11 御厨子の頭領

文字数 4,747文字

 すでに丑の刻も過ぎた頃であろうか。稲荷山の参道を下り、畠山の陣所へと向かう四名の主従に言葉はない。来たときには常祐坊の減らず口が止むことなく夜空に響いていたものだったが、かの似非坊主も今度ばかりは闇に浮かぶ周囲の景色を眺めるばかりで、自ら口を開こうとする気配ない。誠ノ助も然り。その訳は彼らの頭領、飢左衛門にある。
 いつも陽気で悩むことなど全くないように見える御厨子の頭領であるが、ひとたび思案に暮れると、常日頃の素振りが嘘のような厳しい表情で、言葉一つ発しなくなることを、御厨子党に長く在籍する二人は知っている。今がまさにそのときだった。故に二人は、頭領の邪魔をしまいと黙って足を進めるのみ。
 この人は何を考えているのだろうか。
 髯にまみれた顔を俯き加減に、黙りこくったまま早足で歩を進める頭領の背中を眼にしながら、御厨子党の最年長者である誠ノ助もまた考えていた。
 いきなり本陣に召集されて出かけていった御厨子の頭領が、戻ってきたときには畠山義就直属の大将になっていた。その経緯を聞いて呆気に取られていた党員たちを尻目に、間髪入れずして宣言された夜更けの稲荷山行き。色々と驚かされることばかりであったが、中でも党員を驚かせたのは、その稲荷山に陣取っているのがあの骨皮道賢だということだった。気付いている者も中にはいたが、実際にそうと聞かせられると、やはり驚きは禁じえなかった。そして敢行された深夜の稲荷山行脚では、予期せぬ十五郎の暴走はあったものの、敵中の真っ直中という最悪の状況下において、我らが頭領は骨皮道賢に対して全く怯むことなく遣り合った。
 そして、激動の夜を終えようとしている今、御厨子の頭領は物思いに耽っている。
 深夜にもかかわらず、それも敵地へ乗り込むという危険を冒してまで決行した今回の行脚。目的など言うまでもない。
 骨皮道賢がいるという話が真か否か。
 真、だった。御厨子と骨皮という畿内でも一、二を争う賊の頭領が、ついさっきまで稲荷山において対峙していたのだ。前哨戦のようなものだった、と誠ノ助は思う。いつの間にか、あの道賢と御厨子党の決着の舞台が整えられつつあった。
 畠山軍の野伏懸に参加したのは成り行きだった。先日の戦いで奮戦したのも、相手が自分達と同じ賊であるとわかったからこそ、負けてなるものかと御厨子党全員が心を一つにしたが故のことだった。それが畠山義就の目にとまり、頭領が足軽隊の大将とされてしまった。しかも、敵はやはり賊だという。骨皮道賢だという。
 話ができすぎている、と誠ノ助が思わなかったと言えば嘘になる。しかし、必然であるのかもしれないという気もする。今という世が、戦乱の世であるからだ。
 世が乱れれば治安も乱れ、賊は好き勝手に暴れることができる。戦が起これば、賊にとって格好の稼ぎ場となる。戦乱こそ、賊が最も望むべくものである。
 今はまさに戦乱の世だった。世を統べるべき幕府はそれぞれの勝手な勢力争いから真っ二つに分裂し、一年にもなろうとする大戦を引き起こしている。ここ数年来、ただでさえ戦続きで混沌としていたところに今回の大戦であるから、賊にとってしてみれば生唾ものの事態であるのだ。
 現に高野党の藤七は京において名を挙げ、朝倉とかいう軍の中で一軍の大将にまでのし上がっているらしい。骨皮党の道賢もまた、この戦乱の世で名を挙げようとしている。賊が活躍し、のし上がっている。
 そして、我らが御厨子党も、両者には一足遅れはしたが立身の機会を得た。偶然ではない。偶然だけで、こんなことが起こりえようはずがない。
 やはり、時代。
 戦乱の世が、我ら御厨子党を、高野の藤七を、骨皮の道賢を、即ち暴れることを生業とする賊という存在を必要とし、桧舞台へと背中を後押ししているのではないか。この乱れた時代がもたらした産物こそ、賊の立身劇なのだと誠ノ助には思えてならなかった。
 故に、賊であれば誰しもが世の乱れを好む。戦を望む。乱世の到来を待ちわびる。自らの背を押してくれる時代を渇望する。賊であれば誰も彼もがそう思う。世間様もそう思っている。
 しかし。
 うちの頭領だけは違うのではないか、と誠ノ助には思えてならないのだった。
「誠ノ助兄貴」
