五、秋(過去)

文字数 3,448文字

「こちらブレンドコーヒーになります」
 大学生になって初めてのアルバイト先は古い喫茶店。客は同じ人ばかりが来た。あの客は砂糖を使わないし、こっちの客は変な時間にナポリタンを必ず頼むし、嫌でも覚えてしまう。夜のお店の面接とかもしている。面接官が頼むアイスコーヒーは結露だけが付き一滴も口を付けられていない。いつもそう。下げる。
 
「アイスミルク一つ、ガムシロップ無しで」
 女性は白いスーツを着て、髪は肩につかないボブくらい、頭のてっぺんからつま先まで全てが綺麗だった。それと、あらゆる全身の穴から色気が出ていた。これがフェロモンか。初めての客だった。
「アイスミルクになります」
 その女性はこちらを見てさっとアイスミルクを飲み干すとレジに向かった。滞在時間五分程。相当喉が渇いていたのか。
「500円になります」
「ここのバイト何時まで?」
「ん? 俺ですか?」
「他に誰かいる?」
 女性は笑いながら言った。
「えっ、もう直ぐ上がりますけど」
 そう言ってお釣りの500円を返すと指先が少しだけ女性の手と触れ合った。左手の薬指に華奢なリングをはめていた。
「外で待ってる」
 どうなる、俺。どうしよう、俺。
 
 白い車が止まっていた。
「どちら様ですか?」
「一度入ってみたいと前を通る度に思っていた。わざわざあっちのパーキングに駐めたのよ、後ろ乗って」
「はぁ。」
 俺は断れない。後部座席に乗った。車に興味が無いので分からないが高そうな車だな、なんて呑気に思っていた。
「知らない人の車に乗っちゃいけないって習わなかった?」
 女性もどうやら呑気だ。車内は女性とおんなじ空気、匂い、聞いたことあるけれど誰の曲だか分からない洋楽、トータルコーディネート?
「習った・・ような? 気がしてきました・・どこ向かってます?」
「ホテル」
「えっ、」
「同意?」
「えっ、は、はい」
 ヤケクソだった。
 
 ホテルに着くと女性は直ぐにベッドに横になった。
「あ~疲れた! 今日も働きました私! ま~座ってよ。岡崎君」
「え?なんで名前」
 ガバッと起き上がると笑顔で自分の胸元をちょんちょんとした。ああ、バイト先で名札を付けていたわ・・・。
「岡崎君ですどうも」
「下は? あ、煙草平気?」
 平気かどうか返事をする前に火をつけていた。
「平気です。ハヤトです。勇人。貴方は?」
「名前? 知りたい? 隣、座って」
 ちょっぴりムカついて興味ないフリをした。
「いや、別に」
ベッドに腰掛けた。
「あっはっは、面白いねぇ君、あーハヤト君見た目だけじゃないね、気に入っちゃったわ」
女性はとてもご機嫌。俺も煙草に火をつけた。
「はぁ、そうですか、何か面白いですか?」
「ははははははは」
「酔ってます?」
 すると隣でキリッと表情を変え言った。
「いええ、全く」
俺の嫌いな沈黙。身体の右半身がピリピリ緊張している。左手には煙草。視界には女性の脚を組んだ太もも。眺めていた。
女性はすると立ち上がり煙草の火を消すと俺の足と足の間にしゃがみ込み入ってきて両腕を腰に回すと下からこっちを見ている。これが上目遣いか。
無言の時間が続き俺の煙草が限界を迎えるその時、咥えていた煙草を右手で取られ火を消した。左手の親指は俺の口内に入っていた。何なんだろうな、この女は。名前・・なんて、まあいいか、どうでもいいか、暫く指を舐めるように指示された。指を抜いては自分の口に入れ俺の口に入れそれを繰り返された。
人間の本質を感じることが出来た。押し倒したりもできるが俺は絶対にしない。
「ねぇ?」
「はい」
「ドキドキする?」
「・・・・してます」
「正直だね、そういう子が好きなの」
 そういうと俺の肩に手を置いてゆっくり倒した。子って・・・リーリーリーリー電話が鳴り響く、俺のではない。
「電話、鳴っていますよ」
 電話も俺も無視をする。リーリーリーリー
「で、ん、わ!」
 音が止まった。
「よかったのですか出なくて電、」
 その瞬間キスをされた。うるさいな、黙って、と捉えた。俺の心のコップの水が溢れた。もう無理、だめだ。リーリーリーリーまた電話。この音は現実に戻してくれる。
「急ぎなんじゃないですか?」
「もしもし」
 俺に向かって人差し指を立ててシー! とやった。今喋る馬鹿がいるか! と思ったがいるのだろう。俺は大勢の中の一人なのだろうな。そんなことも思った。
「あー、はい、もう今日このまま帰るから、朝イチで持って来れる? あーはい、よろしく。お疲れ様ね」
 果たして俺に恋など出来るのだろうか、セックスが出来るのは分かった。
「忙しそうですね」
「良いことよね」
 そう言って俺の上に乗っかってきた。良い香りがずっとしている。
「良い匂いがします」
「そう?」
「何かつけているのですか?」
「体臭? ははは」
 茶化された。服を脱ぎ始めたので恥ずかしくて横を向いた。
「ウソウソ、つけてる、つけてる、毎日同じの」
 俺はなされるがまま。服を中途半端に脱がされながら話を続けた。
「匂いってね、消せないんだって、いくら集中しても嗅覚だけは働くんだって。凄いよね。頭の中でキュピーンって記憶に繋がるらしいよ。私がつけてるのはね、コントラディクションってやつ」
 コントラディクション、矛盾。
「なんかこの香り懐かしい感じがします。数回嗅いだことがあるような」
「そう? 理性と本能とかね、強さや弱さ、包容でいて奔放、セットでしょ。常に自分はアンビバレンスだから愛と憎しみは同じこと」
「よくわかります・・」
「ほんと~? 好きと嫌いは同じところに存在していてその反対はどうでもいいってやつ。よく言うけどそう思うよ」
「よくわかります・・」
 正直言うとよくは分かっていなかった。言っている意味は理解できたが、どうしてそれをセックスしながら俺に話すのかよく分からなかった。
 
