6 野伏懸

文字数 8,913文字

 正月五日の朝。昨日に先発した誠ノ助と十五郎を除く、御厨子党総勢四十人は深々と雪の降り積もる水主郷を後にしていた。
 一山越えて、今や人の往来も極端に減った奈良街道へ出、そのまま街道を北に向けて進む。目指すは無論、京の都である。四十人が各々小汚い具足に身を包み、思い思いの武具を手に、粛々と歩を進める。誰もが湧き出てくる気持ちの昂ぶりを抑えきれないようである。彼らの表情は喜々としていた。雪空による寒さも、徒歩による長旅も苦ではないようだった。水主には馬も十数頭飼っていたが、今回は飢左衛門を含めて全員、徒歩で行くことに決めた。ごちゃごちゃとした町並みの京では徒歩の方が良い。加えて何十万という兵士がひしめき合っている中で賊が動き回るには、少々馬は目立ちすぎる。晋兵衛の同意を得て持ってきた兵糧も、荷台に乗せて党員が引っ張っている。
 もうとっくに昼を過ぎている。しかし、未だ雪の降り積もる正月であり、陽が暮れるのは早い。周囲は暗くなろうとしていた。
 途中、街道で暴れている賊どもとぶつかるかもしれないと飢左衛門は危惧していた。大抵の賊なら出くわしたところで御厨子党の敵ではないのだが、時間がもったいない。そう考えていたのだが、ここまでは全く順調に進んでいた。既に宇治川を超え、六地蔵(ろくじぞう)にまで至っている。ここから伏見へ出て、そのまま北上すれば京だ。
 奈良街道の惨状は噂どおりだった。町は活気を失い、村は荒廃し、生き残った人々は希望を失っていた。街道を通る御厨子党を怖れることすら忘れ、焦点の定まらない視線を手向けてくるだけである。無論、飢左衛門は街道での略奪を禁じていた。生気を失った町々を尻目に、ただ風のように過ぎ去っただけである。そして飢左衛門は、かの惨状を凝視することすらできなかった。泣き叫ぶ子を拾うこともなかった。これから戦場に赴くわけだから当然ではあるのだが、考えようともしなかったのは間違いなく、昨日の晋兵衛のことがあるからだ。
 晋兵衛の頼みを請けるつもりは毛頭ない。できるはずがないことだった。故に誰にも語っていない。恐らく晋兵衛も水主の誰にも語りはしないであろう。胸に秘めるのは二人だけでいい。そして今度の稼ぎが終わり、水主に帰ったときに、しっかりと断ればよい。
 今朝の出陣の際、晋兵衛も見送りに出てきていた。特に何を言うでもなく、つかの間合った視線に軽く頷いただけだった。
 しずは紅い単に身を包み、幼さの残る顔一杯に悲しみの色を出しながらも、何とか泣くまいと頑張りながら、夫を見送った。党員の家族や農耕に従事する郷民、水主の人々が総出で見送る中、御厨子党は出立した。それらの全てを背負って、御厨子の頭領は京へと発ったのだ。
 これ以上、背負えるはずがない。
 やはり、それが飢左衛門の答えだった。
「お頭。ありゃあ誠ノ助さんじゃないですか?」
 先頭を進んでいた八重吉が振り返って叫んでいた。言われて先方に目を向けてみると、二頭の馬がこちらに向かって駆けてくる。よくよく目を凝らして見てみると、確かに鞍上は誠ノ助だった。もう一騎は十五郎だ。
 ああ。そういえば、京に先発させた二人は特に考えもせず騎馬で行くよう命じていたのだった。しまった。中途半端に二頭だけ馬があってもしかたがあるまい。まあ軍馬にするか。必要なくなれば京で売り払ってもよい。
「よし。ちょいと休憩するか。話も聞かねばならんし」
 おう、と党員どもは一斉に答えると、腰を降ろして竹筒の水を飲んだり、武器の手入れをしたり、大の字に寝転がったりと各々自由に過ごし始めた。その中を飢左衛門は隊の先頭まで進んでいった。
 さて。一体全体どうしたというのだろうか。物見として京に先発した二人とは鴨川を渡って上鳥羽口(かみとばぐち)の辺りで落ち合うことにしていた。上鳥羽口は京の南の玄関口になる。その二人が六地蔵にまで駆け戻ってきた。何か不都合なことでもあったのだろうか。
