第9話 樹海 3
文字数 1,863文字
「もう終わった?」
すでに顔を赤くして酔った小川博士が声をかけてきた。
「ホントに何にも手伝わないのね。わたしはちょっとはカナタに付き合ったわよ」
ドームの研究員たちはバツが悪そうに笑ったけれど、基本的にみな上機嫌だ。
「でも、こっちのほうが楽しそう」
わたしはみんなのところへ駆けよった。
カナタは放射線の研究員に線量を確認してもらってから、また出かけた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
飛び立つカナタを見送る。あっという間に見えなくなった。
「ソラちゃん、ここにおいで」
小川博士は自分の膝をぽんぽんと叩いた。
折り畳み式の椅子に座る小川博士の膝に乗ると、背中を撫でてくれた。
草を刈りはらった急ごしらえの広場にテーブルと椅子をしつらえ、ドームから持ってきた料理を並べてある。サンドイッチに小さなおにぎり、色とりどりのオードブル。バーベキューもしている。お酒を飲んだり歌ったりダンスをしたり、それぞれに楽しんでる。もう完全にピクニック。
「けっきょく、ソフィア博士は来なかったのね」
「どんなに誘ってもダメだった。こんな上天気に外出日が重なるのは珍しいのに……残念」
それでもこの日のために用意したコートはしっかり着ている。
「ね、ソフィア博士の旦那さまってどの人?」
わたしは小声で聞いてみた。小川博士の手が止まる。
「……だいぶ前に亡くなったよ」
「そうなの? でも彼女、再婚してないみたいだけど」
そうなんだよねぇ、なんて小川博士はそのまま口ごもる。
「片想いってどんな感じ?」
隣でドーナツを頬張っていた黒岩博士が突然吹いた。
「それは聞かないであげて、ソラちゃん。小川博士はカタコイテーオー百四十七歳だから」
「百四十六だ!」
酔って赤くなった顔を更に赤くして、小川博士は甘党の黒岩博士に抗議した。
「片恋ってソフィア博士に? 残念、わたしあなたのことをけっこう好きだったのに」
小川博士は顔を手で覆ってしまった。
「もうキツい……パトリック博士がソラちゃんを喋らせなかった理由が分かりすぎて切ない」
それはわたしの声がソフィア博士のものだから?
「ぜったい手が届かないのに、『好き』とか同じ声で言われたら辛すぎる」
そうそう、と黒岩博士も同意する。
「今だったらパトリック博士に、好きなら会いに行きなさいって言うわ。待ってばかりいないでって」
わたしがそう言うと二人とも口を閉ざした。
「ここは往き来が難しい場所なんだ。ソラちゃんにだって何となく分かるだろう」
諭すように語りかける小川博士にカチンとくる。
「分かりませーん」
人間の都合なんか分からない。わたしは小川博士の膝から降りた。
そのまま会場を回ってみていると、新顔に出会った。
「犬、犬型ロボットか」
このあいだ配信されてきたから知ってる。新しく第三ゲートに配属された鈴木さんだ。
鈴木さんは名前も平均的だけど容貌も平均的な四十代だった。中肉中背。オールバックの髪に、作業着のまま。おしゃれをしている人の中で浮いて見える。そのくせ、あまり特徴のない顔。記憶のとっかかりになるものがない。
「さっき飛んで行った彼もロボットだね」
わたしはうなずいた。
「でも、ただの雑用専門なんだろう?」
「それはわたしのこと? カナタのこと?」
返事をしたわたしに、鈴木さんは片方の眉をあげた。
「ずいぶんはっきり話すんだ。外では見かけないタイプだ」
「そうよ。わたしとカナタは特別なの」
「へー、どんなところが?」
言われてから、返答の仕様がないことに気づく。カナタはスペシャルだわ。見かけがほぼ人。でもそれ以外には……。
「あれ? 意外にも平凡。でも彼、ピアスがエメラルドだよね。マスターのお気に入りだったことは確かみたいだ。いちど味見してみたいな」
カナタのピアスなんて細かいところまで気にしたことなかった。味見とかって、ずいぶん失礼。
「ああ、きみも可愛よ」
わたしは伸ばしてきた腕から身をよけた。毛いっぽん触られたくない。
なんだろう、この人。見かけと裏腹な感じ。
わたしはニヤニヤ笑う鈴木さんをひと睨みして回れ右をした。
ざわざわする。あんな人が新しいメンバーだなんて。第一と第二ゲートは無人で第三ゲートからは有人だけど、あの人で大丈夫なのかしら。
『!! あ……!』
体がびくんと震えた。
あの信号だ!! しばらく聞こえてこなかったのに。
『……っ!!』
ドームの外にいるせいか、前よりはっきりと聞こえる。何かを訴えてる…?
