8 畠山義就

文字数 5,750文字

 全ては、自分の勝手な幻想だったのであろうか。
 一人の青年を、否、壮年の男を前にして、これまで飢左衛門が考え、抱き続けてきた一つのことが音を立てて崩れ去ろうとしていた。それほどの衝撃だった。
 目の前にいる男は、これまでに飢左衛門が対面してきたどんな人物よりも高貴なる男であり、本来なら賊の頭如き自分が相対してまみえることなどできようはずもない男のはずだった。そして、彼自身が最も忌み嫌う、武士という存在の象徴であると決めて疑わなかった男のはずであった。
 それなのに、実際に目の前にいる壮年の男はどうだ。こいつが、本当にこの男が畠山義就だというのか。
 御厨子党が畠山義就軍の野伏懸に参加して三ヶ月が過ぎたとはいえ、所詮は身分卑しき下々の類によって構成された野伏懸衆である。畠山軍の総帥たる畠山義就が、野伏懸衆の前に姿を表すことなどありえるはずもなかった。野伏懸衆を直接指揮していたのも増位掃部助であり、義就から直接に指示を受けたなどということもない。何かしらの際に、大鎧を身にまとった義就らしき人物を遠目にすることはできても、まさかその尊顔まで窺うことはできようはずもない。
「まあ、座れ」
 木机を挟んで相対する位置に置かれた床机へ座すように促されたが、御厨子の頭領にそのつもりはなかった。
「おまえが、畠山義就?」
 床机に腰掛けたままの義就を、飢左衛門は立ったまま見下すようにして声を発していた。
「そうだ」
「見えんな」
 それが素直な感想であった。が、しかし。言葉とは裏腹に、御厨子の頭領は直感していた。こいつは畠山義就だ、と。
 確かに見えはしない。畠山政長(まさなが)とかいう従兄弟と畠山家の家督の座を争い、その政長が細川勝元という大物を後ろ盾としたため、義就の方も山名宗全という別の大物を頼った。さらには足利将軍家や他の守護大名までもが各々の勝手な思惑により細川、山名の二代巨頭に与したため、細川派と山名派という二つの巨大派閥が出来上がり、さらには将軍家の相続問題までが絡み合い、実に一年もの間、京を舞台に戦闘を繰り返している。
 京近郊のものであればこのくらいのこと、例え賊であれ、商人であれ、百姓であれ、童であれ、知らぬものなどいようはずもなかった。そして、その誰もが思っている。この大乱の最大の原因が畠山家の家督相続争いに端を発したものであると。特に好戦的な義就こそが、最大の元凶であると。
 無論、飢左衛門もそう考えていた。それが当然の事だった。
 だからこそ意外だった。もっと大柄で、無骨者で、品も学もなく、その場の感情だけで物事を決してしまうような、武辺だけが取りえの愚か者に過ぎぬ推測して疑わなかったというのに、実際に目の前にいる男はどうだ。戦場焼けのせいか気持ち肌は薄黒いが品性を感じさせる見目顔立ちは秀麗であり、古今無双とも称えられている割には華奢な体つきである。一見、優男。
 それは下々の誰もが思い描いている畠山義就像とは掛け離れてあまるべく、見事に好漢を思わせる花の都の武者姿であった。
 この男が今日の戦乱の最も中心にある男だというのか。元凶と見なされている男だというのか、という猜疑心を持ってしまうのも当然のことであろう。
 飢左衛門でさえもそうだった。しかし、今は違う。
 こいつは、こいつこそが、畠山義就。
 まやかしではない。何故かはわからないが、そう得心していた。
「つまらんな」
 優男の面相から覗いている他者とは明らかに違う、鋭い光を持った目をこちらに向けながら呟かれた義就の言葉の意図を、御厨子の頭領は量りかねた。
「ここ何年、初対面の誰もがお主と同じように目を見開いていた。本当にこの若造が畠山義就なのか、と誰の顔にも書いてあったわ。お主なら違った顔を見せるかとも思ったが、他の者と同じであった。いや、もっとも、声に出して言ったのはお主だけか」
