7 賊の戦

文字数 5,889文字

 先程から、どうも様子がおかしい、と感ずるところはあった。
 三月十五日早朝、突如として稲荷山に東軍細川軍の別働隊が現れ、占拠した。京は南以外の三方を山に囲まれた盆地である。唯一開けた南側の兵站を荒らされることは死活問題となる。故に翌十六日、これを殲滅するため、畠山義就自らが畠山軍の約半数に当たる三千騎を率いて京を発った。畠山軍の野伏懸衆は総勢で五百ほどになっていたが、そのうち二百が今回の遠征に当てられており、これまでの三ヶ月間を特に何を命ぜられるでもなく、隙を見て京で暴れつつも、のんびりと畠山軍中で過ごしていた御厨子党も運悪く従軍を強いられていた。
 特に何が起こるというわけでもない順調な行軍が続いていたが、敵軍が潜んでいるらしい稲荷を目前にして、どうも雲行きがおかしくなってきたらしい。
「誠ノ助」
 いつ何が起こっても良いように野伏懸衆の中にあっても御厨子党員四十二名は常に固まって行動していた。
「騒がしいですね」
「どうにもならなくなった時は逃げる。全員に伝えておいてくれや」
 頷いた誠ノ助が各々に指示を伝え始めている。八重吉や十五郎といった若い党員達は戦が始まるかもしれないと耳にして、どうやら浮かれているように見えた。それとは対照的に御厨子の頭領の頭の中には、そろそろ引き際かもしれない、という真逆の考えがあった。
 戦に巻き込まれるなど御免である。ましてやこれは御厨子の戦いではなく、武士の戦いなのである。関わるなど愚の骨頂という考えこそが、頭領が導き出す答えであるべきであろう。それに賊の戦と武士の戦は全く違う。賊にできることなど何もない。
 幸いにして既に稲荷山は目前であり、ここから南へ進めば水主なのだ。
 前方から凄まじい勢いで馬が駆けてくる。
「敵襲。奇襲なり、奇襲なり」
 狭い林道の中を、騎馬武者が叫びながら後方へと過ぎ去っていく。義就がいる本隊へ連絡に行ったのであろう。前方には遊佐(ゆさ)とかいう畠山の武将が三百ほどを率いて突出していた。いわゆる先鋒であるが、飢左衛門が遠目に望んでみても、明らかに騒がしい雰囲気があった。どうやら違和感に間違いはなかったらしい。
「野伏懸衆、戦闘準備」
 野伏懸衆は遊佐隊からかなり後れた二番手を進んでいた。烏合の衆に過ぎない野伏懸衆の行軍が遅いのは当前なのではあるが、先鋒の遊佐隊もまた行軍が早すぎたように思える。野伏懸衆の後方に畠山義就率いる本隊等が続いており、最後尾の後詰が誉田(こんだ)の軍ということだった。
「隊を整えよ、野伏懸衆は隊を整えよ」
 馬上から必死に増位掃部助が叫んでいるが、隊としての行動は遅い。どう見ても武人とは言い難い増位が寄せ集めの集団をまとめあげることなぞ、そもそも無理な話なのだ。増位は増位なりによくやっている。とりあえず御厨子党員だけは小さく固まらせた。
 他の野伏懸衆の面々は気合いを入れる者がいたり、青ざめた顔で震えているた者がいたり、奇声を上げる者がいたり、反応はまちまちのようだった。少なくとも、畠山義就軍の野伏懸衆の中に賊と呼ばれるような集団が他にいないことはこの三ヶ月で把握していた。
「前進あれ。前進あれ。野伏懸衆は遊佐隊左方へと進軍して遊佐隊を援護」
 後方から違う騎馬武者が疾駆してきた。叫びながら、そのまま前方へと駆け去って行く。
「進軍、進軍」
 増位掃部助が叫ぶと方々の指揮官からも同じ声が上がり始めた。ゆっくりと動き始めた野伏懸衆が駆け足程度の行軍になるよりも、後方から五十騎程の騎馬武者たちが土煙を上げながら駆け過ぎていくのが先だった。
 広いとは言いがたい林道の中で目まぐるしく隊が動き回っている。どうやら先鋒の遊佐隊はようやく林道が開け、稲荷を目前としたところで襲撃を受けたようだった。待ち伏せを受けたということか。どういった襲撃を受けているのかはここからではまだわからない。
