四、夏(六月二十一日、二十三日)

文字数 5,663文字

これは山も無ければオチも意味も無い。どうしようも無い話。どうしようも無くて仕方が無い、つまりどうしようも無い。誰が。私が。
私はどうしようも無い AはBである 
どうしようも無いは救い難い BはCである
よってAはCである 私は救われない 
「難い」って希望?
 
「・・・・って聞いてる?」
 ユカちゃんは可愛いので好き。でも話は全然面白くない。
「ああ、聞いている。」
「っていうかいい加減大学ちゃんと来なよ~。ハヤト居ないと超つまらないよ~。単位やばいんじゃ無いの? 頭が良いのは知ってるけどさぁ」
「おお」
 ファミレスでの会話、隣の客の方が気になってしまう。男が二人で話している。
 
「いやぁ、俺もさぁ、初めはそう思ったよ。たださあ、なんつうのかなぁ~あいつは完全に開き直ってるね」
「うわっ、そうなん? それ一番タチ悪いっしょ」
 聞こえてくる会話。私はどうだろうか。
「この前言ってたお店にも行きたいしさ~。レナが彼氏と行ったらしくて~凄い美味しかったって言ってたよ~。今度行ってみようよ~! なんて言ってたっけな~? おすすめ、アラビアータだっけ? 超美味しいって!」
 隣の客の会話の方が入ってきてしまう。
「だろ? もうこの問題以前だろ。俺は昔、結構仲良かったしさー。否、でもあんな奴じゃなかったよー」
「へー、なんかあったのかねぇ、開き直った人間には勝てないって」
 聞こえてくる会話、もっともな事を言っているように感じた。
 ユカちゃんは私が幼い頃行ったトルコ文化村で売っていそうな勾玉のようななんともいえないネックレスをしている。お洒落なのか? バルス? 大変気になるけれど聞かない。
「具体的にさ~いつ行くか決めようよ~。予約早めの方がいいと思うし~、月曜以外ならバイトも変わってもらえると思うんだけど~。ハヤト、スケジュール早く出してよ~。二人で一緒に行きたーい!」
 私は話を右から左へ流していた。気分は秒単位で変わった。
「ごめん、帰るわ」
「は?」
「ごめん」
 立ち上がり一応形式的にごめん、とだけ言った。言っただけで謝罪の気持ちは無い。
「ちょ、え? は⁉︎ 映画は⁉︎」
 帰ることにした。私はどうしようも無く開き直っていた。
帰り道、街がグレーだ。色が無い。いったい全体(この気もちはなんだろう)鬱? そんな大層なものじゃない。五月病? 五月? じゃない。いつもの線路沿いを歩いて帰る。
 今現在、私は私という者を説明することができなかった。第一私の行動にはきちんとした動機が存在していない。一歩一歩階段を上る、跨線橋が好きだ。
 次の電車に合わせて飛び降りたくなる気分だ。そう言う気分には多々なるが気分だけなので許してほしい。
 以前の自分を思い出そうとして錯乱し全てのことに否定的だった気もするが、そうで無いかもしれないし、実のところよく覚えていない。今はそんな気力もない。愉しく無ければ、つまらないか、と聞かれたらそんなこともなかった。生きる気力も無ければ、死ぬ気力も無かった。あの感情は何処へいってしまったのだろう。何もかもが気に障り感情的、批判的、そうセンチメンタルであの頃は絶望的ではあったものの希望も微かにどこかにあった。
 「希望?」足が止まる。
 パーーーーー
 電車が通り過ぎて行った。理性を保っている訳ではないが、涙も出ず、そのうち涙が出ないということにすらも気付かなくなっていくのではないだろうか。足元を見ると汚れたスニーカーが仲良くしようと話しかけている気がした。いつも履いているもんね。ありがとう汚れたスニーカー。
ただ単に生かされ時間というものに身を任せている。裕福で平和な国だからな、と考えつつも実際どうでもいい、戦争と私は比べられない。何もかもがどうでもいい、私はここ数年であらゆるものを失い続け、得たものは今のこの感覚のみだった。
 ・・・・・・・これは焦るべきところではないだろうか。(まずい・・よし良いぞ! このまま体勢を立て直せ! 面舵いっぱい! これ以上右にきれない。)
 
