第1話:漁師の子の生い立ちと株投資の知識

文字数 1,647文字

 1953年12月4日、立山哲男が横浜市金沢区に漁師の家に生まれた。立山家は、近くの山田建男という漁師の大将の手伝いをする雇われ漁師。両親、父、立山謙、母、立山仁美と1人息子の立山哲男の5人家族で質素な暮らした。父の安い給料で、アサリ、バカ貝を捕ったり、売り物にならない小鯵や小魚ばかりをもらい山菜を採り天ぷらにし食事をするという毎日。

 幼稚園、保育園にもいけず、母が家でひらがなで自分の名前や算数を教えていた。しかし数字が、好きな性格で、計算が、速く、小学校に入っても算数じゃ、同学年でも誰よりも成績が良い。特に計算の速さには、先生も驚いていた。中学に入ると近くの新聞配達をして小遣いにした。毎日、走って、新聞配達をするので、長距離が早くなった。

 中学では長距離走の選手として横浜市の大会に出場して、8位に入賞した。高校は地元の名門の金沢高校に入学して高校に入ってからも数学はトップクラスで、英語と国語の成績を上げで国公立の大学に入れるように頑張っていて2年に入り総合点でも学年10番まで上がった。2年の終わりには6番目まで来た。そして横浜市大の合格の可能性が75%を越えた。

 そこで理学部数学科を受験し見事合格。学校へは自転車で通学した。だた、立山哲男は奨学金を返済不要の奨学金の試験に合格して親に学費の負担をかけないで通え、家族は、大喜びだった。しかし横浜市大陸上部は弱小であり入っても仕方ない。それに仲良しで同じ金沢高校出身の商学部の内藤克美に、お前は計算が速いから投資研究会に一緒に入ろうと誘われてた。

その後、一緒に入会。一方、木村泉さんは、1953年12月11日に明石でタコ漁師の家に生まれた。木村家は裕福で20人をタコ漁師をかかえる大きな漁師で舟も数隻持っていて、たこ焼き屋も5軒や料理屋など多角経営して父の木村泰三は周辺でも有名な商売人であった。娘の木村泉は近所の有名私立幼稚園に入りピアノの練習をしたりして早くから情操教育を受けた。

小学校に入学後も音楽の成績が良く特に音感と耳が良い事にかけては、音楽の先生も驚いた。本が好きで文学少女になった。各教科の成績も良く中学を卒業後、近所の名門の神戸高校に入学。父の影響を受けて将来は商業の勉強したいと考えた。成績も学年で10番前後をキープして横浜市立大学商学部を受験する事にして合格の可能性が75%となった。

 そのため受験を決意し、遂に、合格し、金沢文庫駅近くの1Kのマンションを借りて横浜市大へ自転車で通い始めた。木村泉は昔から父が株投資をしていたので投資に興味を持ち仲良しの大阪出身の加橋小夜子と共に投資研究会と一緒に入会。その時の投資研究会は、立山哲男、内藤克美、木村泉、加橋小夜子の1年生3人が入会してきた。

 当時の投資研究会は、北島里美、加藤辰美、木下鉄郎、岩城和夫の2年生4人と内藤三郎、木下悦郎、佐藤和夫3年生3人の合計11人となった。最初の投資研究会の会合の時に、それぞれが、自己紹介した。その後、内藤三郎が、私は、基本的に割安株が好き。木下悦郎は、僕が高収益銘柄のが好きで高ROE銘柄をさがして収益を上げたいと思っていると述べた。

 佐藤和夫は成長が期待される業種、業態を調べて5年、10年後の成長株を狙いたいと話した。その他、木下悦郎と佐藤和夫はチャート分析を得意として内藤三郎はPER、PBR、ROE、営業利益率を見ていると言い、その表を作ろうと告げた。ケント紙を買ってきて表を作り、銘柄名を書いてPER、PBR、ROE、営業利益率、EPS、BPSの5年変化に注目した。

PER「株価収益率」=株価/1株あたり利益率「EPS」
PBR「株価純資産倍率」株価/1株あたり純資産(BPS)
ROE「自己資本利益率」=当期純利益/自己資本
営業利益率=営業利益/売上、純利益率=純利益/売上
以上の計算式を全て数学の得意な山田建男に数字を読み上げて、計算させ、ケント紙の表に、その数字を入れていく作業を毎日、2時間近く、行った。
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