第3話(#12)
文字数 3,555文字
卯花清哉[スズミさん、大丈夫?]
僕は心配でならなかった。あの男、保さんを見てからのスズミさん――自分の生命に危機を感じたかのような怯え方だった。
火祭りが終わる前に僕は急いで家路についた。電車の中ですぐにスズミさんにSENNを送った。
一分でも早く、返事が欲しい……。
しかし、一向に彼女からの返事は来ない。それどころか[卯花清哉]の下に[既読]のサインも付かない。
不安は、なぜか焦りに変わっていく。ベッドの中でも焦りが落ち着くことはなかった。
眠れない夜はただただ更けていくだけだった。
***
翌朝。日曜日だけど、僕はいつも通り目が覚めた。
ふとスマホを開いて、昨日と変わったところはないか、確認してみる。
相変わらず[既読]表示はされていない。
ため息をついて、同時にベッドに仰向けになった。さわやかな朝の日差しが降り注いでも、僕の気持ちはちっとも晴れない。
スズミさん、どうしたんだろうか……。
ぼーっとして一時間。下でお母さんの声がした。
「セイヤ! ご飯よ!」
「はーい」
気の抜けたような返事をするが、一応僕の朝は始まった。
すでにお父さんは仕事に行ったらしく、お母さんもスーツ姿なのを見ると、もう出かける時間らしい。
お腹は空いているはずだが、箸を手に取り食べようとしても、つっかえて喉を通らない。昨日のスズミさんの様子が頭から喉を押さえつけているようだ。
お母さんは不安そうに僕を見ていた。
「セイヤ、元気なさそうだけどどうかしたの? またいじめられたの?」
「……いや、いじめじゃないよ。もっと別の理由」
「何なの?」
「……」
僕は俯いて黙った。話せることじゃない。相手の家族のことだから、お母さんは口出しするなというだろう。
「まあ、僕には関係ない話」
「は?」
「スズミさんの家族の問題だから」
「……そうなの。無理に心に抱え込んじゃだめよ」
僕は一つ頷くとお茶を口にした。それを見てお母さんは心配そうな様子で仕事に向かった。
無理やりご飯をお腹に押し込むと、念のため僕はもう一度SENNを確認した。
やはりスズミさんからの返事は来ていない。
「まだ寝てるのかな……」
そんな希望的観測が自然に口から漏れた。
希望的、といっても一番ましな想定である。
僕はスズミさんご起きていることを願って電話をかけた。今の時間帯なら大丈夫なはずだ。SENNを交換したときに電話番号も登録してあった。
通話音が耳に響く。
そして、
【おかけになった電話番号は、現在電源が入っていないか――】
そんな……。
偶然かもしれないけど、僕の脳内に嫌な予感しか湧いてこない。叔父から理不尽で心がズタズタになるような仕打ちを受けているんだ……。
いじめに苦しめられた人間として、僕は無関心でいられなかった。
僕はもう一度既読にならないSENNを見る。
いつまでも心配するわけにはいかない。行こう、スズミさんのところへ。
***
僕はすぐに電話帳でスズミさんの電話番号を調べた。平川地区で「風馬」姓を探し、住所をスマホのアプリ、『Beegle Map』で検索して図示する。幸い風馬姓は一件しかなく、家もすぐにヒットした。
自転車で家を飛び出した。スズミさんの家に一秒でも早く辿り着くために。
しかし卯花神社の前を通った時だった。
「セイヤくん! どこ行くの!」
いきなり大声で呼び止められた。同時に両手に力が入り、自転車が急停止した。
振り向くと、チカさんが腕を組んで立っていた。しかし、彼女は眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな顔をしていた。
「チカさん……どうしてここに」
「セイヤくんに話があって来たの。単刀直入に聞くけど、あなた箱開けたでしょ」
「えっ」
僕は目を見開いた。頭の中が真っ白になり、さっきまでの決意も白紙になってしまった。
「あ、開けてないですよ……」
「スズミちゃんから聞いたわ。どうして開けたの?」
チカさんは僕を見透かしているようだ。しかし、僕は発言を理解できず、頭の中が嵐のように混乱していた。
スズミさんが? チカさん、彼女と会ったのか?