「おう。どうした、誠ノ助」
 すぐそこまで来て下馬した誠ノ助に、頭領は明るく声をかけた。何やら京で大事件でも起き、賊が活躍できる状況ではなくなったのかもしれないとも推測してみたが、政ノ助の表情はさほど悲観したものでもなかった。
「すみません、お頭。上鳥羽でって約束を破っちまって」
「いや。そんなことはいいさ」
 既に五十を越えてなお、現役に踏みとどまる党一の年長者は、冷静でいて思慮深く、即座に状況を見てとれる男だった。まあ、御厨子党の中では、という制限はあるが。しかし、そうした人物であるからこそ、先発を任せたのであり、その誠ノ助が約を違えてまでも頭領に報告すべしと判断したからには、それなりのことがあったということだろう。
「でも、どうしたんだ。京には行けなかったのか?」
「いえ。京には入りました。今の状況も調べてきました。正直、我らが利を得るのは厳しいかもしれません」
「え。どういうことですか。誠ノ助さん」
 すぐ傍らで聞き耳をそばだてていたらしい八重吉が驚きの声を上げていたが、飢左衛門もまた誠ノ助の答えに疑問符をつけざるをえなかった。どういうことだ。
 ついこの間まで京に行っていた常祐坊は、今こそ賊が活躍できる時だと叫んでいた。確かに常祐坊は荒くれ者の元山門僧兵ではあるが、あれはあれで学もあり、それなりに時局を見極める目を持っている。一ヶ月近くに渡って京を偵察してきた常祐坊の判断が、自身の感情に任せた適当なものだったとは考えにくい。
 ならば、何故に誠ノ助の考えが常祐坊とは正反対のものであるのか。
「お頭」
 思案に暮れる頭領の顔色を察したのか、誠ノ助は聞かれるよりも先に語り出した。
「今、京の戦は膠着状態に陥ってます。二十万とか三十万とか途方もない軍勢が京の都に集まってるって言われてますけど、それは噂にすぎないですね。今、都は山名派、つまり西軍が制圧してるんですよ。細川派の東軍は都を追い出されて、山科(やましな)まで後退しているってな話です。今、実際に都にいるのは西軍の十万程度ってとこでしょう」
 山科か。あそこは京の東に位置するが、京の都をぐるりと囲む山が互いの間を貫いている。山を挟んでの対峙となったとなれば、確かに膠着は長引く。双方とも山越えという不利を冒してまで敵軍を攻撃する勇気はないだろう。互いに十万を越える軍勢を擁して、拮抗しあっているのだから。
「膠着が、我らには不利なのか?」
 正直、都の戦がどうなろうと飢左衛門たちには関係ない。関係あるのは稼げるのか稼げないかということだ。
「不利です。ただ膠着しているだけならば、我らには何の関係もなかったでしょう。常祐坊もそう考えたんでしょうけど、少し状況が変わってるみたいなんすよ。最近」
「ほう」
「戦が膠着して、落ち着いたせいで、山名や畠山らの軍勢が都の治安維持に本腰を入れ始めてんですよ。ここ最近、都じゃ賊が好き放題やってたせいで、まだ逃げずに都に残ってた公家やら商家やらが不満の声を上げてたようなんです。まあ、都の大半は燃えちまって、都人(みやこびと)もほとんどが逃げ出しちまってはいますけどね。今頃になって治安を強化されても迷惑なことですし、無意味なことだと思うんすけど、現にここ数日で盗っ人が大量に捕まってるとかいう話で」
 遅すぎたか。誠ノ助の進言を聞いて、真っ先に浮かんだ感想はそれだった。この半年と少し、我慢し続けてきた飢左衛門の選択は間違っていたのか。それは慎重に慎重を期し、徹底的な現実主義をもってして導き出した、頭領として最善の選択のつもりであった。最善の選択のはずであった。
「正直、今の都では、我らが賊として活動することは難しいでしょう」
「そのようだな」
