きみの物語になりたい

文字数 1,640文字

 なんでかぞくからひきはなされて、ここにつれてこられたんだろう?
 ぼく、わるいこだった? だから、すてられたの?

 そんな事を考えて、えぐえぐ泣いていた僕に、横に座っていた女の子がハンカチを差し出しながら言う。
「だいじょうぶよ。じかんになったらおむかえがくるから」
「うそだよ。ぼくがわるいこだからすてられたんだ」
 一度でも口に出してしまうと、それが本当の事だと思ってしまう。
 だから余計に大声で泣き出してしまった。
 僕の泣き声に、がまんしていた子たちも一斉に泣き出してしまう程に。

「ばかなこといわないで。そんなことないんだから」
 そう言うと女の子は、震える手で僕の頬をハンカチでグイっと拭いた。

 僕たちは、まだたった三歳か誕生日の早い子でも四歳なのに、親から引き離されてしまっていた。

 そうこれが、幼稚園の慣らし保育の第一日目。

 僕こと、相沢拓海と美桂ちゃんとの出会いはこんな風だったんだ。

 末っ子で甘やかされて育った僕は、美桂ちゃんにずっと世話を焼かれていた。
「みかちゃん。どこみてるの?」
 入園して一年経つか経たないかだろうか、美桂ちゃんは僕の世話を焼きながら他の男の子を見ているのに気が付いた。
「ゆうくん。かっこいいねぇ。なんでもひとりでできて」

 その時の君のうっとりしたような顔は、今でも忘れない。

 だから僕は努力した。
 世話を焼こうとする美桂ちゃんの手を払い。逆にお世話をするようになっていった。
 元々の僕は器用でも何でもない。
 だけど、僕は『こんな事なんでも無いんだよ』という顔でがんばった。
 美桂ちゃんが、こんな事で離れないでいてくれるなら、がんばれた。




「ねぇ、拓海くん。なんで、ずっと私の事好きでいてくれたの?」
 結婚して5年くらい経ったある日、美桂ちゃんがふと思いたったように訊いてくる。
 昼下がりのコーヒータイムでリビングのテーブルに向かい合わせて座っていた時の事だった。

 僕は、出会った頃のことをかいつまんで説明していた。
 そして、君の……おそらくは初恋の事にはふれない。

「でも、その流れだと、私がずっとお世話してそうだよね。私、幼稚園の頃から拓海くんにお世話された記憶の方が強いんだけど」
 美桂ちゃんが、不思議そうに訊いてくる。それは、そうだ。
 あの時の美桂ちゃんに気付かなかったら、僕はずっとお世話されていただろう。

「いつだったか……、園庭に犬が迷い込んできたじゃない。今考えるとたいして大きな犬じゃなかったと思うけど、やたら吠えて、みんな逃げまどって」
 僕はもう一つのきっかけになりそうな方を理由にした。
 だって、他の男の事なんか思い出させたくない。

「僕、泣きながら逃げててこけちゃったんだよね。犬がすぐそばまで来てて、怖くて目をつむってたら、ほうきでね、美桂ちゃんがその犬を叩いて追い払ってくれたんだ」
「あったねぇ、そういえば。それが拓海くんだったとは思わなかったけど」
 本当にあの頃の事は記憶に残っていないんだね。
「そのあとも、美桂ちゃんは平然と僕を起こしてスモックに付いた土とか払ってくれてたんだけど、その手がね震えてたんだ。それで……」
「それで?」
 ごめんね。陳腐(ちんぷ)な理由をでっち上げてしまって。
「それからだよ。僕が努力し始めたのは……」
 僕は美桂ちゃんの方に手を伸ばし、サラッと髪にふれた。

 本当にね。
 傍に居られるだけで、僕は幸せだ。
 イヤになる事もあるだろうと、君は言うけど……。
 まぁ、正直な話。ケンカになるくらいにはイヤな時もあるけど、それでも離れたいだなんて思った事すらないよ。

 幼稚園時代のあの時。
 僕は二度とあんな顔で僕以外の男を見て欲しく無いと思ったんだよ。

 美桂ちゃんの、あんな顔を見るくらいなら僕は君を優先して生きるよ。


 これからの人生、君が(つづ)るだろう物語の……。
 僕はきみの物語になりたい。

 それが僕の幸せなのだろうから。
                          おしまい


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