 畠山全軍が動き始めていた。後方から襲ってくる息が詰まりそうになる程に強い圧力こそが、当世一の武人とされている畠山義就自らが率いる隊の圧力なのだろうか。
 やはり、本当の戦は違う。
 いくら飢左衛門が百戦錬磨とは言っても、これ程の大軍の中に身を置いた経験はあるはずもない。敵味方全部で百人前後といった小競り合いが、賊には精一杯なのだ。
「順番に隣に伝えていけ。御厨子は戦わない。離脱する」
 駆けながら飢左衛門は左右に言った。敵が何者かは知らないが、千程度の軍勢だと噂されている。こんな修羅場に関わってただで済むはずがない。まとまりのない野伏懸衆など一瞬のうちに瓦解するであろう。そこまで関わってやるほど畠山義就に義理もない。
 喚声が大きくなってきた。そろそろ林道が開ける。遊佐隊の後方に出られる。遊佐隊が明らかに浮き足立っているのがここからでも見てとれた。
 増位掃部助は伝令の通り、遊佐隊左方へと進むつもりらしい。脇を駆け抜けていった騎馬の一隊も同じらしく、その後ろに野伏懸衆が続く形となった。
「お頭」
 常祐坊が叫んだのは、ちょうど林道から抜け出て、視界が開けた時だった。何を叫んだのかよく分からなかった。立ち往生している遊佐隊の左方へと駆け出でる。
「遊佐殿、怯まれるな、怯まれるな」
 増位が野伏懸衆の先頭を駆けながら、か細い声で叫ぶのも虚しい。遊佐隊は、野伏懸衆と入れ替わるようにして林道へと壊走を始めていた。敵の位置は意外と近いがまだ白兵戦にはなっていない。だが、いつ突撃してきてもおかしくはないだろう。
 これは、まずい。
 咄嗟に左右前後を確認して頭領の目に入ってきたのは誠ノ助。
「誠ノ助、遊佐隊にまぎれてこのまま離脱」
 言い終わるよりも先のことだった。前方から馬の嘶きが耳に入ってきたその直後、駆けながら前を振り向いた頭領の目に入ってきたのは、棹立ちになった馬に振り落とされて落ちてくる騎馬武者、増位掃部助の背中だった。
 のわ。
 駆けてる急に足を止めることも適わず、御厨子の頭領は増位を受け止めるようにして戦場に倒れこんだ。
 なんてこった、と心中で思いつつ、体の上の増位を押しのけようと四苦八苦している時、御厨子の頭領は、見上げる真っ青な空を武士の戦場にあるべくはずのない物体が飛んでいるのをその目に捉えていた。
「早くどかねえか、増位様」
 ようやく押しのけた増位を覗き込んだとき、飢左衛門は今の光景が現実であることを思い知った。増位掃部助は昏倒していた。矢が突き刺さっているわけではない。槍に貫かれたわけでも、どこかを斬りつけられたわけでもない。増位の額には真っ赤な痕が残っている。飢左衛門はその痕跡をこれまでに何度も見てきた。
 (つぶて)だ。
 咄嗟に立ち上がった飢左衛門の目に、ついさっき隣を駆け抜けて行った騎馬隊が、これまた前方で立ち往生している姿が入ってきた。すでに数騎は馬上に人影がない。
「これは」
 側面にいるべきはずの遊佐隊は林道へと壊走を始めている。後方から続いてくるべき畠山義就本隊の姿は見えない。おそらく壊走してくる遊佐軍と狭い林道でぶつかり合う形となって進軍が滞っているのだろう。眼前の騎馬隊五十騎も壊滅寸前。唯一取り残された野伏懸集もその司令官たる増位掃部助が昏倒してしまい、遊佐隊の後を追って逃走を始めるものも出始めている。
 それでも野伏懸衆が完全に壊走に至っていないのには理由があった。昏倒する掃部助に巻き込まれた飢左衛門の周囲に御厨子党員が集まっているからである。そして増位の家人がいる。中心があるからこそ、どうすればいいか分からずに留まっている野伏懸衆がいる。
「お頭、これは」
「どこのどいつだ、誠ノ助」
 何故、とは思わなかった。御厨子もこうして武士の戦場にあるのだから。
「わかりません。けど」
 見ればわかる。相手は武士ではない。同業者だ。