「今日の戦乱の元凶だと巷で言われている男が、貴様のような優男であるとは思うまい」
「黙れ、飢左衛門」
「よい」
 すぐ左後方で叫んだらしい掃部助を声一つで制しながら、義就は笑みを浮かべていた。視線を飢左衛門へと向けたままでである。
 そうやって視線をぶつけているうちに、飢左衛門が築き上げてきた畠山義就像は音を立てながら完全に瓦解していった。
 しかし、それは勝手な想像が現実を前にして崩れただけに過ぎない。現実を覆すことなど出来ようはずがないのだ。ならば現実を見据えよう。この男が積み重ね、紡いできた現実を。覆すことなど不可能な現実を。
 すれば自ずと辿り着く。これまでと何ら変わることなく御厨子の頭領が抱き続けてきた、畠山義就に対する憎しみへと。
 この数年、南山城だけでなく河内、和泉、大和における騒乱の火種は全てこの男が引き起こしたものだった。しずも八重吉も十五郎も、この男によって水主へと追いやられたのだ。
「この俺に何用だ」
 野伏懸衆の一員としてこの場にいるという念が、飢左衛門には全くなかった。元々、野伏懸に参加したのは打算的な理由だったのだからそれは当然のことでもある。御厨子党の頭領、飢左衛門。自分の身分はそれしかない。そう思うからこそ、御厨子の頭領は畏まることをしなかった。それが賊としての考え方であろう。
「ほう」
 笑んでいた義就の顔が、眼だけ鋭さを増していた。それは賤しい者の不躾な態度に怒った、というものでは無い様に飢左衛門には感じられた。
「飢左衛門。お前、俺が嫌いか?」
「嫌いだ」
 間髪を入れない飢左衛門の答えに、義就は気持ちが良いほどの笑い声を夜空へと響かせた。この世で誰よりも嫌いであった男の笑い声を、爽やかな笑い声だと感じる自身に若干の戸惑いを感じながらも、御厨子の頭領は毅然とした態度を取り続けていた。
「一応、理由を聞いておこうか」
 一通り笑い声を木霊させると、畠山の御大将は再び御厨子の頭領へと目を向けてきた。その目が好奇に満ちている事が飢左衛門にも見て取れた。
「貴様は乱の中枢にいる男であろう。ならば我らは貴様を憎む」
「乱を憎むのか?」
「乱も憎む。ただ、乱を起こす者をより憎む。それが賊だ」
「解せぬ」
 義就の目には相変わらず好奇の念が浮かんでいた。端正な顔に笑みを浮かべたまま、闊達に言葉を発する義就に今度は気味悪くさえ感じられる。しかし、それが決して不快なものではなかった事が飢左衛門には不思議で仕方がなかった。
「お主らは乱を好む者たちではないか。それが生業であろう。水主の飢左衛門」
 その言を耳にした時、飢左衛門は一瞬、打ち震えた。
 この男は、賊という存在を知っている。賊という存在の稼業まで理解している。そして、自分たち御厨子党の存在を知っている。現地に詳しいどこぞの下っ端奉行人などであれば、賊という無頼者集団の存在くらいは知るところであろう。だが、義就ほどの大守護が賊を詳しく知る事など有り得ないと思っていた。
 しかし、この男は知っていた。さらには、御厨子ではなく水主と言った。
 同じ賊であっても同業者の本拠は知らぬものである。教えるはずもない。互いに諍いを起こし合う者同士であるから、報復などを恐れて教える事など有り得るはずもなかった。
 しかし、この男は知っていた。確かに水主を中心とした南山城は畠山家の領国ではあるが、その御大将が自分たちの事など知る由もないと認識していた。
 御厨子の頭領はここに来て漸く全てを理解していた。眼の前の男が野伏懸衆の一員を呼び寄せたのではなく、畿内の賊である御厨子の頭領飢左衛門を呼び寄せたのだ、という事を。
「お前たちは御厨子党を知っているのか?」
 口から出ていた言葉を、発してから後悔した。あまりに力のない声音だったと感じたからである。それに対して畠山の御大将は口元を弛めて返してきた。