 残念だが、誠ノ助の考えに誤りはないだろう。
「待って下さいよ、お頭。じゃあ何ですかい。このまま都にも行かず、手ぶらのまま水主に帰るって言うんですかい?」
 隣でやりとりを聞いていた八重吉が大声を上げたために、それまで思い思いに休息を取っていた他の党員らも、一斉に頭領の方へ驚きと不安の入り混じった視線を向けてきた。
 どうやら、運が向いてなかったようだ。半年以上に渡って我慢し続けてきた飢左衛門の選択は、決して間違ったものではなかったと思う。誤った決定を下して党を危険に陥れることこそ、頭領として防がねばならぬ最たることだ。時機を逸してしまう結果になったのは、運がなかったと考えるしかない。
 まあ、そんな言い訳はこの際どうでもいい。確かに、あれだけ盛大に見送ってもらいながら、手ぶらで帰るというのは余りに情けがない。というよりも格好がつかない。それに半年以上も我慢してきた手下たちが収まるはずもなかった。
 都で稼ぐことはできなくなったが、このまま和泉、河内辺りを回って一稼ぎするか。
 そんな結論に至ったとき、党の最年長が再び口を開いていた。
「お頭。そこでなんですが」
 そういえば、初めからこの男の表情は切羽詰ったものでも沈んだものではなかった。最初から、何か考えがあったということか。
野伏懸(のぶせりがけ)って聞いたことありますか?」
「のぶせりがけ?」
「ええ。野伏懸」
「知らねえな。何だそりゃ?」
「今、都の軍勢の間で流行ってるんですわ。殿様方が農村やら宿場やらで兵を募集するんです。農民でも商人でも、最低限の武具さえ持ってりゃ誰でも構わねえんです。無論、あっしら賊でも」
「ほう。始めて聞いたな」
 どこの殿様も軍勢の数集めに必死ということか。それだけ軍勢の間で、死傷者や脱走者が多いということなのかもしれない。
「そんで雇われたもんには月毎に報酬が出るんです。それなりの」
「だけどよ、誠ノ助。そりゃあ、どっかの殿様の軍隊に入って、その指揮下で戦うってことになるわけだろ?」
「そりゃあそうです」
「どうも怪しいな。そんな寄せ集めの軍勢なんざ、真っ先に死ぬようなところに配置されたりするんじゃねえか?」
「危険な指示を受けたなら、さっさと逃げればいいだけのことです。ですけど、お頭。戦は膠着してるんですぜ」
 得たり。
 これは意外と、いや、そこそこ上手い話かもしれない。これからも膠着した状況は長く続くはずだった。月に何度か小競合いが起こる程度のことだろう。それ以外は適当に上の指示に従っているだけで、後は適当にさぼって都見物でもしていればいいのだ。
 さすがに党一の年長者だ。色々と上手いことを考える。
「報酬ってのは、悪くねえのか?」
「四十二人全員で参加すりゃあ、一月だけでもたいしたもんになりますね」
 危険も隣り合わせではあるが、やってみる価値はあるかもしれない。無駄に暴れまわるよりも、よほど効率よく稼ぐことができるだろう。
 しかし、だ。そこには一つ、避けては通れない大きな障害がある。水主郷のために稼ぐという御厨子党の存在理由を根底においたとき、その障害は決して正当なものとはならない。それでも党員たち、特に血の気の多い手下は納得しまい。
「待って下さいよ、お頭」
 案の定、最年長の進言に心を動かす頭領に待ったをかけたのは、血の気が多く、後先考えないことでは党でも一、二を争う八重吉だった。
「そんな武士の下で軍勢に参加するだなんて。俺たちは俺たちで好きなようにしましょうよ。武士の指揮下に入っちまったら何にもできないっすよ。いいように使われるだけだ。俺たち、耐えに耐えてきたんですぜ」
 つまりは、そういうことだった。暴れるということしか念頭にない手下たちにとっては、稼ぎの多寡などどうでも良いのである。日頃の鬱憤を発散させるために、奪い、脅し、殺し、破壊し、犯す。略奪こそ賊の代名詞であり、御厨子党の生業なのだと勘違いしているものが余りに多い。