「その……」
「"その" じゃない! 開けちゃダメってあれだけ言ったのに!」
「……」
「スズミちゃんが死んだら、どうするつもりだったの!?」
ものすごい剣幕を立てて、チカさんは僕を責め立てた。
いつもと全く違うチカさんを前に、僕は立ちすくんで動けなかった。額から冷や汗がにじみ出る。心臓の鼓動も早くなる。
チカさんは明らかに僕を睨みつけている。
僕は声が出せない。チカさんに顔を向けられない。
僕とチカさんの間に、ピリピリした不穏な空気が流れた。その空気は心に大きくのしかかり、僕を押し潰そうとする。
もう耐えられない。正直に話すしかない。
「ごめん、なさい……。軽はずみで開けてしまいました……」
下を向いた僕の口から声が漏れた。そして、僕がやらかした事の重大さを改めて認識した。チカさんが怒るのは予想できたはずだ。なのに、僕は……。
しばらくチカさんは何も声に出さなかったが、ため息をつく。
「……まあ、やっちゃったことは仕方ないよね。それにスズミちゃんも反省してたみたいだし。顔を上げて?」
沈黙の後に放たれたチカさんの言葉は、少し優しくなっていた。顔を上げると、そこにあるのは、やれやれと両手を上げたチカさんの姿だった。
「でもよかった。あなたやスズミちゃんを見る限り、本当にビクニさまが守ってくれたみたいだね」
「ま、まあ……」
「でもあの箱はもう絶対開けちゃダメ。わかった?」
「はい」
僕は頭の後ろを掻いて、申し訳なく思った。
でも、同時に脳内で懺悔と同居していた疑問が浮上してきた。チカさん、いつスズミさんと会ったんだ? 僕は箱を開けたことを口外していない。
「その、スズミさんはどこにいたんですか?」
「図書館よ。昨日スズミちゃんから呼び出されたの」
「そんな」
チカさんによれば昨日の昼、僕らが平川火まつりに行く前に、スズミさんはチカさんと会っていたらしい。そこで箱の中に入っていた人魚について聞かれたという。なぜスズミさんが苦しみ出したのに、僕は平気だったのか。なぜ、僕だけにプレゼントを渡したのか。
それらは、僕自身も知りたかったことだ。だけど、それ以上に知りたい謎が生まれてしまった。
スズミさんはどうして勝手にチカさんを呼び出したのか。
彼女はこの前電話で「今度会ったら聞いてみる」と言っていた。しかし、彼女は勝手にチカさんを呼び出していたのだ。
知りたいことが多くて、訳がわからなくなっている。
だけど、チカさんは話を続けた。
「まあ、スズミちゃんが知るべきことじゃないって教えなかったんだけど」
「なんで、ですか?」
意外過ぎるチカさんの発言に僕は口をぽっかり開けたままだった。
「スズミちゃん、知ったらきっと悲しむだろうからね……。人によっては知るべき事実と知ってはいけない事実があるのよ」
「はあ……」
意味が解らなかった。チカさんいわく、箱の中の人魚は彼女が知ってはいけないことらしい……。
「もちろん、セイヤくんもね」
「僕もですか?」
「多分、ビクニさまも悲しむと思うから」
チカさんは夏の空を見上げた。
今日も青く澄んで晴れているが、チカさんは物憂げな様子で空を眺めていた。
ふと、僕に昨日夕方駅で待ち合わせていたもやもやしたスズミさんの姿が浮かび上がった。
たぶん、スズミさんは怒られたことと、チカさんに回答を断られたことを釈然と思っていなかったんだろう。
しかし、なぜスズミさんはチカさんを呼び出したんだろう。彼女は彼女なりに人魚伝説に迫っていたけど、何か思うところがあったのだろうか。
どちらにしても、スズミさんに聞かないとわからない。彼女が無事ならいいんだけど……。
僕は自転車のハンドルを握った。
「じゃあ、チカさん。僕はこれで」
「どこ行くの?」
「スズミさんのところです。昨日平川でお祭りがあったんですけど……」
その際、叔父さんに連れて帰られたこと、それ以降スズミさんから連絡がないことを話した。
「家庭の事情だから、あんまりかかわるべきことじゃないと思うんですけど、心配で……」
「でも、スズミちゃんってその人から暴力を受けてたんでしょ?」