「遊佐も誉田も、そこの増位も知るまい。だが、俺は知っている」
 嘘、とは何故か感じなかった。
「我ら賊は」
 ここにきて飢左衛門は、一種の恐怖感に近い感情に捕われつつあった。それは決して死に直面した時のような切羽詰まったものではない。それは御厨子の頭領が初めて抱く感情であった。
 もしかすると今、自分はとてつもない大物と相対しているのではないか。
 家柄だとか身分だとかいうものではない。それは人としての器の問題である。
「賊であることを潔しとはしていない。生きるための手段が賊という道より他にないからこそ、賊に身を窶す。賊として生き抜くより他に道がないからこそ、賊として生きる」
 気圧されているのかもしれない、と感じていた。それを隠すためだったのかもしれない。御厨子の飢左衛門は初対面の人間に、それもこれまで最も嫌悪していたはずだった人間に、滅多に人に語ることのない自身の考えを叫んでいた。
 何か声に出さなければ押し潰されてしまいそうだった。そして声に出す何かを咄嗟に思い付く事すらも出来なかった。故に本心を語るより他になかったのである。
「その賊という存在を、賊が賊として生きざるを得なかった理由を創り出したのは、下々に貧困という枷を負わせた(まつりごと)が故であろう。悪しき(まつりごと)が乱を起こし、貧困を生む」
 こちらが思わず身を視線を逸らしたくなる程の鋭く強い眼差しを義就は向けてきていた。すでに口元も綻んではいない。その変化がいつの間にか、と感ずる程に動揺していたのかと考えると、自身の顔が熱くなるのが刹那の事であるにも関わらず、何となくわかった。そんな自身を隠すためであったのだろう。
「その政を執ったのは武士。そして今の乱の中心にあるのは貴様ではないか」
 大声を張り上げる自身を恥じている自分もいた。しかし、それが自分の考えに間違いはなかった。
「だから、俺は武士が嫌いだ。お主も嫌いだ」
 言い終わったとき、畠山義就の視線は飢左衛門の後方へと向いていた。それに気付いた時になって初めて、飢左衛門は後方に抜刀の気配がある事を振り向かずして感じ取った。
 義就の視線に制されたのか、増位掃部助は太刀を納めた様だった。
 気圧されているとは感じながらも決して逸らすことのなかった飢左衛門の視線に、義就の視線が再びぶつかってくるのにそれほどの時間はかからなかった。その顔から笑みの消えた義就は、既にして優男の面影などない。この国の中枢にあるべき為政者としての貫録と風格を、その若き身体と端正な顔立ちに携えていた。
 これが、畠山義就だったのだ。
「御厨子飢左衛門」
 それまでの声とは違った、低くて重い声だった。
「ならば、何故、お前は我が軍の野伏懸に参加している?」
「御厨子の為に」
「何故、身を呈して戦った?」
「御厨子の為に」
「面白い」
 義就の顔に笑みが再び戻った時、飢左衛門を包んでいた奇妙な緊張感もまた緩んでいた。
「飢左衛門。お前の考えには可笑しな所がある」
「ほう」
 飢左衛門は出来る限り、義就の意見に関心などない、という態を装った。が、実際はこの乱世の中心にある男が、自分の意見にどんな感想を持つのか気になって仕方がなかった。そしてそんな自分自身に戸惑いを覚えていた。久しく、感じた事のない感情が芽生えている事を漸く悟ったからであろう。
「賊という存在を産むこの世と武士は許せぬが、御厨子のためであればそれを利用するということなのであろう?」
「それが賊だ。利用できるものは利用する」
「それでは永遠に堂々巡りだな。お主らが賊という存在から抜け出すことはできぬ」
「賊の生き方を否定するわけではない。賊という存在を生み出すこの存在が許せぬのだ」
「ならば飢左衛門、お主は賊という存在を厭うのか?」