わたしは人の輪から離れて声のするほう、樹海へと足を踏み入れて行った。
すでに顔を赤くして酔った小川博士が声をかけてきた。
「ホントに何にも手伝わないのね。わたしはちょっとはカナタに付き合ったわよ」
ドームの研究員たちはバツが悪そうに笑ったけれど、基本的にみな上機嫌だ。
「でも、こっちのほうが楽しそう」
わたしはみんなのところへ駆けよった。
カナタは放射線の研究員に線量を確認してもらってから、また出かけた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
飛び立つカナタを見送る。あっという間に見えなくなった。
「ソラちゃん、ここにおいで」
小川博士は自分の膝をぽんぽんと叩いた。
折り畳み式の椅子に座る小川博士の膝に乗ると、背中を撫でてくれた。
草を刈りはらった急ごしらえの広場にテーブルと椅子をしつらえ、ドームから持ってきた料理を並べてある。サンドイッチに小さなおにぎり、色とりどりのオードブル。バーベキューもしている。お酒を飲んだり歌ったりダンスをしたり、それぞれに楽しんでる。もう完全にピクニック。
「けっきょく、ソフィア博士は来なかったのね」
「どんなに誘ってもダメだった。こんな上天気に外出日が重なるのは珍しいのに……残念」
それでもこの日のために用意したコートはしっかり着ている。
「ね、ソフィア博士の旦那さまってどの人?」
わたしは小声で聞いてみた。小川博士の手が止まる。
「……だいぶ前に亡くなったよ」
「そうなの? でも彼女、再婚してないみたいだけど」
そうなんだよねぇ、なんて小川博士はそのまま口ごもる。
「片想いってどんな感じ?」
隣でドーナツを頬張っていた黒岩博士が突然吹いた。
「それは聞かないであげて、ソラちゃん。小川博士はカタコイテーオー百四十七歳だから」
「百四十六だ!」
酔って赤くなった顔を更に赤くして、小川博士は甘党の黒岩博士に抗議した。
「片恋ってソフィア博士に? 残念、わたしあなたのことをけっこう好きだったのに」
小川博士は顔を手で覆ってしまった。
「もうキツい……パトリック博士がソラちゃんを喋らせなかった理由が分かりすぎて切ない」
それはわたしの声がソフィア博士のものだから?
「ぜったい手が届かないのに、『好き』とか同じ声で言われたら辛すぎる」
そうそう、と黒岩博士も同意する。
「今だったらパトリック博士に、好きなら会いに行きなさいって言うわ。待ってばかりいないでって」
わたしがそう言うと二人とも口を閉ざした。
「ここは往き来が難しい場所なんだ。ソラちゃんにだって何となく分かるだろう」
諭すように語りかける小川博士にカチンとくる。
「分かりませーん」
人間の都合なんか分からない。わたしは小川博士の膝から降りた。
そのまま会場を回ってみていると、新顔に出会った。
「犬、犬型ロボットか」
このあいだ配信されてきたから知ってる。新しく第三ゲートに配属された鈴木さんだ。
鈴木さんは名前も平均的だけど容貌も平均的な四十代だった。中肉中背。オールバックの髪に、作業着のまま。おしゃれをしている人の中で浮いて見える。そのくせ、あまり特徴のない顔。記憶のとっかかりになるものがない。
「さっき飛んで行った彼もロボットだね」
わたしはうなずいた。
「でも、ただの雑用専門なんだろう?」
「それはわたしのこと? カナタのこと?」
返事をしたわたしに、鈴木さんは片方の眉をあげた。
「ずいぶんはっきり話すんだ。外では見かけないタイプだ」
「そうよ。わたしとカナタは特別なの」
「へー、どんなところが?」
言われてから、返答の仕様がないことに気づく。カナタはスペシャルだわ。見かけがほぼ人。でもそれ以外には……。
「あれ? 意外にも平凡。でも彼、ピアスがエメラルドだよね。マスターのお気に入りだったことは確かみたいだ。いちど味見してみたいな」
カナタのピアスなんて細かいところまで気にしたことなかった。味見とかって、ずいぶん失礼。
「ああ、きみも可愛よ」
わたしは伸ばしてきた腕から身をよけた。毛いっぽん触られたくない。
なんだろう、この人。見かけと裏腹な感じ。
わたしはニヤニヤ笑う鈴木さんをひと睨みして回れ右をした。
ざわざわする。あんな人が新しいメンバーだなんて。第一と第二ゲートは無人で第三ゲートからは有人だけど、あの人で大丈夫なのかしら。
『!! あ……!』
体がびくんと震えた。
あの信号だ!! しばらく聞こえてこなかったのに。
『……っ!!』
ドームの外にいるせいか、前よりはっきりと聞こえる。何かを訴えてる…?
わたしは人の輪から離れて声のするほう、樹海へと足を踏み入れて行った。