第19話 ソラとカナタ

文字数 1,537文字

 それから。
 カナタはよく笑い、よく泣くようになって……

 数えきれないくらいの年つきを一緒に過ごした。

 いま、ドームにはわたしたちしかいない。

「カナタ……」
「なに?」
「今は朝よね。暗いわ。それに雨降りなのかしら。雨があたる」
 ドームの天井はとうに破け落ち、樹海に沈んでだいぶ経つから。
「カナタ、わたしヒドイ格好でしょう? みんなが作ってくれたパーツも使い尽くして。体毛だってもうないし」
 わたしの自慢だったチョコレートブラウンの長いふさふさの毛はすり切れてしまった。
「そんなことないよ」
 カナタは膝のうえのわたしをなでた。
「体も動かせない。それに……もうあなたの顔が見えないの」
 ああ、また雨粒。
 わかっている。
 わたしの中の自律システムはもうすぐ止まる。
 そうなったら、カナタ。
 あなたを一人きりにしてしまう。
「八百年くらい?」
「うん」
 一緒にいられたのは。
「あとどれくらい?」
「数万年……それまでもつかな」
 カナタたちの胸の炎はまだ消えない。
 それでもだいぶ微弱になった。施設の発電装置はドームのゲートを固く閉ざすことと、カナタへ電力を送るばかり。
「火星や月へだいぶ移住したから」
 たぶんわざわざここを訪れる人も、襲い来るテロリストもいない。
 そうしたら、カナタは自由になれるかしら。
「先に行くね。待ってる……」
 体が冷えていく。
 あたたかい雨粒が体にあたる。
「さよなら、カナタ。だいすき」

 すべてが……止まる。


 ソラ……。
 きみが残した記録をもう何度見ただろう。
 きみのだけじゃない。
 きょうだいたちの記録も見続けたよ。

 ドームの周辺は静かだ。
 ハルカの信号もずいぶんまえに途絶た。ようやく眠れたみたいだ。
 炎はもうじき消える。
 骨組みばかりになって残ったぼくのボディ内のセンサーが、あと少しだって教えてくれてる。

 ソラの記録を見るのは楽しかった。
 欧州地区でパトリック博士と過ごしているきみ。
 パトリック博士のガールフレンドにわざと悪態をついてたね。
 ドームに来てからの日々。きみが記録していたぼくはひどく無愛想で自分で驚いたよ。
 それから、たくさんのひとを見送った。
 小川博士はお茶を飲んでいて体調が急変。
「ゆめをかなえたよ」って言ってた。
 ソラがソフィア博士の声でよかった。「ソフィアにほめてもらった」って満足そうに……微笑んで。
 黒岩博士は珍しく徹夜した翌朝に研究室で亡くなっていた。おきまりのチョコバーを手にしていたのには、みんな泣き笑い。
 根岸博士は朝ベッドで冷たくなっていた。人柄どおり、すべてを見通していたみたいに部屋はきれいに整理され、胸で指を組んで……。

 それから、それから……。

 初めてドームが破れたとき、修理に上がったぼくを心配そうに見上げるきみ。
 最後の職員とケンカばかりしてたけど、いつしか仲良しになって彼が亡くなってからしばらく塞ぎこんでいたきみ。

 記録に残されたきみの「こころ」の揺らぎ。こまやかな色彩と陰影。
 見たよ。飽きることなく、何度も何度も。

 ぼくの中の「こころ」はしぼまなかった。
 でも、もう動くこともできないけどね。
 いいんだ、ここは完全に忘れられたから。
 ぼくはぼくの役目を終える。
 眼は見えないのに……。
 へんだね。みんなが見えるんだ。
 ソフィア博士、小川博士。黒岩博士、根岸博士。
 兄さま、姉さま。

 どうしてかな?

 パトリック博士とお父さま……。

 誰かが手招きする。

 きみを抱いたハルカが笑っている。

 暗くなる。冷えていく。炎が消えてゆく。
 でも怖くない。

 ソラ、きみとの記憶がぼくをあたためる。

 ぼくは、幸せだった。
 
 ありがとう。

 みんなが呼んでる。
 カナタって呼んでる。

 あかるいほうへ ぼくは かけだす。 
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