「はい……」
「それならあたしも行く。あたしだって、スズミちゃんの友達なんだから」
僕は心配でならなかった。あの男、保さんを見てからのスズミさん――自分の生命に危機を感じたかのような怯え方だった。
火祭りが終わる前に僕は急いで家路についた。電車の中ですぐにスズミさんにSENNを送った。
一分でも早く、返事が欲しい……。
しかし、一向に彼女からの返事は来ない。それどころか[卯花清哉]の下に[既読]のサインも付かない。
不安は、なぜか焦りに変わっていく。ベッドの中でも焦りが落ち着くことはなかった。
眠れない夜はただただ更けていくだけだった。
***
翌朝。日曜日だけど、僕はいつも通り目が覚めた。
ふとスマホを開いて、昨日と変わったところはないか、確認してみる。
相変わらず[既読]表示はされていない。
ため息をついて、同時にベッドに仰向けになった。さわやかな朝の日差しが降り注いでも、僕の気持ちはちっとも晴れない。
スズミさん、どうしたんだろうか……。
ぼーっとして一時間。下でお母さんの声がした。
「セイヤ! ご飯よ!」
「はーい」
気の抜けたような返事をするが、一応僕の朝は始まった。
すでにお父さんは仕事に行ったらしく、お母さんもスーツ姿なのを見ると、もう出かける時間らしい。
お腹は空いているはずだが、箸を手に取り食べようとしても、つっかえて喉を通らない。昨日のスズミさんの様子が頭から喉を押さえつけているようだ。
お母さんは不安そうに僕を見ていた。
「セイヤ、元気なさそうだけどどうかしたの? またいじめられたの?」
「……いや、いじめじゃないよ。もっと別の理由」
「何なの?」
「……」
僕は俯いて黙った。話せることじゃない。相手の家族のことだから、お母さんは口出しするなというだろう。
「まあ、僕には関係ない話」
「は?」
「スズミさんの家族の問題だから」
「……そうなの。無理に心に抱え込んじゃだめよ」
僕は一つ頷くとお茶を口にした。それを見てお母さんは心配そうな様子で仕事に向かった。
無理やりご飯をお腹に押し込むと、念のため僕はもう一度SENNを確認した。
やはりスズミさんからの返事は来ていない。
「まだ寝てるのかな……」
そんな希望的観測が自然に口から漏れた。
希望的、といっても一番ましな想定である。
僕はスズミさんご起きていることを願って電話をかけた。今の時間帯なら大丈夫なはずだ。SENNを交換したときに電話番号も登録してあった。
通話音が耳に響く。
そして、
【おかけになった電話番号は、現在電源が入っていないか――】
そんな……。
偶然かもしれないけど、僕の脳内に嫌な予感しか湧いてこない。叔父から理不尽で心がズタズタになるような仕打ちを受けているんだ……。
いじめに苦しめられた人間として、僕は無関心でいられなかった。
僕はもう一度既読にならないSENNを見る。
いつまでも心配するわけにはいかない。行こう、スズミさんのところへ。
***
僕はすぐに電話帳でスズミさんの電話番号を調べた。平川地区で「風馬」姓を探し、住所をスマホのアプリ、『Beegle Map』で検索して図示する。幸い風馬姓は一件しかなく、家もすぐにヒットした。
自転車で家を飛び出した。スズミさんの家に一秒でも早く辿り着くために。
しかし卯花神社の前を通った時だった。
「セイヤくん! どこ行くの!」
いきなり大声で呼び止められた。同時に両手に力が入り、自転車が急停止した。
振り向くと、チカさんが腕を組んで立っていた。しかし、彼女は眉間にしわを寄せて、不機嫌そうな顔をしていた。
「チカさん……どうしてここに」
「セイヤくんに話があって来たの。単刀直入に聞くけど、あなた箱開けたでしょ」
「えっ」
僕は目を見開いた。頭の中が真っ白になり、さっきまでの決意も白紙になってしまった。
「あ、開けてないですよ……」
「スズミちゃんから聞いたわ。どうして開けたの?」
チカさんは僕を見透かしているようだ。しかし、僕は発言を理解できず、頭の中が嵐のように混乱していた。
スズミさんが? チカさん、彼女と会ったのか?