「黙れい。八重吉、我ら御厨子党が賊を働くのは己のためではないのだぞ。わかっておるのか」
 背後からの叱責に振り返ってみると、声の主は常祐坊であると知れた。それまで手入れをしていた大薙刀を右手にしたまま、立ち上がって叫ぶ元山門僧兵には、それなりの迫力がある。そして、彼の言うことこそが正論だった。暴れ者とはいえ、やはり学を持ち合わせた元山門僧兵である。さすがに党の有り方をしっかりと理解している。と思いきや、叫んだ当の本人こそが苦渋顔であった。
 そう。決して勘違いしているというのではなかった。誰も党が目指すことくらいわきまえているのだ。御厨子のためではなく水主のために。己がためではなく水主のために。それを忘れたり勘違いしているものなどいようはずがない。故に八重吉も、正論を唱える常祐坊に言い返すことができない。他の誰も言い返すことができない。
 しかし、その正論を説いた常祐坊自身が苦渋顔だった。何が正論なのかわかってはいても、やはり彼らは賊であるが故の欲望に刈られたのだ。即ち、他の誰のためでもなく、ただ自分自身のために、思う存分暴れ、略奪をなしたい、と。それが党員全員の心内なのであろう。誰もが押し黙ってしまった、この重たい雰囲気に、頭領は手下たちの心中を鋭く察していた。
 さて、ならば俺はどうすればいい。俺は頭領としてどのような答えを下すべきなのか。党員全員で野伏懸に参加すれば、自由はなくとも効率よく稼ぐことができるだろう。この選択こそが正論であることには違いない。しかし、飢左衛門にはその選択を手下に強制することが憚られた。それは決して飢左衛門本人の欲望のためではない。
 我慢するよう言い続けてきたのは俺ではないか。
 強制できない。できようはずがない。京での略奪に心を馳せる手下たちに、半年以上に渡って耐えろと言い続けてきたのは飢左衛門なのだ。しかも、どうやら飢左衛門の判断は結果的に誤ったものだったらしい。耐えすぎたことで、京で暴れる機会を逸してしまったのだ。
 またもや耐えろと言えるはずがない。無論、耐えろと言えば今回も手下は耐えるだろう。しかし、手下の気持ちがわかりすぎるが故に、頭領には言えなかった。
 やはり、和泉か河内辺りで少し暴れることにするか。あまり稼ぐことはできないかもしれないが、手下の鬱憤は取りあえず晴らされるだろう。京で暴れられなくなったのは残念だが、仕方あるまい。
「高野党の藤七も野伏懸に参加して名を馳せてますよ。確か、朝倉とかいう軍で」
 言うべき時を見究めていたのだろう。それはまさに絶妙の一瞬だった。八重吉も常祐坊も他の手下も、そして飢左衛門自身も、皆が声の主である誠ノ助へと顔を向けていた。皆の注目を一身に浴びる最年長者は、その皺が増え始めた顔をにたりと綻ばせ、先を続けた。
「あいつは利口ですよ。都で暴れるだけ暴れて、風向きがおかしくなると見るや、軍勢に参加しちまうんですから。ほんとに利口ですよ。野伏懸に参加して、朝倉軍の中に入った上で、わからないようにまた略奪をやってんですから。軍勢という隠れ蓑をまとって、都で暴れてるんすよ、あいつは」
 なるほど、それは最年長者が残しておいた、最後の切り札であった。
 一瞬の沈黙の後、それまでの重たい雰囲気が一変した。まさに、一昨日の新年会のように。
「何だよ、何だよ。それを先に言ってくれよ、誠ノ助さん」
 誰かが叫んだかと思えば、ついさっきまでどんよりと表情を曇らせていた八重吉までもが、打って変わった満面の喜色を浮かべ、声を張り上げている。
「負けてたまるか。負けてたまるか。高野なんぞに負けてたまるか」
 無論、常祐坊も負けてはいない。迷惑にも大薙刀を振り回し、これまた大音声を響かせる。
