第2話:投資研究会に入会と木村泉と立山哲男の結婚

文字数 1,628文字

 投資研究会に入会してきた立山哲男、内藤克美、木村泉、加橋小夜子の1年生3人は、この表の作成をするのが仕事だった。しかし、立山も、他の3人も単純作業ばかりで面白くなく四季報をみて、その企業の仕事や利益率、将来性を議論する方が面白い。立山は、ソニーが好きで内藤克美は、トヨタ自動車が好きで木村泉は、商社株、加橋小夜子は商船株が好きであった。

 立山は、四季報や有価証券報告書「5年分のデータ」を見るのが好きで、数字の動きから将来性を考えるという作業が気に入った。やがて立山哲男、内藤克美、木村泉、加橋小夜子が大学4年になった頃は、財務健全性は、利益剰余金が多く有利子負債が少ない企業。収益性の良い企業は、ROEの高い企業、営業利益、純利益率が高い企業は高収益企業と言うことがわかった。

 内藤克美、木村泉、加橋小夜子の3人は、親が商売をしていて、裕福であり立山とは真逆。しかし、立山は大学の卒業間近、株で財産を作りたいと真剣に考え始めた。その話を他の3人に話すと、そーしたいよねと言い、いつの間にか、株投資で、儲けようと真剣に考え始めた。1976年1月、各個人の資産を100万円を持ち寄り400万円で投資を開始する事を決めた。

 もし持ち金が半分になったら、その時点で、投資を辞めようと言う事で合計した金を立山がN証券口座に預けて投資開始する事で全員納得。もちろん半減した場合は、残金を出資比率で等分して分配する事で了解した。実際に売買の指示を出すのは、立山の係で、早速1976年1月8日にトヨタ株を263円で1万株263万円で購入し残金が137万円となった。

 そして、1976年3月に卒業して内藤克美、木村泉、加橋小夜子は、それぞれ就職していった。木村泉は得意の英語を生かして関内の小さな貿易会社に就職。立山も両親に友人達と商売を始めると言い詳細を明かさず小さなアパートを借り投資する銘柄を考えた。そのうち近くの食品工場の夜勤の仕事を夕方5時に出かけて夜12時過ぎには自宅に帰る生活を続けた。

 やがて夏になり秋が過ぎ寒くなり始めた頃にトヨタ株が上昇して来て1976年12月26日に野村證券に行って578万円で売却を指示し売れた。初めての利益が240万円と3人にすると報告すると大喜びで立山の仕事ぶりに感謝した。その頃、木村泉と立山哲男が仲良くなって油壺マリンパークに言ったり、鎌倉を散策して見たりと親密になった。

 しかし、その数ヶ月後、木村泉は、横浜・山手の小さな商社で英語を生かして、欧州やアメリカとの取引書類や電話での交渉をする会社に正社員で就職。土日祭日は、電話で連絡し合って映画を見たり横浜の名所で、デートした。1977年の正月、土日に木村泉が立山哲男を誘って新幹線で大阪に行き神戸、明石、姫路の町を散策して明石の木村家に連れて行った。

 そして、木村泉さんの両親にお会いして将来、結婚したいと言うと木村泉さんの母、木村早苗さんが喜んでくれた。お父さんの木村俊彦さんも了解してくれた。木村泉は、横浜の中華街の大きさにおどろいたが、日曜に、中華街のいろんなお店を食べ歩いた。その後に元町でウインドウショッピングするのが大好きになった。

 1977年1月8日、立山は7201の日産自動車を375円で1万株、375万円で購入し残金が268万円になり1977年10月15日に615円で1万株を売却して税引き利益185万円で残金が827万円となり投資金額が2倍になったと伝えると、内藤克美、加橋小夜子が200万円でいただいて、投資から手を引きたいというので、立山哲男と木村泉が了解した。

 そして、200万円ずつ返却して827万円の残金が427万円になった。そして1977年の4月に金沢文庫から徒歩10分の3DKのマンションに引っ越して立山哲男と奥さんが同居し始め、1977年10月10日に横浜中華街の近くの結婚式場で、内輪だけの結婚式をし、総勢30人で祝ってもらった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み