第1話 緑の瞳 1

文字数 2,007文字

 夏の終わりの濃い緑がいきなり切れて青空が広がった。
 車の窓から射し込む陽射しが眩しくて、わたしは目を細めた。
 世界政府のロゴ入りの車に空港から乗ってすでに三時間あまり。その間、車内はずっと静かだった。
 まるでお葬式みたいに。
 もっとも、わたしと隣に座る林・ソフィア博士は文字通りお葬式の帰りだったんだけど。
 空港からの道のりは、高い建物は見るまに減って淋しい風景になった。
 アジア地区の極東の小島。
 世界政府発足当時の三百年前頃には、高い技術力と経済力で政府内での発言力が強かったはずなのに。
 ひとつの事故がこの地区を変えたことは知っている。
 もっとも最近は資源の枯渇や環境の汚染から、月や火星のコロニーに移住して地球全体の人口は減少傾向だから、どこも似たような感じではあるけど。
 とはいえ、どんどん深い森に入っていく。もしかしてこのままソフィア博士ごと始末されるんじゃないかって……思わないでもなかったけど。考えすぎだった。
 向かう先は、ほんとに辺鄙なとこなのね。
「間もなく到着です」
 大柄な運転手がぼそりと告げた。
「ソラ、見える? あのドームの中に住むのよ」
 わたしは答えずドームを見た。
 かなりの大きさだわ。森のなかにボウルを伏せたみたいな透明な屋根がある。
 そうこうしている間に車はコンクリートでつくられた巨大なゲートの前で止まった。思い鉄の扉がゆっくりと左右に開く。ゲートをくぐる前には身分証明の厳しい審査。指静脈認証に眼底毛細血管照合。それから車ごとの除染。オレンジの灯りのともる長いトンネルを進む。ゲートを五つ過ごして、いちばん手前の建物の車寄せに入るまでには結構な時間を要した。
「林・ソフィア博士、お分かりですね。今後のこと」
 わたしを挟んで反対側に座っていた痩せぎすでスーツ姿の、いかにも事務官といった男が博士を見た。
「承知しています。さ、ソラ降りて」
 博士は縁の赤い眼鏡の奥から、柔らかな視線をわたしに投げた。
 二百才近い年齢なのに、美しい人。長い銀髪を後ろにひとつにまとめている。腰も曲がっていない。すっとした立ち姿が凛として気品があるわ。
 わたしは博士に促されて下車した。
 見上げるドームの天井はとてつもなく遠くに見えた。
 博士と事務官は二言みこと言葉を交わしたあと帰っていった。
「ソフィア博士、おかえりなさい」
「カナタ、わざわざ出迎えなんていらなかったのに」
 声に振り返るとそこには看護師のような服装をした、十代半ばの男の子がいた。
「紹介するわ、カナタ。この子がソラよ」
 わたしはその子、カナタをじっくり見た。
 彼は小柄だった。癖のない栗毛色の長めの髪に緑の瞳。まるで女の子みたいなすべすべの肌。ずいぶんキレイな子だこと。
 覗いた瞳から探るような信号が飛んできた。
「博士、この子喋れますよね」
「ええ。パトリックはオフにしていたけどオンにしても私は構わないわよ」
 博士から説明を聞いてからその子はわたしの頭に触れた。
「じゃあ、オンに」
 ぱちん、と頭の回路が弾けた。
「気安くさわらないでよ!」
 わたしの喉から初めて言葉が飛び出した。
「え? ほんとに喋ってる! 聞こえる? わたし喋ってるのよね?」
「ええ、聞こえてるわ。ソラ……聞こえているから落ち着いて」
 博士ははしゃぐわたしを軽く諫めたけど止まるはずもない。だって作られてから百年以上話したことなかったのよ?
「あー、ほんとに窮屈だった! 飛行機も車も。はやく散歩に行きたいわ」
 わたしは体をひとふりした。自慢のチョコレートブラウンの毛がなびく。
「カナタ、今日のスケジュールが済んでいるならソラを案内してあげて」
 そう声をかけられてもカナタはじっとわたしを見ていた。
「なに? 犬型のロボットを見るのは初めて? それともわたしの愛らしさに驚いているの?」
「いや……こんなに、けたたましいロボットは初めてだから」
 ソフィア博士が吹き出した。
「わたしも、あなたみたいな人型ロボット見るのは初めてよ」
 カナタは肩をすくめた。
 ふつう人型はひたいにナンバーが打ち込まれているのに、それがない。たぶん違和感なく人として通じる。現行のロボット法より前に作られたのかもしれない。わたしのように。
「博士、リアルなダックスフントですね……喋らなければ」
「やっぱりオフにする?」
 博士が笑いを噛み殺しながら言う。
「冗談じゃないわ。言いたいことが山ほどあるの。特にソフィア博士、あなたにはね」
 ふっ、と博士は寂しげな顔をした。
「私もあなたに聞きたいことがあるわ。カナタ、このままにしておきましょう。出入りの少ない場所だから、話せるメンバーが増えるのはいいことじゃない?」
「博士がそうおっしゃるなら」
 カナタは素直にうなずいた。
「散歩がてら施設をひとまわりしようか」
「わたしをソラって呼んでいいわよ。わたしもカナタって呼ぶから」
 サービスに尻尾をひとふりしてあげた。
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