2 異形

文字数 4,377文字

 応仁二年三月。

「どうなっちまってるんだろうなあ」
 大股に歩を進めながら小声で呟いたその男は、周囲の風景とはまったく噛み合わない姿格好であった。ざんばらの髪と豪快に伸ばした髯が垢のこびりついた顔のほとんどを覆い、そこから覗く眼光は大きく、また鋭い。顔から下へと目を移してみると、色の剥げ落ちた今にも崩れそうな胴丸をがっしりとした体に身に付け、腰には(なた)のような山刀をぶち込んでいる。どう贔屓目に見たとしても、決して誉められた外見ではなかった。
 故に、どこか不可思議な光景がそこにはあった。この異形の男が歩を進めているのは、緋色が鮮やかな胴丸を身にまとい、松明の灯に照らされて不気味に光る矛先を持った槍を肩に担ぐ、即ち典型的な兵卒が緊張の面持ちを浮かべひしめく戦陣だった。異形の男の姿格好が場違いというわけではないのだが、どこか目立つのは仕方がなかった。
 当然の如く、周りの兵卒達からは、ある種の興味と軽蔑とが入り混じった眼差しをその全身に浴びていた。しかし、異形の男はそうした視線をこれといって気にすることも、臆することもなく、逆に厚い胸板を突き出して堂々と陣中を進んで行くのだった。
「お(かしら)。何か?」
 周りの注目を浴びているのは、何も異形の男一人ではなかった。男の後ろを、これまた同じような身なりをした男が付いて回っていた。背格好なども似たり寄ったりの異丈夫であるが、頭髪には白いものが混ざり始めており、どうやら年嵩であるらしい。言葉遣いなどからして、男の従者なのであろうか。
「世も末だってことだ、誠ノ助(せいのすけ)
 誠ノ助と呼ばれた年嵩の男は、異形の男の応えが理解できんと言わんばかりに首を捻ったが、主人であるらしい異形の男はそれを特に気にとめることもなく、大股で歩む足をさらに速めるのだった。
 一方で、その二人を止めようとする兵卒はいなかった。おかしな風体の主従を前に、むしろ兵卒達の方から道を開けていた。関わるのは御免だ、とでも思っているのかもしれないが、よくよく観察してみると兵卒たちには疲労の色が濃く見える。関わる力が残っていなかっただけなのかもしれない。その開かれた道を、異形の男は堂々と、付き従う年嵩の男はいささか周囲を警戒するような素振りを見せながらも歩み続けた。
 陣中をずんずんと進み、気がつけばもう本陣の前だった。張りめぐらされた白い陣幕のあちらこちらに、雪輪(ゆきわ)(なずな)の紋が描かれている。その陣幕の中からは無数の指物が星空へと立ち上り、二ツ引両(ふたつひきりょう)の旗を風に靡かせていた。共に足利一門であることを示す畠山家の家紋である。
「何者だ」
 ここまで来ると、さすがに異形の主従も歩む足を止められた。二人の衛兵の槍に道を塞がれ、いたって義務的に誰何されたのだ。
「本陣に来るようにと言われたんだが」
 衛兵の視線と声は明らかに主従を見下すものであったが、異形の男は平然と答えた。
「必要あらば取次ぐ。名乗れ」
御厨子(みずし)飢左衛門(きざえもん)
 名前くらいは耳にしていたのだろう。異形の男が名乗ると二人の衛兵はほんの一瞬だけ男に目を向け、特に何を言い残すでもなく陣幕の中へと消えた。どこか無礼な衛兵の態度ではあったが、飢左衛門と名乗った異形の男は微塵も気にしていないようだった。
 が、年嵩の従者の方はそういうわけにはいかなかった。主人が小馬鹿にされていると感じたのであろう。即座に不満の声を漏らしていた。
「なんでしょうね、あの態度は」
「いいじゃねえか。俺なんぞに畏まってみせる方が気持ち悪いわ」
「呼んだのは向こうですぜ」
「そうだったか?」
「お頭、しっかりしてくださいよ」
 とぼけながら軽くあしらう飢左衛門であるが、お頭、と誠ノ助に呼ばれていることが、先程から辺りで異形の主従を注目している兵卒達には耳についてならなかった。
 武士たるものが主を呼ぶのに、お頭、などという言葉は使わない。お館、だとか、殿、だとか呼ぶのが普通である。ならばこの異形の主従はなんなのだ。兵卒達の聞き間違いだったのであろうか。
