形を倒し、人を救うため――。
開けかけた手を閉じる。二人を抱きしめる。なのに鷲はくちばしを思玲の腕に刺し、猫は爪を立て彼女から抜けでる。
「あなたは味方ですよね? なんで僕達に殺意を……」
師傅の眼光を受けて日向が黙りこむ。
「古屋や千野みたいに、その人を困らせないで!」
ジェーンも固まったままの思玲から飛び降りる。「飛べない鷲が生き延びたのは日向さんのおかげです。……私が死んだら、あなたがあの子を守ってくれますか?」
「もちろんです。僕はアイリスを守る! でもあなたこそ守りたい!」
思玲は師傅を見る。足でふたを箱に戻していた。仕掛けられていただろう罠は消えている。慈悲なき目。
思玲は扇を握りしめる。
「思玲。お前が一番弱い」
師傅が剣を天にかざす。「抗えぬさだめで異形に堕ちた者よ。因果は断たねばならない。お前の悲しみと憎しみは私が引き受ける」
師傅の剣から光が発せられる。思玲の足もとのジェーンへと飛ぶ。白猫が飛びこみ光を受けとめ、二人ともども吹っ飛ばされる。
機会だ!
「資質なき者まで巻き添えにするのですか!」
思玲は血を吐くほどに叫ぶ。「白虎もどきまで消滅します。早くその箱を開けてください。白い光を玉に戻してください!」
朱雀の光もろとも。
白いシャツに濃紺のデニム。シンプルないでたちが似合うスタイルと顔立ち。師傅が青銅色の箱を投げ捨てる。ふたが開き、四個の玉が現れる。ふたつの玉は黒色と青色に輝いている。残りの玉は透明なまま……。朱雀の玉と白虎の玉。
「ジェーン……逃げよう。また僕の背中に乗って」
白猫は異形よりも無慈悲な存在に感づく。思玲はどちらも強く抱える。師傅へと歩む。
「咎めを受けるのを覚悟しての行動です。ですが、その箱があれば林佳蓉と日向なんとかは人に戻れます」
人であることを強調したいのに、名前をしっかり覚えていない。
「やはり日本人か。どちらにしろ白猫は今ここで人に戻す。そいつらを手放せ」
そしたらジェーンは消滅する。
「えーとですね、さすがは我が師傅というか」
やめろ。媚びた物言いになるな。「
「あそこはさらに大雨だった。もっとも忌むすべき大鴉の片羽根は砕いた。だが老師には逃れられた」
師傅の目が貫く。「小鬼は言ってたぞ。今回は見ず知らずと組み合わせて大失敗だったと。つぎは旧知の者を揃えるとな。あいつらはやり直す」
そんなのは重々分かっている。
「僕達は見ず知らずじゃない! 僕達だけでなく課長と千野さんもお願いします!」
日向が胸もとで絶叫する。こいつはなにも知らない。今回の餌食で、生き延びられるのはお前だけだ。
「それも小鬼から聞いた。だが消滅した魂はもとに戻せぬ。そして、お前は人に戻ればすべて忘れられる。その二人はこの世界にもはや存在しない。その人達が
そして師傅は思玲だけを見つめる。
「その手を離せ!」
一喝される。思玲は二人を抱えてうずくまる。資質ある者を人に戻してはいけない。悪しき心に捉われた老師はあきらめず、いつの日か完全なる異形とされる。忌むべき存在になる前に……。
「前例は作れない。思玲、お前を忌みすべき世界に飲みこまれたものとして扱おう」
「この人に殺気を向けないで! すべては私の資質だかのせいですよね! 思玲と日向さんを巻きこまないでください。……あなたは私を殺そうとしていますね。その目で分かります。きっと鷲である私と同じ目です」
ジェーンが叫ぶ。この人はすべてを悟っている。
「でも私は死にません。娘が待っている限り。あの子から私の記憶が消えるはずない!」
いいぞ、もっと喋れ。師傅の情に訴えかけろと思玲は祈る。だが媚びるな。おのれの命だけは選ぶな。お前が対峙しているのは、台湾はおろか大陸でも比類なき魔道士だ。いかなる異形も瞬時に消される。
「また娘を抱きたいのか? その温もりを感じたいのか?」
「あの子に私の温もりを与えたいに決まっています!」
沈黙が流れる。もっと言葉を継ぎ足せ。
「話の流れが読めないんだけど、この人は……敵?」
白猫は黙っていろ。
師傅が車に目を向ける。剣を輝かせぬまま横に振る。四駆は一回転ちょっと転がりタイヤを下にする。ついで空を見上げる。
「じきにこの道にも人は現れる。王思玲、異形どもを投げ捨てろ」
即座なる最終通告。この方は山の頂を消し去れる。眠る赤子にたかる蠅だけを消し去ることもできる。歯向かえば、私は腕のなかで人の魂を見ることになる。
絶対的正論を胸に秘めた男への憎しみを灯しながら、思玲は手をひろげる。私はここで死ねない。まだまだ異形を倒し、人を救うため――。
開けかけた手を閉じる。二人を抱きしめる。なのに鷲はくちばしを思玲の腕に刺し、猫は爪を立て彼女から抜けでる。
「あなたは味方ですよね? なんで僕達に殺意を……」
師傅の眼光を受けて日向が黙りこむ。
「古屋や千野みたいに、その人を困らせないで!」
ジェーンも固まったままの思玲から飛び降りる。「飛べない鷲が生き延びたのは日向さんのおかげです。……私が死んだら、あなたがあの子を守ってくれますか?」
「もちろんです。僕はアイリスを守る! でもあなたこそ守りたい!」
思玲は師傅を見る。足でふたを箱に戻していた。仕掛けられていただろう罠は消えている。慈悲なき目。
思玲は扇を握りしめる。
「思玲。お前が一番弱い」
師傅が剣を天にかざす。「抗えぬさだめで異形に堕ちた者よ。因果は断たねばならない。お前の悲しみと憎しみは私が引き受ける」
師傅の剣から光が発せられる。思玲の足もとのジェーンへと飛ぶ。白猫が飛びこみ光を受けとめ、二人ともども吹っ飛ばされる。
機会だ!
「資質なき者まで巻き添えにするのですか!」
思玲は血を吐くほどに叫ぶ。「白虎もどきまで消滅します。早くその箱を開けてください。白い光を玉に戻してください!」
朱雀の光もろとも。