 月明かりの下、長く続いた沈黙の時に最も早く耐えかね、闇に声を響かせたのはやはり常祐坊であった。背を向けたまま思案に没頭し、早足で進み続ける頭領を気にしたのかその声は小さなものだったが、月夜がもたらす静寂は思いの他、彼の声を響かせた。
「何考えてるんでしょうね」
「さてなあ」
 すぐ隣まで歩み寄ってきて囁くように話す常祐坊に返した誠ノ助の声もまた想像以上に響いたが、前を行く頭領は気に留める素振りさえ見せなかった。本当に考え始めるといつもこうだ。どんな些細な物音であっても耳に届いていないのだろう。
「京に行くかどうかでずっと悩んでたのはわかりますけど、京に行くって決めてからは、なんか前にも増してひどくなってる気がするんですけど。何かあったんですかね?」
「今回のはよりひどいな」
「どうやって骨皮を討つか、ってとこですか?」
「違うな」
「むう」
「そんなことでお頭が悩むかよ。あの人がこうなるときはな、いつだって御厨子のことを、俺たちが考えつかないような大きなことを考えているときだ」
 それは確信に近い。もう三十五年くらいになるだろうか。御厨子の頭領が飢左、飢左と呼ばれていた時期から見続けてきたからこそ誠ノ助は確信できた。
「骨皮退治を命じられて、稲荷山には骨皮がいて、互いに決戦を宣言して。考え込まなけりゃならないことなんて他にないじゃないっすか。御厨子のために、骨皮は討たねばならんのですよ。そうでしょ、兄貴」
 それは正しい。しかし、あの人が骨皮如きを負かすという小さな事でこれほどまで悩み抜くなど、誠ノ助には有り得ない気がしてならないのだった。加えて、今回の悩みようが普段にも増して深刻なのだからなおさらである。頭領の背中から伝わってくる雰囲気が異様なほど張り詰めている。
 であるならば、一体全体何を考えているというのか。
「一つ、気になっていたことがあったんだが」
 あれは水主から京へと向かう最中、野伏懸への参加を決めたときに頭領が露わにした、普段は滅多に表に出さない不快感。畠山義就という名を出すと同時に見せたあれは何だったのか。
「お頭、畠山義就が嫌いだったか?」
「へ。さあ。武士は嫌いみたいですけど」
 どうやら三ヶ月も前の些細なことなど常祐坊は忘れているらしかったが、どうも誠ノ助にはあの時の頭領の反応が引っかかっていた。
 確かに、うちの頭領は武士が嫌いである。長年見ているからこそわかることではあるが、どうも飢左衛門は賊という存在を必要以上に自虐的に捉えているところがある。時代に見捨てられ、淘汰され、どうしようにもなくなった弱者の集合体こそが賊と思っているところがあり、賊の誰もが好きで略奪行為に及んでいるのではないと考えている節がある。
 どこか、甘い。確かに間違いではないと誠ノ助も思いはするが、略奪という行為に悦楽を覚え、自己的に賊へと身を貶めている者も存在する。骨皮などが現にそうであるし、常祐坊も似たようなものかもしれない。が、飢左衛門はそうは思ってはいない。故に、戦に巻き込まれた廃村などで泣き叫ぶ子などを見ると、すぐに拾って水主へ連れて帰ってしまう。
 確かに、御厨子党は他の賊とは少し違う。先代の影響もあるのだとは思うが、党員の大半というよりは全てが飢左衛門の考えているような時代の敗者によって構成されているようなものだった。飢左衛門自身も拾われ子である。
 故に、己が欲望のためだけに賊へと身を貶める奴どもが信じられない。骨皮道賢が許せない。そして、時代の勝者である武士が疎ましい。
 そうした飢左衛門の考えは誠ノ助にはわかる。しかし、その先がわからない。
 確かに畠山義就は今日の戦乱の中心たる人物である。好戦的で、我侭で、ただ畠山家の当主になりたがためだけに従兄弟の畠山政長に戦を仕掛け、これほどの大乱を引き起こした最悪の元凶である。巷では誰もがそう言っている。特に畠山家の領地が南山城、大和、河内であるがために、南山城の水主を本拠とする御厨子党に与える影響も大きかった。奈良街道などは荒廃も甚だしく、その中心地であった奈島など今は廃墟に等しい。
 しかし、だからなんだと言うのだ。
「あっしなんかは水主近辺で戦を頻繁にやってくれて有り難いと思ってましたけどね、畠山義就は。働きどころが増えるわけですし」
