第11話 ハルカ

文字数 2,842文字

 ワレラハ……

 どこからか唱和する声がした。男の子と女の子、若々しい張りのある声だ。

 ワレラハ
 ヒトビトノ
 イノチトザイサンヲ
 マモリヌクタメニツクス
 ムネノ
 ホノオガ
 キエルマデ


 どやどやと大勢が駆けつける音が響いた。
「ソラちゃん、大丈夫か?」
 ほんのわずかの視界に完全防備の小川博士が見えた。でも、もう左目は見えないわ。
「毛皮を剥いで除染を。それから第三ゲートの隔離室の準備。わたしもすぐに行くから」
 ソフィア博士の声。
 わたし、どうしたのかしら。体が動かない。話すこともできない。
 防護服のヘルメットごしに、ゆがんだカナタの顔が小さくぼやけて見えた。


「カナタ、出かけよう。新しい冬服が欲しい」
「だめだよ。午後からはメンテナンスするからどこにも行かないでってお父さまに言われたよ? ネットで買いなよ」
「いやよ、ショップで見てさわって選びたいの!」

 これはわたしの記録じゃない。
 目の前のカナタは、たしかにカナタだけど『わたし』は誰?

「ねぇ、早くしないと売り切れちゃう。ほら、これかぶって」
 キャスケットを渡し、カナタの手を引く。
「ハルカは強引」
 ため息をつくと、カナタはメッセンジャーバッグを斜めがけにした。

 ハルカ?
 これは外で拾ったハルカの記録だ。でもなんて不完全であちこち綻びているんだろう。ときどき場面が途切れる。

「あ、こら! ハルカ、カナタ、どこ行く気なの」

 銀髪を後ろで一まとめにした眼鏡の女性が、廊下の向こうから呼び止める。若いころのソフィア博士だ。

「ちょっとだけだから。すぐ帰るから見逃して」
 外へ駆け出し、カナタの手を取ったままで思い切りジャンプする。あっという間に目の前の高い塀を飛び越えた。

 飛びだした勢いで、長い髪と柔らかいスカートの裾がふわりと揺れるのがわかる。長い足、カナタとつないだ手。ハルカの笑う声。人型ってこんな感じなんだ。

「だって、こんなに可愛んだもん。アイドルにだってなれるわよね。あ、カナタも可愛いよ。わたしとおんなじ顔だから。でも、もうちょっと身長が欲しいな。アカリ姉さまくらいあればいいのに」

 場面が飛んだ。
 アイスクリーム片手にショーウィンドーに映る二人は、ローティーンの双子だ。
 二人とも緑の瞳。ブラウンの髪は、ハルカは胸のあたりまでの長さで、カナタは今より短め。
 お揃いのピーコートを着ている。カナタはグレーのチェックのパンツでハルカは、それのミニスカートに黒のオーバーニーのソックス。
 人目を引く愛らしさだわ。
「兄さまたちはいつも待機かメンテナンス、姉さまたちは始終アップデータか微調整。毎日なにが楽しいの?」
「楽しいとかそういうことじゃないだろ。ぼくらは人のために」
「人々の命と財産を守りぬく、って? 毎朝言わされてうんざり。カナタはヘイキなのね」
 カナタは肩をすくめた。

 いつものクセだ。

「ガッコウに行ったり、トモダチと遊んだりしてみたい。コイビトも欲しい。ね、パトリックって格好よくない?」
「……ソフィアがお父さまは、ぼくらの情緒を発達させ過ぎたって言ってた」

 アイスクリームの味。
 冷たい、甘い、乳脂肪分、苺の香料、カカオ成分。
 ほろ苦い…。

「勝手ね。自分たちで作っておいて。兄さまや姉さまみたいに、もっとお人形ぽくしていろって?」
 赤く色づいた枯葉が降り積もった歩道に落ちる長い二つの影。
「わたしたちのほうが……ヒトよりも」
 カナタは無言できつい眼差しを向けてきた。
「やだな、そんな怖い顔しないで。わかってる、三原則を破れるはずない」

『ロボット三原則』
第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また人間が危害を受けるのを何も手を下さずに黙視していてはならない。
第二条:ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない。
第三条:ロボットは自らの存在を守らなくてはならない。ただし、それは第一条、第二条に違反しない場合に限る。

 わたしたちロボットの『絶対』。
 ロボットは人の従属物。
 でもカナタもハルカも限りなく人に近い。人に紛れたら誰も二人がロボットだなんて思わないだろうな。
 今はそれほど完成度の高いロボットは存在しない。
 社会を乱すから……だからパトリック博士は、わたしを話せるようにはしなかったんだ。

 場面がモザイクのようにこなごなになって暗転した。
 壮年の男性は横たわるハルカの頬にふれた。

「人になりたいか、ハルカ」

 なんて濃い翳りを目元に宿しているのかしら。

「人になりたい願いが誰より強いお前は、私と共に罪に落ちる……すまない」

 まばたきもせず、白い天井を見つめてる。ハルカの体は動かない。もしかしたら、これはハルカも知らない記録なのかもしれない。

 彼が九条博士、お父さま?

「その日がきたら私も一緒にいこう。きょうだいたちも一緒に。淋しい思いはさせない」

「ソラ! 聞こえる?」
 ソフィアの声? わたしの声? 混乱してるみたい。厚いガラス瓶の中にいるみたいで音がくぐもってる。
  
 目の前で炎が弾けた。
 青い空に小さく見える火の玉が……五つ。
 あれはヘリコプター?

 ハルカが悲鳴をあげた。

「そんな! わたしは……攻撃する気なんか」
 
周りは燃えさかる炎だ。
 建物火災の現場なんだろうか。

 要救助者六名。
 防災ヘリ、墜落。
 救助ロボット・ハルカによる攻撃。

 現状の情報がどんどん流れ込んでくる。

「だって体がかってに」

 ハルカ暴走、制御不能。
 政府は正規軍のハルカへの攻撃を許可。
 胸部の動力発電池に細心の注意。

「うそ、ちがう、わたしは」
 
あああ!
 撃たないで!
 痛い、痛いよ!
 熔ける、熔けちゃう!
 助けて、カナタ!
 もうワガママ言わないから!
 助けて、手を……


「起動データにバグが入り込んでます」
 小川博士だ。
「駆除は」
 迷うようなソフィア博士の声がする。
「カナタができるから」
 声だけが聞こえる。見えるのはハルカの最後の記録。火の海に沈んでいく体。

 胸の熱が体を熔かしていく。
 "全員待避、汚染拡大……"
 傍受した無線。
 ただカナタに向けて出し続けるSOS。

「柩でデータを強制転送されたようです。クリーニング開始します」
 冷静なカナタ。

 何かがわたしの内側に触れた。
 多分カナタがアクセスしてきたんだ。

 洗濯機に放り込まれたら、こんな感じがするのかしら? なんだかぐるぐるする。
 渦の中にパトリック博士が見えた。一緒に住んだ部屋。通った大学の校舎。わたしを可愛がってくれた学生たち。
 少しずつわたしを取り戻す。
 ソフィア博士、小川博士に黒岩博士、根岸博士……。
 カナタ。
 耳鳴りのような音と共に四肢のつま先がピクリと動いた。
「ソラ」
 視力が戻ってる。
 みんなの顔が見えた。
「データは壊れていません。完全に復元できました」
 カナタと目があった。
「もうワガママ言わない」
 カナタは目を見開いた。
 ……言ってよ
 カナタからひそやかな信号が送られてきた。
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