 否。聞き間違いなどではない。お頭、と誠ノ助は言った。その理由は簡単なことだった。この主従は武士ではない。飢左衛門という異形の男は南山城に根を張る、五十余名からなる御厨子党(みずしとう)の頭領であった。根を張るとは言っても、地侍や国人といった集団ではない。自らが生き延びるがためだけに、時には商人を、時には村落を、時には落ち武者を、見境なく襲う賊集団、いわば溢れ者の類である。
 そんな類の主従二人が、天下の畠山軍の陣中真っ直中にいるのである。周囲から浮いて見えるのは当然のことであった。
「本陣に呼び出されるなんて、どうしたことなんですかね?」
「さあな。聞いてみりゃわかることだ。ほれ、誰か出て来るみたいだぜ」
 飢左衛門が言い終わるやいなや、陣幕の中から一人の武士が衛兵に先導される形で姿を現した。
「ありゃ。増位(ますい)様」
 知った顔の登場に、飢左衛門は素っ頓狂な声を発していた。出てきたのは畠山家の被官、増位(ますい)掃部助(かもんのすけ)である。
「わざわざ御苦労だったな、飢左衛門」
「本陣に呼び出すたあ、一体どうしたことなんですかい?」
 普通に考えて、有り得ないことだった。
 飢左衛門を頭領とする御厨子党が京の都へと出てきたのは今年の初め、即ち三ヶ月ほど前のことになる。先年に起こった京の地を舞台とする大戦は、都の大半を灰燼に帰したにも関わらず、今をもって尚、収束の予兆を見せていない。
 が、戦場という舞台は御厨子党のような賊にとって、これ以上ない稼ぎ場だった。戦火に紛れての略奪に落ち武者狩りと、大金が転がっているのである。だからこそ、飢左衛門も御厨子一党を引き連れて京へとやってきた。
 その御厨子党も、ちょっとした成り行きで今や畠山軍の一員である。しかし、今日のように本陣に呼ばれるのは初めてのことだった。と言うよりも、こんなことは異常なことである。
「それは殿が直接お話になられる」
 増位の発言が御厨子の頭領にもたらしたものは、一瞬の絶句だった。
「ちょっと待って、増位様。てなことは、さっきの伝令が言ってたことは本当だったんで?」
「当然だ。付いて来い」
 さすがの飢左衛門も呆気に取られた。誇張だと思って疑っていなかったのだ。
 普段は陣外で、他の御厨子党員と雑魚寝しているだけの飢左衛門が本陣に呼ばれたのは、応仁二年の三月十七日も陽が暮れた頃だった。それも畠山家の当主を自称する、畠山義就(よしなり)の名をもってしてである。その旨を伝令から伝え聞いたときには流石に我が耳を疑ったものである。
「飢左衛門、行くぞ」
 有り得ない展開に呆然としていた飢左衛門も、陣幕の中へ入ろうとする増位掃部助に声をかけられ、我を取り戻した。
「お頭」
 心配そうな表情で飢左衛門の顔を覗き込むのは誠ノ助。
「大丈夫ですか?」
「ああ。お前はここで待ってろ」
 従者までもが本陣に入っていくのはまずいだろう。咄嗟に回った頭で、誠ノ助に言い残し、飢左衛門は増位の後に続いて陣幕の中へと足を踏み入れたのだった。
 夜風に靡く、白き布が作り出す通路。飢左衛門にとって、それはなんとも言えない不思議な風景だった。同時に今までに感じたことのない、何かおかしな緊張感にも襲われていた。真っ白な陣幕に囲まれた世界に入るのもそうだが、そもそも武士の本陣に入るのも初めてのことである。それが故の緊張感なのだろうか。
 いや、違う。そうではない。無論、恐怖でもなければ、喜悦や期待、不安からくるものでもない。そんなものではない。歴戦の古株がその程度のことで身を堅くするはずがない。
 と、飢左衛門はそう思い込みたかったのだ。即ち、四十三年の生涯を常に何かと戦い続けてきた異形の男を呑みこんでしまうほどの奇妙な雰囲気が、そこにはあった。何か得体の知れぬものが飢左衛門の体を包み込み、同時に彼の心音を速めていた。
 一体全体、俺をどうするつもりなのだ。