 そう。普通は常祐坊のように考える。戦こそ、賊が望むべく最たるものなのだから。最良の稼ぎ場であるのだから。しかし、我らが頭領はそうではない。何故か、義就に対して不快感を持っていた。何故。
「わかんねえなあ、常祐坊。うちの頭領様は」
「ま、そこがいいんじゃねえですかい」
 お手上げだとばかりに、若干の苦笑いを浮かべながら言った誠ノ助に、やはり常祐坊も笑いながら帰してきた。
 まあ、確かに常祐坊の言う通りかもしれなかった。何を考えているのかはさっぱりわからない。今という時代や賊に関して、どういう考えを持っているのかもよくはわからない。
 それでも、この頭領が導き出してきた結論は、常に正しかった。やはり、畿内有数の賊を率いるだけの器であると、一回り以上年長の誠ノ助も認めており、だからこそ御厨子党にいる。甘いところがある頭領だとは思うが、そんな頭領を慕っている。党員の誰もが飢左衛門を慕っている。
 だから、いいのだ。
 今回も、きっと我らが頭領は最善の結論を導き出す。自分たち党員は、その結論に従っていればいい。自分たちの仕事は、頭領が出した結論を現実へと変えることだ。例え、頭領が出した答えがおかしなものであったときも、自分たちはやり遂げる。頭領の結論を決して過ちにはしない。だからこそ、三ヶ月前、誠ノ助は畠山軍の野伏懸に参加するという選択肢を見つけ出した。それによって、上洛を待ち続けた頭領の結論が間違いだったということはなくなった。党員は皆、最大限、頭領のために尽くそうとしている。
 何故ならば、頭領のことが好きだから。どこか甘いところのある頭領のことが好きだから。そして、御厨子を、水主を、そして御厨子党員を、その全てを背負い、一人戦っている頭領の苦労を知っているから。
 だからこそ、皆で支えるのだ。皆で、尽くすのだ。御厨子の頭領、御厨子飢左衛門を。
「なんだ。騒がしい」
 そんな考えに誠ノ助が帰結したときだった。黙りこくったまま歩き続けていた御厨子の頭領が、急に立ちどまり、素っ頓狂な声を上げていた。気付きもしなかったのもおかしな話だが、いつの間にか畠山軍が陣を布いている鴨川河原が月明かりに映し出されて遠目に見える場所にまで来ていたらしい。が、確かに聞こえるのは川のせせらぎではなかった。甲冑の擦れ合う音に馬の嘶き、加えて陣を構築しているのか夜中だというのに木を打つ音まで夜空に響いていた。
「援軍が来たみたいですね、稲荷山に行ってる間に」
「常祐坊。ありゃどこの軍だ。あんな紋は見たことねえ」
「こんなご時世ですからねえ。成り上がってきた新参者なんじゃないですかい。京に行ってた誠ノ助兄貴なら詳しいんじゃねえですか」
 言われて遠目に見てみると、畠山家の家紋である雪輪に薺、二つ両引きの二つの旗指物と並び立ち、せわしく動き回っている紋が確かにあった。それは京で偵察を行っていた時にも頻繁に目にし、また人々の口にもよく上がっていた紋であった。
 三つ盛(みつもり)木瓜(もっこう)
 なんともまあ因果なものだ、と誠ノ助は内心苦笑する思いだった。

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登場人物紹介

御厨子飢左衛門(みずしきざえもん)


南山城国の水主郷を根拠とする賊集団、御厨子党の頭領。

40を過ぎているものと思われるが、拾われ子であるため正確な年齢は不明。

畿内でも有数の大規模賊集団の頭領として、同業の中では多少、名を知られた存在。

骨川道賢(ほねかわどうけん)


多くの賊集団を統合し、畿内一の賊となった骨川党の頭領。

高野藤七(たかのとうしち)


高野党の頭領。

飢左衛門より一回り以上若いと推察されるが、闊達でさっぱりとした人物であり、飢左衛門もその人となりを認めている。

畠山義就(はたけやまよしなり)


三管領家の一つ、畠山家の家督を争う人物。

昨今における争乱の火種の大半はこの男が関わっていると言って差支えなく、またその舞台が御厨子党の地盤と被るため、飢左衛門はその存在を嫌悪している。

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