第4話(#13)
文字数 3,356文字
僕とチカさんは電車に乗って平川に向かった。
自転車で行こうとしたけど、チカさんに止められたのだ。今は電車に乗りたくないとか、自転車で飛び出したいとか、そんなことを考えてる猶予はない。
朝からセミの声が森やコンクリートから染み出し、子供たちが駆けていく中、Beegle Mapの案内に従い、僕らはスズミさんの家に向かった。
しばらくしてスマホからBeegle Mapの電子音声が流れた。
【目的地に到着しました】
僕は顔を見上げた。
夏の緑に生い茂る森を背にたたずむ、白い壁に囲まれた長方形の二階建ての家。緑のツルが下から壁を巻き付くように伸びている。一階の窓ガラスが所々割られ、ガラスは散乱していた。見た感じ、つい最近割られたようだ。
家の隣は駐車場になっているようで、つい最近まで車が止められていたのかアスファルトにタイヤ痕がついていた。しかし、そのアスファルトの周りは草が生い茂り、ロクに管理されていないようだ。
そして、玄関のドアの表札。
〈風馬〉
確かに、スズミさんの家だ。
「人、住んでるのかな……」
彼女の家に持った初めての感想が、口から漏れた。少なくとも、僕には人が住んでいない家のように見えた。
チカさんも周りを観察しているようで、目をきょろきょろさせていた。
「……今も使われてるみたいね。とりあえず、呼んでみましょうよ」
「はい」
インターホンを鳴らす。
「こんにちはー!」
マイクに向かって声を出すが、どれだけ待っても返事はなかった。ドアノブを回してみると、パカッとドアが開いた。
「誰か、いるんですかね」
なぜか僕は体の底から寒気を感じ、身震いした。
「入ってみましょうよ」
こくり、と僕は頷くとチカさんとともに中に入っていった。
***
玄関から中に入ると、異様な静けさが広がっていた。
外は晴れていて明るいのに、中は暗く物音ひとつしない。玄関から十メートルほど廊下が続いているが、壁や床もほこりがあちこちに散らばっている。
「ごめんくださーい! スズミさんの友達なんですが、スズミさんいますかー?」
僕はもう一度誰かいないか呼んだ。
しかし、僕が発した声はその静けさに吸い込まれていった。
「やっぱり、外にいるのかなあ」
「でもドアは開いてたよね? まだ寝てるんじゃないかしら」
「だといいんですけど……」
その時、僕とチカさんのスマホが同時に振動しながら、ピンポンと音を立てた。
とっさに僕はスマホの画面を確認する。SENNに通知が来ていた。
スズミ[助けて]
僕はその文字の列に息が止まりそうになった。同時に、心の中でくすぶっていた不安が一気に外に充満した感じがした。
思わず僕の手が動く。
卯花清弥[どうしたの?]
返事を待つ。
スズミ「私、捕まっちゃった」
卯花清弥[まさか、叔父さんに?]
スズミ[うん。研究内容のことで会社の人に呼ばれて]
卯花清弥[それって人魚?]
スズミ[そう。それで海の向こうの島――]
しかし、メッセージは途切れ、SENNの通知は唐突に終わった。
僕は不安になり、メッセージを送る。
卯花清哉[スズミさん? どうしたの?]