「ソーファミソファミレ~ソーファミソファミレ~」
 ベビーカーを押す親子連れとすれ違う。幸せ、私には分からない、これから先も感じることが出来ないように思う。街で配っているチラシの入ったポケットティッシュをスルーするように大安売りをしていても例え無料だとしても欲しくない、というより受け取ることが出来ない。もしも私が『幸せだ』そう感じる時があるとすればその時の私は明らかに『感受性に問題がある』ように思う。幸せだと感じることの出来る人間の感受性に何らかの欠落がある? のか? 私には何が多くて何が足りないというのだろうか。
 コンビニで芋焼酎と氷とグレープフルーツジュースを買いたい。薬との飲み合わせが悪く大好物だったグレープフルーツは何年も食べていないが、小さい頃兄弟で仲良く剥いて食べた事を思い出す。
 サプリメントはコンビニでも買えるが足りないものが何だか不明なので補うことは出来ない。
レジ横の募金箱を見つめ、何に使われているのか分からないけれどおつりを入れ帰宅した。
「ただい・・ま」
 右手で電気を付けると、玄関には兄さんの靴の隣にはとても品のあるミキさんのミュールが綺麗に並んでいたので、付けた電気をそのまま消してキッチンに向かった。冷蔵庫を開けるとその光だけが私を照らした。私には勿体ないくらい明るい。グラスに氷を多めに入れ部屋にいく。部屋の棚にはおもちゃみたいなカメラが並んでいる。最近触って無いなあ、と思うだけ思って行動にはうつさなかった。少しだけ呑んで今日も終わりにしよう。カランと氷が勝手に音を立てた。
 
 五歳になる年、父が運転する車の助手席に座っていた。雨がザアザアと降っていてラジオとワイパーの音だけが頼りで何処へ向かっているのかは分からないが、何か飲みたいかと聞かれカルピスが飲みたいと言って途中で買ってもらった。缶のそれは空けてしまったら何処にも置くことが出来ず、ずっと両手で握りしめていたのを覚えている。父は一向に喋らなかった。
 前を走るタクシー、「元気ハツラツ?」とリアガラスに書いてあった。ハツラツでは無い。
 車は走り続け一時間位は経ったと思う頃、突然何処かに止まりラジオもワイパーの音も消え、いよいよ雨音だけが頼りになった。雨は強くなっていた。父は喋らない。窓からは電信柱に付いた一方通行の標識、何処かの団地と窓ガラスに付いた雨の水滴が連続的に見えた。
 父は私と二人きりの時に態度を変えた。
「ハヤト」名前を呼ばれ、缶のそれはこぼれ脚がベトベトになった。「ハヤト」父は誰が見てもおかしかったと思う。父の手は大きく血管が浮いていて指はごつごつしていた。家で二人きりの時は押入れに隠れたりもした。名前を呼ばれるのが恐かった。ハヤト、ハヤト、ハヤト、ハヤト、ハヤト、ああ、探さないで、呼ばないで、狭い暗い怖い、覆い被さって、こ、な、い、で‼︎
「ハヤト!」
 私は目が覚めた。そこにいて名前を呼んでいるのは兄だった。
「大丈夫かよ。お前~、すげえ魘されてたぞ。汗すごっ!」
「兄さんか、幽霊かと思った」
「はあ? 何言ってんの? お 前、それよか帰ってきているならミキに挨拶くらいすりゃあ良かったのに~。リビング真っ暗だしよ」
「ごめん」
「どんな夢みていたんだよ・・」
キッチンの電気を付け冷蔵庫を開けながら
「メシ食った? お、グレープフルーツあるじゃん! 気が利くねえ~」
「飲むかと思って」
 眼鏡、眼鏡を見つけても、まだ様々な部分がぼんやりとしていた。どんな夢をみていたんだっけなぁ・・・。あれなんだっけなぁ? 幻? 父だと思ったら兄で・・
「だからぁ~メシ食ったかって聞いているんですけど? キャッチボールして下さ~い。白いごはん、残ってるよ」
 私の目が? ついに? 幽霊な訳ないか。
「白米? 聞いてる、聞いてる、オ」
「お?」
「オムライス」
「おー! ナイス!」
「兄さん、シャツのボタンずれてるよ」
私は視力が良い。わざと口に出した。私は駄目な人間だろう、だからあなたの事も忘れてしまった。
 
 塾のバイトは嫌じゃない。
「岡崎先生、岡崎先生」
 同僚に声をかけられた。
「生徒結構増えたみたいですね」
「個別しかやってないので、あんまり分からないんですけど、そうなんですか」
「岡崎先生は夏期講習どれくらい入る予定ですか?」
 先のことは何も分からなかったので、返答に困って、濁してしまった。
「まっ、お互い頑張りましょうね、お先です」
(夢をつかめ 希望 絶対合格!)などと書いてあるポスターを見つめ、そろそろ帰る準備をしよう。そう思った時に名前も知らない、ただ私に好意があることは分かる女子生徒がやってきた。
「あれ、まだ居たんですね、最近物騒ですから、早く帰ってくださいね」
 名前も知らないその生徒は私の方を長らく見つめていた。ああ、嫌な予感がするな。
「岡崎先生って彼女とかいるんですか?」
「彼女ですか~? いない。かな?」
「・・・・」
私はこの間が苦手だ。その生徒に近づき顔を寄せた。こういう時の私はいつも正気ではない。開き直っている人間の怖いところ。生ぬるい空気一瞬止まって、「ガタッ」斜になった私の顔。まだ塾に残っていた山田サトシと目が合った。
「どうぞ、お構いなく」
 女子生徒は何事もなかったかのようにその場から立ち去った。
 