 最初に見た瞬間、敵陣との距離に違和感があった。武士なら弓がある。もっと距離を取って何ら差し支えないのだ。相手が武士であれば、もう少し離れた場所で待ち伏せるのではなかろうか。故に飢左衛門は全てを理解した。
 我らと同じ、賊である。
 相手は間違いなく賊だった。武士は礫を使わない。礫などと言えば聞こえはいいが、実際はその辺りに落ちている石ころを投げつけているだけのことだ。そして、武士はこんな卑怯な戦い方はしない。堂々と互いに名乗りあい、互いに合図を出し合ってから戦いを始める。
 おそらく遊佐は林道を抜けて眼前の敵を視認し、まずはその距離感に戸惑ったであろう。そしてこの距離ならそのまま騎馬で蹂躙できると考えたのではあるまいか。名乗りを上げ、そのまま突撃したのであろう。それは相手の思う壺である。いきなり礫を投げつけられた遊佐は驚愕したのではなかろうか。想定していなのだから。本当の意味で完全な奇襲を受け、混乱したに違いない。そもそも、相手は武士ではないのだ。
 八重吉と十五郎を始めとした若い連中が前に出て相手に負けずと辺りに散らばる礫を投げ返している。すぐ前にいる騎馬隊が既に壊滅状態にあり、相手の礫の矛先が野伏懸衆へと向けられつつある。ただ、勢いは弱い。それに御厨子党員は全員が礫除けの小さな木盾を携帯している。
「どうします、お頭?」
 二百程いた野伏懸衆のうち幾らかは逃げ出している。自分と倒れこんだままの増位の周囲にいるのは百と少しといったところだろう。完全に戦場に取り残されていた。
 それでも、飢左衛門は眼前だけを凝視していた。
 何やら柵のようなものを築いているのは騎馬の突撃を防ぐつもりだったのだろう。その柵の後ろから続く礫の雨は勢いが弱まりつつある。用意していた礫がそろそろ底を尽いたのか。ざっと見たところ敵の数は二百程度だろうか。その誰もが徒歩、そしてその誰もが、まともな具足を身につけていなかった。
「誠ノ助、常祐坊、逃げたいか?」
 左右の手下に言いつつ、御厨子の頭領は手ごろな石をその手に収めていた。
「拙僧、武士の戦に興味はないですが。こうなっては話は別、ですよな、誠ノ助兄貴?」
「どうやら、こちらに運は味方しているようですね、お頭」
 にやりと笑みを浮かべた政ノ助の手にもまた石が握られていた。周囲を見ると、相手が遊佐隊に散々投げつけてくれた石ころが面白い程に散乱している。
「どこの誰だか知らぬが、御厨子が他の賊に遅れをとるわけにはいくまい、いくまい」
 常祐坊が大音声を上げると、周囲の党員もまた釣られるようにして喚声を上げた。そして皆が石を掌中に納めている。
 どこの賊なのか、飢左衛門には何となくだが推測が付いていた。これほどの数を揃えられる賊などそうそうはいないものだ。恐らく、間違いなく、過ぎたる野心に食い尽くされた問屋の倅だろう。
 ならば、逃げるわけにはいくまい。
 敵さんはどうやら完全に礫が切れたらしい。こちらを無力と見たのか、せっかく築いた柵から出撃を始め出した。粗末な胴丸に粗末な打刀、そして粗末な槍を手に、一斉に突撃に移る彼らは、武士と呼ぶには余りにもかけ離れた姿だった。
 確かに、こちらの方が数に劣る。半数以上は御厨子党員ではなく、賊ですらない寄せ集め。それでも、やるしかない。
「手前ら、全力で投げつけろい」
 叫ぶと同時に投げつけた掌中の礫は、柵から走り出してきた男の顔に見事的中した。
「全員で奴らを狙い打て」
 御厨子党員の礫の雨が、柵から突撃を始めようとする相手の出足を完全に止めた。
「おい、お前らも投げろ」
 呆然と成り行きを傍観していた党員以外の野伏懸衆も、誠ノ助ら御厨子党員に叱咤され、一斉に石を投げ始めているが、それでも動かないは増位の従者どもだった。
 こいつらは、どれだけ言っても投げないだろう。
 石を投げつけながら、飢左衛門は思った。武士は礫を潔しとはしない。槍を投げることさえ卑怯と厭う連中なのだ。
