第13話:斉藤は、料理も上手と大腸癌だって?!

文字数 1,723文字

 一路、三島の立山の家に戻り、最初に8合の御飯を炊き始めた。次に、立山泉さんと、斉藤正子さんと料理好きの仲間の池田政夫さんが塩焼き、煮付け、刺身を手分けして作ってくれた。そのため豪華な夕食を食べることができた。大きなワラサを塩焼きと刺身にして大皿に盛りつけ、イサキ、メジナ、アオリイカ、アジも刺身、アジの塩焼きをつくり30分位して御飯が炊けた。

 多くの料理ができて、運転手以外は、ビールで乾杯して、今日の釣りの雑談をして、盛り上がりながら大量の刺身をほおばり、塩焼き、煮付けも楽しんだ。斉藤正子さんの包丁さばきは、上手で手早く食ベながら話をして楽しそうにしていた。3時間程、宴会を楽しんで19時にお開きになり、手分けして、皿洗いをして、次回は11月中に行こうと言う話になった。

 それぞれが、家路について丁度、伊豆の国、伊豆長岡に住む。釣り仲間の池田政夫さんが、斉藤正子さんを送りますと言ってくれたので、お願いした。11月の釣りは、11月12日と決まり、斉藤正子さんに朝4時半に迎えに行くと連絡した。南伊豆町に6時に着き、釣り始めるとアジが多く釣れて8時過ぎに大きなヒラメが釣れて意気が上がった。

 続いて、大きなを3人が釣り上げ、今日はワラサが大量で、づけ丼を作ろうと言った。アオリイカ、マダイが2匹釣れ、太刀魚も2匹、メジナも数匹釣れた。昼食後、14時、釣りを終えて、三島の立山家へ直行し、醤油とみりんを半々入れ、煮きってから冷まして、ゆず胡椒をいれた。煮汁が冷めてからワラサの刺身を漬けて、今晩食べるように用意した。

 手で少しもむと漬けが早くなり、1時間ほどでうまくなるので、御飯と共に食べた。また、つけ込んだワラサを発泡スチロールの大皿に入れて、持ち帰ってもらった。今日は6本も大きなワラサが釣れたので、全員に持ち帰ってもらえる量のワラサの漬けができて、皆、大喜びだった。その他、メジナ、アオリイカ、マダイの刺身、鯵の塩焼きで今晩もビールを飲んだ。

 今日の釣りの話をして大いに盛り上がり、19時にお開きになり今晩も釣り仲間の池田政夫さんに斉藤正子さんを送ってもらった。12月18日も釣りを計画していたが、17日から大荒れの天気となって、波が高く釣りができる状態にないので、急遽中止となった。その後、2006年が空けて、1月6日に釣りに出かけることしなった。

 この日も、斉藤正子さんを4時半に迎えに行き、5時半に港に着き、釣りを始めるとメジナが多く釣れ、大きいヒラメが3匹、カワハギが4匹、ヤリイカが釣れた。そうして、午後2時に釣りを終えて、今日も三島の立山家へ行き、大きなヒラメの内臓を取り出し、煮付けにしたが、何せ大きいので28cmのフラパンを使って数回に分けて煮付けにした。

 ヤリイカは小型が多かったので、バター焼きにして食べた。カワハギの刺身は、斉藤正子さんが上手で綺麗に薄く切ってくれ、すりつぶした肝を醤油に溶いて刺身を食べると最高の味であった。料理が終わり、御飯が炊けて、新年回を兼ねた宴会が始まり、今年の抱負や、釣りたい魚などを話し、うまい刺身を食べながら、盛り上がっていった。

 今年も毎月のペースで釣りに行く事を誓い合って新年会を終了。2006年、1月18日、斉藤正子さんが急に腹痛を訴え、救急車で聖霊沼津病院に運ばれたの連絡が入った。そこで、すぐに、立山哲男と奥さんが病院に駆けつけた。病院に駆けつけると、ご親戚の方ですかと看護婦さんに聞かれ知り合いですと言われ、肉親か親戚の方はいませんかと聞くので知らないと話した。

 ご本人も近所の親しい親戚や肉親はいなくて子供達は全員海外で、久しく帰って来てなくて連絡も取ってないと言っているので困っているのですと伝えた。すると、もし良かったら伺いましょうかと言うと、じゃーお願いしますと言われた。後ほど、先生が来られますので、詳しい事を聞いて下さいと言われ了解した。

 しばらく、待っていると、消化器内科の先生が来られた。そして、斉藤正子さんは大腸癌で進行していて、余命半年、長くても1年と言われ外科手術しても厳しいかも知れないので、手術するかどうか近いうちに外科と協議すると知らされた。
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