しばらく待ってみるが、一向に僕のメッセージに[既読]マークがつかない。
不安と焦りが再び大きくなる。心が破裂しそうなほどに。声には出さないけれど、僕の顔はそう主張していた。
「ダメだわ……繋がらない……」
チカさんは通話を切ると額に右手を当てて、ため息をついていた。
「また何かあったんですかね……」
僕は何かを求めるような顔でチカさんを見た。彼女は不安げな表情でスマホを眺める。
「ねえ、セイヤくんスズミちゃんとやり取りしてたでしょ? なんて言ってたの?」
「確か……」
僕はさっきの内容をチカさんに伝えると、彼女は考え始めた。
「人魚で、島か」
「スズミさんがどこに行ったか分かるんですか?」
「ええ。多分だけど冠島 だと思う。人魚といったらここって島よ」
冠島は八百の沖に浮かぶ直径二キロほどの小さな無人島だ。人魚を祀った小さなお社があるという島だが、神聖な島とされ普通の人は立ち入ることができない。僕も行ったことがない島だ。
「そんなところに」
「でももっと調べないと。絶海の孤島だから、行き方も考えないといけないし」
***
本来勝手に人の家に上がるのは許されない。でも、今は許してほしい。スズミさんを助けるためにも。
そう思いながらも僕とチカさんは中に足を踏み入れた。
家の中は散々な有り様だった。台所は食べ終わったカップヌードルやカップうどんが散乱し、ドアや窓ガラスは割られていた。ガムテープで補強した跡も見える。
廊下も、階段もゴミやほこりがあちこちに散乱していた。壁や床には所々、最近つけられたとみられる赤茶色の染みや、液体が飛び散るように付着していた。
血の臭いが伝わる。
ついさっき、付けられたものだろう……。
僕はぞっと体の芯から震えた。
スズミさんは日常的に暴力を受けていた。火祭りで叔父を見た彼女を思い出すと、胸が締め付けられるようだった。
スズミさんはこんな地獄のような環境で暮らしていたのだ。
二階。階段の向こうに見えるドアに " スズミ "と書かれた札がぶらさがっていた。スズミさんの部屋のようだ。
ゆっくりと部屋を開ける。
しかし、彼女の部屋はこれまでと一転していた。
中は明るく、窓から日の光が差して壁やベッドが白く輝いていた。机や本棚はきれいに整理されている。
アイドルのポスターが貼ってあったり、少女漫画や女の子向けのラノベが本棚に並べられているのを見ると、やっぱり女の子だ。
とはいえ、はじめて見る同級生かつ異性の部屋。下心が見え隠れする。心臓が妙に高鳴っている。
今はそんなこと考えてる場合じゃないだろ……セイヤ。
僕が部屋を観察していると、チカさんが何かに気づいたのか、先に中に入った。
「これ……」
チカさんは床に散乱していた本とノートを見つけた。
「人魚の自由研究のことかな」
「え?」
僕はノートをパラパラとめくるチカさんの隣に立ち、少し背伸びしながらノートを見ようとする。
「あ……やっぱり。スズミちゃん、残ってるのを突き止めてたんだ」
チカさんの発言に僕は反射的に顔を彼女に向ける。
「え、何が残ってたんですか?」
「人魚よ。あなたも箱を開けちゃったときに見たでしょ?」
「はい」
「その人魚が冠島に今でも奉納されてるみたいなの。あたしが調べた文献だと五百年前からあるらしいけど」
「それって、ほんとなんですか?」
チカさんは一つ頷く。
しかし、五百年も前から奉納されてるって……肉は腐らないのだろうか? そんな疑問をチカさんに投げてみると、
「文献によれば大丈夫みたい」
チカさんは話を続けた。
「人魚の肉は不思議な力があるの。その力は人によってはどんな病気でも治せるし、長生きできる薬にもなるの。実際、中国から肉を求めて八百に使いを派遣した皇帝もいるそうよ」
「そうなんですか」