「手前ら、俺たちで敵さんは何とかするから、増位様を起こせ。しゃんと立たせとけよ」
 それが飢左衛門が出来うる精一杯の配慮であった。
「投げろ投げろ、投げまくれ。本隊が来るまで投げまくれい」
 しばらくは時間は稼げる。ただ、投げた石は、そのうち必ず投げ返されてくる。それまでには畠山義就の本隊が追いついてくるだろう。そうなれば負けるはずべくもない。
 こちらの礫の雨で相手は柵の中へと一旦、退く仕草を見せていた。礫を投げ返してくる気配はない。
 何かを待っているのか。
「お頭、もしかして」
 皆が相手へと礫を投げつける中で、隣の誠ノ助だけが後方の林道へと目をやっていた。
 敵は賊。武士ではない。我らと同じ賊。ならば、御厨子の頭領ならば、俺ならばどうする。
 相手は今上(きんじょう)最強と謳われる畠山義就。数でも劣る。ならば真っ向勝負は避ける。奇襲、そして同じく礫で距離を取るだろう。先鋒さえ追い返せば、後方から進軍してくる本隊と、壊走する先鋒とが、狭い林道でぶつかり合う形となって混乱が起きる。そこへ更に奇襲を掛ければ。
「待っているのか」
 稲荷の軍勢は千ほどではなかったのか。しかし前方には二百程度。
 振り向いた御厨子の頭領が目にしたのは、まさに飢左衛門が思い浮かべた通りの光景だった。林道から湧き出てきたのは、畠山の本隊ではなかった。武士ではなかった。紛れもない賊である。そして林からは赤い炎が上がろうとしている。
 やられた。
「飢左衛門、何とかしてくれ。何とかしてくれ」
 いつの間にか意識を戻していたらしい掃部助が、御厨子の頭領の胸倉を掴んで発狂していた。
「お頭」
 最前線にいた八重吉が戻ってきて喚いた。前方の敵が柵から出て再び突撃の構えを見せている。だが、むしろ異常に強い圧力は後方から迫ってくる。
「あんたは馬に乗れ、増位様。常祐、全員まとめろ」
 相手は林道への奇襲部隊にこそ精鋭を配していたらしい。異様な圧力を感じたその方向に、賊の間で麒麟児(きりんじ)と呼ばれた手練れがいるのを飢左衛門は見逃さなかった。
「八重吉、十五郎、退け」
 その麒麟児が先頭を切って突撃してくる最も死地に近い場所へ、若い連中が突撃していくのが目には入った。しかし声で止めることしか出来なかった。
 腕にしがみついてくる増位を従者どもが馬に無理やり押しやり、礫投げに専念していた党員を常祐坊が怒鳴り散らし、右往左往する野伏懸衆を誠ノ助が纏めようと走り回り、八重吉や十五郎らの若い連中が勝手に突撃を開始している。全ての状況を見て取りながら、頭領が考えるのは一つだけ。それが、自分のすべきことだった。
「死にたくなければ手前ら全員、俺に続け」
 活路はどこだ。
 地獄は始まったばかりだった。
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登場人物紹介

御厨子飢左衛門(みずしきざえもん)


南山城国の水主郷を根拠とする賊集団、御厨子党の頭領。

40を過ぎているものと思われるが、拾われ子であるため正確な年齢は不明。

畿内でも有数の大規模賊集団の頭領として、同業の中では多少、名を知られた存在。

骨川道賢(ほねかわどうけん)


多くの賊集団を統合し、畿内一の賊となった骨川党の頭領。

高野藤七(たかのとうしち)


高野党の頭領。

飢左衛門より一回り以上若いと推察されるが、闊達でさっぱりとした人物であり、飢左衛門もその人となりを認めている。

畠山義就(はたけやまよしなり)


三管領家の一つ、畠山家の家督を争う人物。

昨今における争乱の火種の大半はこの男が関わっていると言って差支えなく、またその舞台が御厨子党の地盤と被るため、飢左衛門はその存在を嫌悪している。

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