「何ぞ躊躇うことがあらんや。いざ都で御厨子の名を揚げん」
 余りの騒ぎように飢左衛門も苦笑するよりなかった。さっきまでの沈んでいた雰囲気はなんだったのであろうと首を捻ってしまうほどである。即ち、誠ノ助の発言には場を一変させてしまうだけの効果があった。
 高野藤七。
 思えば、一昨日もこの名前を聞いた。高野藤七の名が出ると同時に、党員の興奮は頂点に昂じ、飢左衛門に出陣を決意させる結果となった。そして今もまた、彼の名前が党員たちから迷いを吹っ切らせていた。
 高野党の頭領、藤七。それは飢左衛門が唯一認める同業者の名前であり、同時に御厨子党の好敵手でもあった。同じ畿内の賊であるだけに、高野党とは戦場などの稼ぎ場でよく利を巡って衝突した。その度に小競合いを繰り返して、何人も怪我人を出している。普通ならば、宿敵として憎悪ばかりが募るものだが、御厨子党と高野党に至っては違った。双方の頭領が、共に相手を認め合っているからである。
 御厨子の飢左衛門と、高野の藤七。憎み合ってしかるべきであるのに、二人で酒を酌み交わしたりすることもあるのだから、党員たちは困惑せざるをえなかった。
 畿内の賊の間では、御厨子党も高野党も共に名の知れた一党である。双方の党員たちにしてみれば、相手を蹴落としてしまいたいに違いないのだが、頭領同士が仲良くしているのだからどうしようにもない。皆が皆、(ほぞ)を噛んでいるに違いなかった。何故ならば、頭領同士が親密になった理由を、他の誰もが知らないのだ。
 だからこそ、高野藤七の名が出てくると党員たちは気勢を上げる。負けてなるものか、と叫びだす。それは野伏懸に参加して、どこぞの軍の指揮下に入ったとしても、隠れて暴れられるということも相まって、一気に党員たちの心は野伏懸参加に傾いたのだ。
 たいしたもんだよ、藤七は。
 やはり、御厨子の頭領は高野藤七を認めていた。四十を過ぎた飢左衛門に対し、高野藤七はまだ三十手前のはずだ。さっぱりとした潔い性格と、瞬時に状況を見取って指示を出す手際のよさを、飢左衛門は評価すると同時に、好感を持たずにはいられなかったのである。それに賢い。
 今回も、京の都で大乱が勃発するやいなや、そのどさくさに紛れて京で略奪をなし、戦況が膠着して賊の取締りが厳しくなると察するや、野伏懸に参加して軍の指揮下に入り、給金を受け取りつつも、ひっそりと略奪を重ねる。全く上手いやり方だ。まさか賊を取り締まる方も、略奪をなしている者が軍勢の中にいるとは思うまい。
 上手いこと稼ぎよるわ。
 感心すると共に痛快さをも覚える。無論、それは飢左衛門だけであり、他の党員たちからしてみれば、高野の藤七だけに甘い汁を吸わせてなるものか、と憤慨するだけである。
「今、深草で畠山軍が野伏懸をやってます。ここからなら深草まですぐですよ」
 痛快さに自然と浮かべていた頭領の微笑を引っ込めさせ、熱気昂ぶる他の一同を静めた頼りない声音は、誠ノ助と共に先遣していた十五郎のものだった。思慮の世界から現実へと戻された飢左衛門は、ほう、と呟き、さらに党最年少の少年に問いかけた。
「どっちの畠山軍だ?」
「畠山義就の方です」
「義就か」
 少年の答えを聞いた頭領は、眉間に皺を寄せ、吐き捨てるようにして一言だけ呟いた。
「山名派ですから西軍です。今、西軍は京の全てを制圧してますし、水主に逃げようと思えばすぐに逃げられまさあ。それに、畠山の野伏懸は他に比べると格段に報酬もいいんすよ」
 予期しなかった頭領の突然の苦渋顔を見て、咄嗟に誠ノ助が取り繕っていた。十五郎など口をぽかんと開けたまま塞ぐことを忘れてしまっている。他の党員たちにしてみても、頭領の反応は意外だった。