 増位の背を追いながら、飢左衛門が繰り返し自問することはそれだけだった。異形の男は必死に否定するが、やはり心音を速めている元凶は不安だったのかもしれない。
 確かに、昨日の戦では多少の活躍をした。御厨子党四十二名を咄嗟にまとめて戦い抜き、敗走する畠山軍の中で唯一、踏みとどまったのだ。御厨子飢左衛門という名も多少は軍中に知れたのだろう。
 だが、結局は負け戦だったのだ。敗軍の中で一矢報いたからといって、どこぞの骨とも知れぬ溢れ者が本陣に、しかも殿様から直々に呼び出されるなどということは有り得ない。例え、あれが勝ち戦だったとしてもである。
 やはり、どう考えてもおかしなことだった。
 白き道を遮るようにして現れたのは、再び紋の入った白き布でしか有り得ない。その白き布の世界の行き止まりまで来たとき、掃部助の足が止まった。
「飢左衛門。無礼な振る舞いは許さんぞ」
 こちらには返事をする暇さえ与えられなかった。夜風に靡く白い布の世界が、突如、掃部助の手によって開かれた。光。一瞬だけ、目が眩むほどの眩しさを覚えた。そこは赤い灯に照りだされた、白き布に囲まれた広き空間だった。中央には即席の大きな木机が置かれ、幾つかの床机《しょうぎ》がそれを囲っている。
 しかし、そうした光景よりも何よりも、飢左衛門に強烈な印象を与えてくる何かが、そこにはあった。その何かが、一番奥の床机に腰を下ろしている青年だと瞬間的に感づいたとき、飢左衛門は戦慄を覚えた。先程、飢左衛門の目を眩ませた元凶が灯や布ではないと直感したからである。
 人だった。
 緋色が鮮やかな威鎧を身にまとった、ざんばら髪の青年は腕を組みつつ、俯き加減に目を閉じているだけの格好である。にもかかわらず、百戦錬磨の飢左衛門を圧倒してくる何かがあった。
「お連れいたしました」
 増位の声に反応して開かれた青年の目が、飢左衛門の視線と正面から合った刹那、飢左衛門は不思議な衝動に襲われた。
「御厨子飢左衛門か?」
 その問いかけは決して大きなものではなかったが、低く野太いその声は、否応無しにも戦場に生きる男であることを感じさせるものだった。顔立ちのみを見れば端整な部類に入るであろう青年が発したとはとても思えない声音である。
 とにもかくにも、飢左衛門は青年の問いに頷くのが精一杯だった。
「俺が畠山義就だ」
 馬鹿な。
 こいつが、この男が畠山義就なのか。畠山軍の総大将であり、普通ならば決して自分のような者が顔を合わせることもできようはずのない、雲の上の存在であるはずの男。こいつがそうなのか。青年ではない。ではないが、若く見える。確か三十路は過ぎているはずだ。
 今世が如き戦乱の世だからこそ、今こうして自分の目の前に、その武士はいる。
 まったく、世の中どうなっちまってるんだ。
 呆然とする頭の中で、飢左衛門は再びその言葉を呟いていた。
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登場人物紹介

御厨子飢左衛門(みずしきざえもん)


南山城国の水主郷を根拠とする賊集団、御厨子党の頭領。

40を過ぎているものと思われるが、拾われ子であるため正確な年齢は不明。

畿内でも有数の大規模賊集団の頭領として、同業の中では多少、名を知られた存在。

骨川道賢(ほねかわどうけん)


多くの賊集団を統合し、畿内一の賊となった骨川党の頭領。

高野藤七(たかのとうしち)


高野党の頭領。

飢左衛門より一回り以上若いと推察されるが、闊達でさっぱりとした人物であり、飢左衛門もその人となりを認めている。

畠山義就(はたけやまよしなり)


三管領家の一つ、畠山家の家督を争う人物。

昨今における争乱の火種の大半はこの男が関わっていると言って差支えなく、またその舞台が御厨子党の地盤と被るため、飢左衛門はその存在を嫌悪している。

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