「当たり前だ」
 賊として生きるより他ないから、賊として生きるのだ。賊としての活躍を求められるから、賊として生きるのだ。そのような存在など無い方が良いに決まっている。しかし、時代がそれを許さない。神も仏も政も、誰も救いの手を差し伸べようとはしてくれない。
「賊が賊。全てお主の言うような賊ではあるまいに」
「どうだろうな」
「そこの山におる者はどうだ?」
 にやりと義就の口元が動いた。
 この男は稲荷山に陣取っている男の事を知っている。その男がどういう男であるのかも知っている。何故あの男の事を知っている、とは考えなかった。この男ならば知っていても不思議ではない、といつの間にか考えてしまっていたらしい。そういう男がいるという事が、飢左衛門には痛快でさえあった。
「あいつは、賊ではない」
「では何なのだ?」
「紛い物は俺が討つ。そう決めている」
 飢左衛門は初めて、義就と同じように口元を動かした。
 義就という男のことを好きになったわけではない。利用するのだ。自らのために。それが賊としての生き方であろう。
「飢左衛門、お主は賊なのであろう?」
「当たり前だ」
「だったら、もう少し、単純に生きた方が良い」
「あん?」
「だが、悪くはない」
 何を言っているのか理解できず、怪訝な表情をしていたのであろう飢左衛門を義就は闊達に笑い飛ばし、続けた。
「お前に任せよう」
 腰を上げた義就はその顔に笑みを浮かべていた。
「今より野伏懸衆を足軽隊として俺の直属とする。大将はお前が務めろ、御厨子飢左衛門」
 とんでもなことを言われた気がした。しかしながら、こちらに向かってくる義就を目で追いながら、こいつは何を言っている、とは不思議に感じなかった。きっと、こういう男なのだろう。
 増位掃部助が捧げ持って来た太刀を受け取ると、畠山の御大将は御厨子の頭領の眼前へと躍り出た。
「畠山軍足軽大将、御厨子飢左衛門」
 身の丈は同じ位である。恰幅の良さで飢左衛門の方がどっしりとは見えるであろうが、やはり飢左衛門は変わらず気圧されるような感覚を覚えていた。
「この太刀を以って、稲荷山に陣取る骨皮(ほねかわ)道賢(どうけん)を討て」
 そう言って与えられたのは、金銀の装飾が鏤められた眩いほどの打刀だった。今、自分が持っている山刀などとは比べ物にならないほどの一品である。
「従わぬ者がおれば、その太刀で斬れ。畠山軍総大将たるこの俺が許す」
 鞘を払った。切れ味は鋭そうだ。
 俺のみすぼらしい胴丸に、この太刀は釣り合わないな。
 明々とした松明の灯に照らし出され、妖しく光り輝く刀身を見つめながら、飢左衛門はそんなことを考えていた。
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登場人物紹介

御厨子飢左衛門(みずしきざえもん)


南山城国の水主郷を根拠とする賊集団、御厨子党の頭領。

40を過ぎているものと思われるが、拾われ子であるため正確な年齢は不明。

畿内でも有数の大規模賊集団の頭領として、同業の中では多少、名を知られた存在。

骨川道賢(ほねかわどうけん)


多くの賊集団を統合し、畿内一の賊となった骨川党の頭領。

高野藤七(たかのとうしち)


高野党の頭領。

飢左衛門より一回り以上若いと推察されるが、闊達でさっぱりとした人物であり、飢左衛門もその人となりを認めている。

畠山義就(はたけやまよしなり)


三管領家の一つ、畠山家の家督を争う人物。

昨今における争乱の火種の大半はこの男が関わっていると言って差支えなく、またその舞台が御厨子党の地盤と被るため、飢左衛門はその存在を嫌悪している。

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