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 たしかにジェーンはきれいだった。でも私には相応の年齢に見えるが、日本人とは感覚が違うのだろう。
 異形の記憶が残っていない二人を後部座席に乗せて、ランドローバーは山道を下る。

「強盗に拉致されて山で逃げだしたと、記憶は改ざんされた。日本人の荷物は警察に保管されている」
 日本語を理解できる師傅が、二人のやり取りを助手席から教えてくれる。

「今後のことは話していますか?」
 思玲も運転席から心の声を返す。体中が痛い。三日は寝たいが、この方は休ませてくれないだろう。

「日本人が告白したが、完膚なきまでに断られた。なにを言いだすのという感じだったな」

 バックミラーに写る日向に落ち込んだ様子は見えなかった。師傅と並ぶとさすがに残念だが、卑下するほどのスタイルではない。なにより優しそうだ。
 青空が広がっている。吹きかえしは今からだ。

「本当にありがとうございます。でも、路上で二人して寝てしまうとは恥ずかしすぎます」
 朱雀になるべき存在だったジェーンが言う。

 溶けていく白猫を見て、師傅は箱を開けなおした。師傅が剣をかかげると、彼らを異形に(おとし)めていた光は箱に呼び戻された。そして二人は人間に戻った。一昨日着ていた服のままで重なりあうように寝息をたてた。
 ……師傅が鷲へと向けた光は、私が(かたわ)らにいたとしても抑えた術だった。師傅ならば二人を跡形もなく消滅できるのに。ジェーンが子を思う情、日向の愚かな献身が師傅の心に届いたのだろうか。人に戻ったジェーンを、師傅が抹殺できるはずない。

 いなくなった上司のことを、二人は話題にしなかった。おそらく祖国の誰一人覚えていない。
 千野と古屋か。会ったこともないが、私だけは名前を刻んでおこう。



 警察署の駐車場で二人を見送る。関係者として同行を求められたが、承諾だけして行くつもりはない。……師傅がため息をついた。

「行き当たりばったりだと、私より先に死ぬぞ」

 私をにらんでいる。目を向けられない。

「私が高雄で老師と戦っている折に、勝手に生贄達を救おうとしたな。資質ある者を救おうとしたな。……今回だけは咎めない。だが二度とするな」

 軽い叱責だけで済んだ! 思玲は前を向いたままうなずく。

「あの女性の資質は強いが、霞んでいく一方だ。あと数年で消える。お前が老師の式神から彼女を守るのは、その期間だけで済む」

 それにも思玲はうなずきを返す。二十四時間営業のストーカーみたいに彼女に貼りつくことになるが仕方ない。沈黙が流れる。思玲は恐る恐る助手席を覗く。師傅は笑っていた。

「だが、お前には更に働いてもらわないとならない。至急に式神を(こしら)えて、あの人の番をさせよう。私は式神を持たない。だからお前の式神として、お前が責任を持ち指図しろ。……奴らの気配が百五十日途絶えたら、この件は終わったと判断しよう」

 安堵しすぎてハンドルに寄りかかってしまう。……そろそろ出発しないと。

「この二日間の記憶は、あの二人には破片(かけら)さえもないのですよね」
「関わった私にさえないのだからな。記憶に残せるのは思玲だけだ」

 記憶ではない。心に残っているのだ。この感覚だけは、当事者にしか分からないだろうな。私だけが両方の世界に存在する。

「そういえば、市内に入ったときに彼女は日本語で言ったな。お付き合いなんてできないけど、あなたをいつまでも待っています。私はあなたを信頼していますからと。彼女が涙を流したのは、運転席からは見えなかったようだな」
 師傅がドアを開ける。
「記憶がない私に嘘を並べたてることもできた。でも思玲はそれをよしとしなかった」

「これでも嘘だらけかもしれないですよ。もっと凄いことをしでかしたかも」

 思玲の言葉に、劉師傅はかすかに笑いを漏らす。車から降りる。

「たまには私が運転しよう。お前は一眠りして、帰ったらすぐに風呂に入れ。泥だらけだ」
 師傅が彼女と席を交代する。


 動きだした車窓から、思玲はなおも北へと急ぐ雲達を見る。……行き当たりでなにが悪い。私はあなたのように圧倒的な力がない。必要なのは迅速な決断力。それが致命的に誤った判断だとしても、その時まで人を守り続けるだけ……。
 思玲は大きくあくびして目をつむる。師傅がラジオの音を小さくする。


              終
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