「ただ、逆に食べられない人もいる。昔、八百の近くにあった村では飢饉で食糧難になった。村人たちは偶然流れ着いた人魚をさばいて飢えをしのごうとしたら、たちまち村人は死んでいった……。中には人魚を見ただけで苦しんでいた人もいたそうなの」
その話を聞いて、僕は数日前うっかり箱を開けてしまったときのことを思い出した。スズミさんは苦しみ、僕は苦しまなかった。
まさか、僕は――。
なぜか身体がガタガタと音を立てて震え始めた。
「でも、スズミちゃんの叔父さんも人魚目当てで彼女を連れ出した。なら、叔父さんの目的は――」
僕の震えは、チカさんの声に止められた。
「セイヤくん。とりあえず助けに行こう」
「え、でもどうやって行くんですか?」
きょとんとした顔でチカさんを見る。彼女は人差し指を立てた。
「ここはあたしに任せて?」
自転車で行こうとしたけど、チカさんに止められたのだ。今は電車に乗りたくないとか、自転車で飛び出したいとか、そんなことを考えてる猶予はない。
朝からセミの声が森やコンクリートから染み出し、子供たちが駆けていく中、Beegle Mapの案内に従い、僕らはスズミさんの家に向かった。
しばらくしてスマホからBeegle Mapの電子音声が流れた。
【目的地に到着しました】
僕は顔を見上げた。
夏の緑に生い茂る森を背にたたずむ、白い壁に囲まれた長方形の二階建ての家。緑のツルが下から壁を巻き付くように伸びている。一階の窓ガラスが所々割られ、ガラスは散乱していた。見た感じ、つい最近割られたようだ。
家の隣は駐車場になっているようで、つい最近まで車が止められていたのかアスファルトにタイヤ痕がついていた。しかし、そのアスファルトの周りは草が生い茂り、ロクに管理されていないようだ。
そして、玄関のドアの表札。
〈風馬〉
確かに、スズミさんの家だ。
「人、住んでるのかな……」
彼女の家に持った初めての感想が、口から漏れた。少なくとも、僕には人が住んでいない家のように見えた。
チカさんも周りを観察しているようで、目をきょろきょろさせていた。
「……今も使われてるみたいね。とりあえず、呼んでみましょうよ」
「はい」
インターホンを鳴らす。
「こんにちはー!」
マイクに向かって声を出すが、どれだけ待っても返事はなかった。ドアノブを回してみると、パカッとドアが開いた。
「誰か、いるんですかね」
なぜか僕は体の底から寒気を感じ、身震いした。
「入ってみましょうよ」
こくり、と僕は頷くとチカさんとともに中に入っていった。
***
玄関から中に入ると、異様な静けさが広がっていた。
外は晴れていて明るいのに、中は暗く物音ひとつしない。玄関から十メートルほど廊下が続いているが、壁や床もほこりがあちこちに散らばっている。
「ごめんくださーい! スズミさんの友達なんですが、スズミさんいますかー?」
僕はもう一度誰かいないか呼んだ。
しかし、僕が発した声はその静けさに吸い込まれていった。
「やっぱり、外にいるのかなあ」
「でもドアは開いてたよね? まだ寝てるんじゃないかしら」
「だといいんですけど……」
その時、僕とチカさんのスマホが同時に振動しながら、ピンポンと音を立てた。
とっさに僕はスマホの画面を確認する。SENNに通知が来ていた。
スズミ[助けて]
僕はその文字の列に息が止まりそうになった。同時に、心の中でくすぶっていた不安が一気に外に充満した感じがした。
思わず僕の手が動く。
卯花清弥[どうしたの?]
返事を待つ。
スズミ「私、捕まっちゃった」
卯花清弥[まさか、叔父さんに?]
スズミ[うん。研究内容のことで会社の人に呼ばれて]
卯花清弥[それって人魚?]
スズミ[そう。それで海の向こうの島――]
しかし、メッセージは途切れ、SENNの通知は唐突に終わった。
僕は不安になり、メッセージを送る。
卯花清哉[スズミさん? どうしたの?]
