第8話 樹海 2

文字数 1,210文字

 足下に秋のパノラマが広がった。
「すごい、きれい!」
「暴れないで、ソラ」
 カナタはわたしを胸に抱く腕に力を加えた。
 見渡すかぎりの樹海は、濃い緑から今は赤や黄色に色づいている。吹く風は暖かく天気も上々、お出かけ日和だ。
 五十鈴の点検日に作業着のカナタが背負ってきたのは、ウイングの出し入れができる小型のグライダーだった。
「でもグライダーでしょ? どうやって飛ぶの?」
 わたしが尋ねると、カナタは人差し指で空をさし、事もなげに答えた。
「ジャンプする」
 と。
 まさか、と思っていたのに本当だった。
 枝の張り出しがない場所でカナタは地面を蹴った。
 わたしの目の前で十メートルくらい軽々と飛び上がったのだ。そのまま上空で翼を広げると風に乗り、周囲を一周してみせた。
 ぽかん、とみあげているわたしの前にカナタは翼をたたみ音もなくふわりと着地した。
「すごい、カナタ、すごい! 今まで旧式とか言ってごめん」
 カナタは困ったように笑った。
「一緒に飛ぶ?」
 カナタの申し出に思わずしっぽが盛んにゆれた。

 メンテナンスは広大な樹海に設置されている小ステーションを一つずつ動作確認して故障や補修箇所を探すこと。小ステーションは三十くらいのセンサーを管理する。そんなのが樹海には十ヵ所。一つ一つが離れている。道もない場所だから、飛ばないと仕事にならない。
「雪が降る前にすませないと」
 カナタは首の右側に手を当てると肌の部分を開き中からコードを引き出し、ダミー木のカバーを開けてコントロールパネルに接続させる。普段は人間にしか見えないカナタの皮膚の下は、わたしと同じ。細やかな歯車や配線を直接目にすると不思議な気分。
 あたりをぐるりと見渡す。本当にここは深い森なのね。舗装された道は一本きり。あとは籔か獣道。
「カナタ、頬っぺたが切れてる!」
 視線をカナタにもどして驚いた。カナタの頬から血がにじんでいた。
「血が……血?」
 ロボットが出血するわけないよ!
「枝に引っかけたかな」
 カナタは慌てず指で傷口をなでた。
「オイルが赤って。作った人は悪趣味……痛くないよね?」
 当然、とカナタがうなずく。あたりまえだわ。わたしだって痛覚はないもの。
「九条博士は凝り性だったから」
「あなたを作った人?」
「うん、ソフィア博士のご主人」
 驚いて籔を踏み外して葛に足を取られる。
「初耳、ソフィア博士は結婚していたんだ! じゃあパトリック博士はソフィア博士に……」
「片想いだね」
 カナタはわたしを籔から外してくれた。
「片想いってどんな感じかしら。わたしはパトリック博士と両想いだったから分からないわ」
 カナタの乏しい表情からも呆れた、というのが伝わる。ちょっと気分を害する。
「もう飽きちゃった! みんなのところに連れてって」
「もう?」
「三ヶ所も回れば充分。カナタは辛抱強すぎ」
「ソラは飽きっぽすぎ」
 ため息をついてカナタはわたしを抱きしめると、空に向かってジャンプした。
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