「先生、ちょっといいですか?」
その後、山田に声をかけられるとは思わなかったけど、面倒になる前に対応しよう。
「はい、構いません。何ですか?」
「えーはい、まあ一応、何ですか。今の。」
「あーその質問ね、外で聞くよ。お腹って空いてる?」
 今日はたまたま車で来ていて、山田を乗せて走らせた。見られたものは仕方がないし取り繕うのはやめるとした。
「車で来ていたのですね」
「知らない人の車、乗っちゃダメだぞ。電車の時の方が多いよ、お腹減ったなー。何食べたい? 私は正直何でもいいや、あんまり食に興味が無くってね、あーでも今は凄いモンブラン食べたい気分~」
「何か違くないですか?」
「え? んー、モンブラン?」
「キャラ」
「ミー?」
「ユー!」
指を差して言われたので、それを注意したら、それはいつもの岡崎先生っぽいとのこと。
「君くらいの時はね、やんちゃだったなあ。でも私勉強だけは出来たからねえ」
「つーか、あの」
「つーか? 何、どうぞ」
「いや、何というか大学って行って・・」
「行ってるよ、毎日ちゃんと! それは嘘ついたな」
「そうですか・・」
 お好み焼き店が見えて来ると
「チャーンス!」
 そう言ってハンドルをきった。
「モンブランないと思いますよ」
 メニューを見ずにカルピスとウーロン茶、もちチーズ明太を注文する。このお店は二度目だった。店内は他に端に二組客が居たが、話をするのには丁度よかった。初めましての人と会話が続かないと困る時に自分で焼くタイプのお好み焼き店は楽だった。私は何でもない間が恐かった。
「こら! 焼く係の人! しっかりしなさい!」
「え・・先生はそれなら何なんですか?」
「私は勿論まぜまぜ係さ~! まあまあ、良いじゃない、ところで今更だけど家って平気だった?」
「家は平気です」
 急に山田の表情が曇ってきた。どうやら家のことは聞かれたくないようで、私は続けた。
「結構家適当なんだ?」
「幾つだっけ親」
「母さんは三十八です。父さんのことは知りません」
「若っ! あ、そうだったね、母子家庭か」
「二つ上の姉がいます。先生は・・」
「外で呼ぶな」
「岡崎さんは兄弟とか居るんですか?」
「・・・・・」
 山田はソースを早めに塗った。もう少し焼いた方がいいのに。
「兄弟とか・・いや、別に、何でもないです」
 私はどんな顔をしていただろうか、どうやら家のことは聞かれたくないよう。山田はじっとカルピスにささったストローを見つめる。ストローを指差し
「飲みにくくないですか?」
 私は噛み癖があったが指摘されたのは初めてだ。
「私のこと知りたい?」
「・・・・・」
「何だ、社交辞令か」
「そうじゃなくて・・」
 山田に気をつかわせてしまった。
「私の知っている限りだと、母と、種違いの兄と、それと父が中学上る前に死んだ。それ以外はしらないな」
「・・・・」
山田に余計に気をつかわせてしまった。
「・・・・ってなんだよ。その間は。一瞬可哀想とか思った? それでいいよ。同情してくれ。ははははははっ。あんまり自分のことは喋りたくない」
煙草に火をつけた。
「でも話してくれた。どうしてですか?」
「山田と同じ、理由などない」
食後にと処方されている薬をパチパチと出し残っているうっすい味のカルピスで飲んだ。先が噛まれてるストローは飲みにくいな、と初めて思った。
「どこか悪いんですか?」
自分の左胸にそっと掌をあてた。
「心臓⁉︎」
「しー声が大きいよ。恋の病。なーんちゃって、冗談。胃が弱いんだよ。もう送ってくね。帰ろう」
車を運転してる間、山田が話した言葉は住所だけだった。そのまま二人はずっと無言のまま目的地、山田の自宅まで着いてしまった。
「ここら辺でいい? まあね、今日は何も見なかったという事で! というか何かあったけ? ではまた!」
「・・・・」
喋らないどころか動きもしなくなってしまった。私には山田が何を考えているのか皆目見当もつかない。
「ん?」
「・・・・・・」
こういう時に気が全く利かない。
 
何を思ったのか山田にキスをした。山田は相当びっくりしたのか肩をビクッと上に震わせ、困ったような、怒ったような顔をした。
「あれ? 違った? 何かして欲しいのかと思って降りないから」
「失礼します。ご馳走様でした」
車のドアを開けながら早口になった。何だよ、声出るじゃないか。
「ふっ」
 またやった。
私は今日も地雷を埋めていく。そして自ら踏みにいく。
 
 山田家は誰もいなくテーブルに千円札が一枚置いてあるだけだった。これでご飯食べてね、の意。指先を唇にあて千円札を傍観していた。
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