しばらく待ってみるが、一向に僕のメッセージに[既読]マークがつかない。
不安と焦りが再び大きくなる。心が破裂しそうなほどに。声には出さないけれど、僕の顔はそう主張していた。
「ダメだわ……繋がらない……」
チカさんは通話を切ると額に右手を当てて、ため息をついていた。
「また何かあったんですかね……」
僕は何かを求めるような顔でチカさんを見た。彼女は不安げな表情でスマホを眺める。
「ねえ、セイヤくんスズミちゃんとやり取りしてたでしょ? なんて言ってたの?」
「確か……」
僕はさっきの内容をチカさんに伝えると、彼女は考え始めた。
「人魚で、島か」
「スズミさんがどこに行ったか分かるんですか?」
「ええ。多分だけど
冠島は八百の沖に浮かぶ直径二キロほどの小さな無人島だ。人魚を祀った小さなお社があるという島だが、神聖な島とされ普通の人は立ち入ることができない。僕も行ったことがない島だ。
「そんなところに」
「でももっと調べないと。絶海の孤島だから、行き方も考えないといけないし」
***
本来勝手に人の家に上がるのは許されない。でも、今は許してほしい。スズミさんを助けるためにも。
そう思いながらも僕とチカさんは中に足を踏み入れた。
家の中は散々な有り様だった。台所は食べ終わったカップヌードルやカップうどんが散乱し、ドアや窓ガラスは割られていた。ガムテープで補強した跡も見える。
廊下も、階段もゴミやほこりがあちこちに散乱していた。壁や床には所々、最近つけられたとみられる赤茶色の染みや、液体が飛び散るように付着していた。
血の臭いが伝わる。
ついさっき、付けられたものだろう……。
僕はぞっと体の芯から震えた。
スズミさんは日常的に暴力を受けていた。火祭りで叔父を見た彼女を思い出すと、胸が締め付けられるようだった。
スズミさんはこんな地獄のような環境で暮らしていたのだ。
二階。階段の向こうに見えるドアに " スズミ "と書かれた札がぶらさがっていた。スズミさんの部屋のようだ。
ゆっくりと部屋を開ける。
しかし、彼女の部屋はこれまでと一転していた。
中は明るく、窓から日の光が差して壁やベッドが白く輝いていた。机や本棚はきれいに整理されている。
アイドルのポスターが貼ってあったり、少女漫画や女の子向けのラノベが本棚に並べられているのを見ると、やっぱり女の子だ。
とはいえ、はじめて見る同級生かつ異性の部屋。下心が見え隠れする。心臓が妙に高鳴っている。
今はそんなこと考えてる場合じゃないだろ……セイヤ。
僕が部屋を観察していると、チカさんが何かに気づいたのか、先に中に入った。
「これ……」
チカさんは床に散乱していた本とノートを見つけた。
「人魚の自由研究のことかな」
「え?」
僕はノートをパラパラとめくるチカさんの隣に立ち、少し背伸びしながらノートを見ようとする。
「あ……やっぱり。スズミちゃん、残ってるのを突き止めてたんだ」
チカさんの発言に僕は反射的に顔を彼女に向ける。
「え、何が残ってたんですか?」
「人魚よ。あなたも箱を開けちゃったときに見たでしょ?」
「はい」
「その人魚が冠島に今でも奉納されてるみたいなの。あたしが調べた文献だと五百年前からあるらしいけど」
「それって、ほんとなんですか?」
チカさんは一つ頷く。
しかし、五百年も前から奉納されてるって……肉は腐らないのだろうか? そんな疑問をチカさんに投げてみると、
「文献によれば大丈夫みたい」
チカさんは話を続けた。
「人魚の肉は不思議な力があるの。その力は人によってはどんな病気でも治せるし、長生きできる薬にもなるの。実際、中国から肉を求めて八百に使いを派遣した皇帝もいるそうよ」
「そうなんですか」
「ただ、逆に食べられない人もいる。昔、八百の近くにあった村では飢饉で食糧難になった。村人たちは偶然流れ着いた人魚をさばいて飢えをしのごうとしたら、たちまち村人は死んでいった……。中には人魚を見ただけで苦しんでいた人もいたそうなの」
その話を聞いて、僕は数日前うっかり箱を開けてしまったときのことを思い出した。スズミさんは苦しみ、僕は苦しまなかった。
まさか、僕は――。
なぜか身体がガタガタと音を立てて震え始めた。
「でも、スズミちゃんの叔父さんも人魚目当てで彼女を連れ出した。なら、叔父さんの目的は――」
僕の震えは、チカさんの声に止められた。
「セイヤくん。とりあえず助けに行こう」
「え、でもどうやって行くんですか?」
きょとんとした顔でチカさんを見る。彼女は人差し指を立てた。
「ここはあたしに任せて?」