 時に厳しく、だいたいが陽気な頭領が、これほど不快感を露わにすることは滅多にない。それに、不快感を示すに至った理由がよくわからない。十五郎がおかしなことを言っただろうか。否。ならば畠山義就という人物に何か恨みでもあるのだろうか。わからない。今日現在、都を揺るがす大乱の元凶とされている畠山義就であるが、だからといって何なのだ。党員の誰もが、頭領の苦渋顔を理解することができなかった。
 すると頭領の方も、驚きと不安と疑問とが入り混じった党員たちの視線に気づいたようである。ふう、と一息つくと、さっきまでの不機嫌な表情はすでにない。
「畠山の野伏懸に参加しようと思うが。不満のある奴はいるか?」
 御厨子の頭領は、やはり自分の意思よりも、党員たちの意思を尊重しようとしていた。今回に限っては、党員たちに負い目がある。俺の勝手な感情のために、みんなの意思を裏切っちゃあならねえ。水主郷のためにも、野伏懸に参加することこそが最善の選択なのだ。やはり、飢左衛門は御厨子党の頭領だった。
 頭領の問いかけに答えるものはいなかった。高野藤七の名が出た時点で、党の意思は決まっていたのである。
「おっし。じゃあ、休憩は終わりだ。早く行くぞ。みんな立て立て」
 おう、という小気味の良い叫び声が木霊した。立ち上がった各々の顔には気合がもたらす生気に漲っている。
「おい、十五郎。野伏懸をやってるとこは、あっと。どこだったか?」
「あ、深草です。増位掃部助ってお人がいまして。畠山の御家来衆の。その増位様が野伏懸をやってますよ」
「よし。なら、おまえが先頭で案内しろ」
 はい、と叫んだ少年も、大役に心を躍らせているのか喜色満面である。それを尻目に、頭領は忙しい。あ、誠ノ助。歩いていくことにしたから馬はいらねえ。しまったな。まあ、いいか。二頭とも軍馬にして兵糧を運ばせよう。八重吉、轢き車から兵糧を担いで来て馬に担がせろ。これ、常祐坊。嬉しいのはわかるが、危ないから薙刀を振り回すな。
 これほど賑やかで、朗らかな雰囲気に包まれた賊は、この国のどこを探してもあるまい。出発までに四半刻を要することになる御厨子党は、朗らかな頭領に率いられた、傍目には極悪非道な賊であるとはとても思えない、陽気な一党だった。
 それが頭領の犠牲の上で成り立っていることを知っている者は一人としていない。それは孤独な心を悟られまいと、必死に明るい頭領を演じる飢左衛門がいるからこそ、成立している一党だった。
 この日の夕刻、彼ら御厨子党四十ニ名は、京郊外の深草において畠山義就軍の野伏懸に参加を認められた。畠山義就軍の野伏懸衆として増位掃部助の指揮下に入ったのである。飢左衛門が畠山義就と対面を果たす夜の三ヶ月前、応仁二年は正月五日のことであった。
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登場人物紹介

御厨子飢左衛門(みずしきざえもん)


南山城国の水主郷を根拠とする賊集団、御厨子党の頭領。

40を過ぎているものと思われるが、拾われ子であるため正確な年齢は不明。

畿内でも有数の大規模賊集団の頭領として、同業の中では多少、名を知られた存在。

骨川道賢(ほねかわどうけん)


多くの賊集団を統合し、畿内一の賊となった骨川党の頭領。

高野藤七(たかのとうしち)


高野党の頭領。

飢左衛門より一回り以上若いと推察されるが、闊達でさっぱりとした人物であり、飢左衛門もその人となりを認めている。

畠山義就(はたけやまよしなり)


三管領家の一つ、畠山家の家督を争う人物。

昨今における争乱の火種の大半はこの男が関わっていると言って差支えなく、またその舞台が御厨子党の地盤と被るため、飢左衛門はその存在を嫌悪している。

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