「その……」
「"その" じゃない! 開けちゃダメってあれだけ言ったのに!」
「……」
「スズミちゃんが死んだら、どうするつもりだったの!?」
ものすごい剣幕を立てて、チカさんは僕を責め立てた。
いつもと全く違うチカさんを前に、僕は立ちすくんで動けなかった。額から冷や汗がにじみ出る。心臓の鼓動も早くなる。
チカさんは明らかに僕を睨みつけている。
僕は声が出せない。チカさんに顔を向けられない。
僕とチカさんの間に、ピリピリした不穏な空気が流れた。その空気は心に大きくのしかかり、僕を押し潰そうとする。
もう耐えられない。正直に話すしかない。
「ごめん、なさい……。軽はずみで開けてしまいました……」
下を向いた僕の口から声が漏れた。そして、僕がやらかした事の重大さを改めて認識した。チカさんが怒るのは予想できたはずだ。なのに、僕は……。
しばらくチカさんは何も声に出さなかったが、ため息をつく。
「……まあ、やっちゃったことは仕方ないよね。それにスズミちゃんも反省してたみたいだし。顔を上げて?」
沈黙の後に放たれたチカさんの言葉は、少し優しくなっていた。顔を上げると、そこにあるのは、やれやれと両手を上げたチカさんの姿だった。
「でもよかった。あなたやスズミちゃんを見る限り、本当にビクニさまが守ってくれたみたいだね」
「ま、まあ……」
「でもあの箱はもう絶対開けちゃダメ。わかった?」
「はい」
僕は頭の後ろを掻いて、申し訳なく思った。
でも、同時に脳内で懺悔と同居していた疑問が浮上してきた。チカさん、いつスズミさんと会ったんだ? 僕は箱を開けたことを口外していない。
「その、スズミさんはどこにいたんですか?」
「図書館よ。昨日スズミちゃんから呼び出されたの」
「そんな」
チカさんによれば昨日の昼、僕らが平川火まつりに行く前に、スズミさんはチカさんと会っていたらしい。そこで箱の中に入っていた人魚について聞かれたという。なぜスズミさんが苦しみ出したのに、僕は平気だったのか。なぜ、僕だけにプレゼントを渡したのか。
それらは、僕自身も知りたかったことだ。だけど、それ以上に知りたい謎が生まれてしまった。
スズミさんはどうして勝手にチカさんを呼び出したのか。
彼女はこの前電話で「今度会ったら聞いてみる」と言っていた。しかし、彼女は勝手にチカさんを呼び出していたのだ。
知りたいことが多くて、訳がわからなくなっている。
だけど、チカさんは話を続けた。
「まあ、スズミちゃんが知るべきことじゃないって教えなかったんだけど」
「なんで、ですか?」
意外過ぎるチカさんの発言に僕は口をぽっかり開けたままだった。
「スズミちゃん、知ったらきっと悲しむだろうからね……。人によっては知るべき事実と知ってはいけない事実があるのよ」
「はあ……」
意味が解らなかった。チカさんいわく、箱の中の人魚は彼女が知ってはいけないことらしい……。
「もちろん、セイヤくんもね」
「僕もですか?」
「多分、ビクニさまも悲しむと思うから」
チカさんは夏の空を見上げた。
今日も青く澄んで晴れているが、チカさんは物憂げな様子で空を眺めていた。
ふと、僕に昨日夕方駅で待ち合わせていたもやもやしたスズミさんの姿が浮かび上がった。
たぶん、スズミさんは怒られたことと、チカさんに回答を断られたことを釈然と思っていなかったんだろう。
しかし、なぜスズミさんはチカさんを呼び出したんだろう。彼女は彼女なりに人魚伝説に迫っていたけど、何か思うところがあったのだろうか。
どちらにしても、スズミさんに聞かないとわからない。彼女が無事ならいいんだけど……。
僕は自転車のハンドルを握った。
「じゃあ、チカさん。僕はこれで」
「どこ行くの?」
「スズミさんのところです。昨日平川でお祭りがあったんですけど……」
その際、叔父さんに連れて帰られたこと、それ以降スズミさんから連絡がないことを話した。
「家庭の事情だから、あんまりかかわるべきことじゃないと思うんですけど、心配で……」
「でも、スズミちゃんってその人から暴力を受けてたんでしょ?」
「はい……」
「それならあたしも行く。あたしだって、スズミちゃんの友達なんだから」