 
「お風呂入ります?」
「うん! 折角だから泡風呂にしよう!」
 大人なのか子供なのか、コントラディクション、アンビバレンス。
「みて、みて! あわあわだ~! すごーい!」
 お風呂に一緒に入った。後ろからかかえるようにして。
「どうして俺なんですか?」
「どうして俺かー、ん~分かんないな、全てに動機は必要? 若さって凄いのよ。若さって」
「じゅうぶん若いですよ」
「ははは、そうじゃないでしょ、いいの、私は恋がしたいの。そうね~丁寧なところが好きかな。所作が綺麗というか。だから『俺』じゃなくて『僕』とか『私』のが合うんじゃない?」
 やっぱりこの女性はトータルコーディネートしている。そう思った。
「・・・初めて言われました」
 そこからお湯が冷める度に熱湯を入れては長風呂をした。
「全然関係ないんだけどさ、眼鏡似合いそうな顔~目悪い? コンタクト?」
「目はいいです。眼鏡ですか、初めて言われました」
「今度見に行こっか! 選んであげる~」
 今度、今度があるのか。
俺はこの人を好きになるのだと思った。それは愛だとか恋だとかそんなことはよく分からなかったし、どうでもよかった。けれどこれからもっともっと、この人を好きになるのだとなぜか深く確信していた。そして同時に本気になってはいけないとも気付いていた。
 
「ハヤトは趣味とか無いの?」
「無いですね。ゲームはしますけど、趣味と言えるほどでは」
「音楽とかさ、スポーツとか? 何でもいいんだけど」
「無いですね、歯磨きます?」
 無趣味な俺は歯ブラシに歯磨き粉をつけて渡した。すると女性は振り返り
「あ、昔の知人が個展やるんだって。そういうのに行ってみたら?」
「油か何かですか? 絵心皆無ですけど」
「え? 違う、違う。写真」
「私も学生の時、やっててさ、写真好きなんだよねえ」
 今度は背中を向けて喋りだしたけれど歯磨するのかどちらかにしてほしい、聞き取れない。楽しそうなのでいいや。これでいい。と思った。
 
女性は帰り際に俺に封筒を差し出した。電話番号が書かれてある。馬鹿でも中身はわかる、現金だ。
「受け取れません」
「言うと思った」
面倒臭そうな顔をされた。それがショックだった。
「受け取ってもらえないともう会えない」
初めから本気になるなと言われているようだった。
俺は封筒を受け取ることにした。
「よかった!」
 大人で子供なこの人のことを好きになるのだと、足らない頭で考えた。
 
「いい加減、名前教えてくださいよ」
「カオリ、気に入ってないの。好きに呼んで」
女性の名前はカオリ。凄くいい名前だと思ったけれど気に入って無い理由は聞けなかった。
俺、いや、私の中で女性はカオリさんただ一人だ。
 
 
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み