一、夏(七月六日)

文字数 4,463文字

「私は永遠を信じていたんだ」
伸びた手が震え、左半身は大地と重力を感じ、小鳥の鳴き声と共に目が覚めた。視界が九十度傾いてベンチが見える。私はベンチより下の土の上に横たわっているよう。こんな所で目が覚めるなんて、人生何があるか分からない。何処に居るか確認が取れたので、ズレた眼鏡を無視し、野外で寝ている事実を受け止め諦め、もう一度目をつぶり二度寝をする事にした。
(私は至極勝手な人間ですが生きて欲しいと想いました。早朝と夕方はどうですか、夕方は混み合っています。早朝はがら空きですね、どちらも好きです。濃度はどうでしょう、朝の方が貫禄はありますか、でも大丈夫、朝も夜も毎日のことです。そういえば昼間のお月様は人気がありませんね、たまに見えるとラッキーな気持ちになりますか。昼の月はうさぎさんが居る様には・・・・まあ折角なのでお出かけでしょう。アメ横もたまには良いです。)
何日もカーテンを閉め、自宅から出ない日が続くと、一体これは朝日なのか夕暮れ時なのかと不明な時がある。私は方向感覚が無いに等しく改善する気持ちも無い。大地は朝を教えてくれた。ギャグかとばかりによろめき立ち上がる。どこで起きても気持ちと身体とのバランスが取れていないのでよろめくのは同じだった。パンパンとあらゆる箇所の砂を払う度に、同時に頭に激痛がはしった。呑み過ぎた。昨日の夜の記憶が無かった。思い出せないという事は、思い出したく無いのだと思い込ませ、これから働きに行くであろう人達をぬって駅へ向かった。腕時計は七時をさしていた。駅には沢山の人が居たけれど私と行き先は違うよう。昨日私は一体何をしていたのだろうか? あまり考え無いようにしようと思った。
「向かい風だな」
なんて呟き、殆ど乗車客の居ない方の電車、二番線に乗る。折角なのでロングシートの真ん中に座った。いつも端から座るかと言われたらそうでも無いけれど。なんだ、私は通常通りか。カラコロカラ、電車の車輌の端から空き缶が転がってくる音がする。カルピスの缶を目で追いかけていた。カラコロカラ、カラコロカラ、缶は誰も乗っていない車両を行ったり来たりしていて私の思考を導く手伝いをしてくれた。窓から差し込む光が眩しい。これが東向きか。電車の少ない揺れでも頭痛がする。このまま乗っていたく無いけれど降りたくも無いし、終点の大宮駅へ行っても仕方がないので、きちんと自宅の最寄り駅で下車する事にした。
自宅に着く頃にはお日様のお陰で身体はへろへろ頭はガンガン喉はカラカラ。
「予期せぬ答え ルネマグリット」というフレーズがループしていた。
 家に着くと水をガブ飲みしてシャワーを浴びて仮眠をとった。当分禁酒する、これだけ結論が出た。私は駄目な人間だろう、だからあなたの事も忘れてしまった。

 いつもだったら休んでしまうが今日は行こうと決めていたので、自分のルールに従い、大学に来た。えらい私。三限からなので学食でカレーを食べよう、心に誓った。食欲はある。
二日酔いには流し込む系と相場が決まっている。冷やしとろろ蕎麦が無ければカレーがもってこいだと、そうあの人から習ったのだ。カツを付けても360円。270円のカレーを食べる。ルーを流し込んでいると面倒見の良い友人トオルがやってきた。こんな私にも有り難いことに同性の友人は居る。
「ハヤトー!」
「おー」
「最近どう?」
「あいが?」
「ユカちゃんだよ」
「あー? 連絡してない」
「え? 別れたの?」
「いや?」
「いや? じゃないよ」
 コツコツコツと食堂に響くヒールの音がどんどん大きくなって、私の前で音は止まり、トオルと目が合い、なんとなく予感はしていたので驚きは無かった。残念なお知らせです。もう既に泣いているユカちゃんだった。早口で捲し立てて大変お怒りのよう。私は怒られている。怒っている人は怒っているという事実しか伝えてこないし何を言っているのか聞き取れないし何を言われてもよかったし、私はユカちゃんをチラリと見て、ああ、黒い涙だ。折角のメイクがだいなしだよ。
 カレーをスプーンですくってもう一口。バシッ! 眼鏡の上からビンタされた。カレーを食べようとした瞬間にユカちゃんの怒りはマックスを超えたようだ。最悪のタイミング、勿論カレーは飛び散った。ユカちゃんはこの食堂にいる全員に聞こえる声のトーンで私の悪口を言って満足したのか最終的には泣き止み去って行った。早漏、ブイネックがダサい、この二つだけは記憶に残った。無言で眼鏡を掛け直すと向かいに座って居るトオルが
「ハヤトさあ・・・・他に何かあるだろ?」
何も応えない私に続けて
「まあいいや、今日呑み行かない?」
 禁酒を誓った今朝の事を思い出したけれど、私の心の中だけの誓いなので、口頭に出して誰かに宣言したりはしていない。簡単に無かった事にした。カレーの白米は残してルーだけ食べた、誰にも怒られない。
「ごちそうさまでした、バイト終ったら連絡入れるわ」
「了解」
同じ大学の女性はやめよう、禁酒などできるはずも無い、結論が出た。


 
 塾のバイトは嫌じゃない。元々勉強は嫌いじゃない。
「岡崎先生、さようなら」
 今は背の高い男子生徒の個別指導をしている。山田サトシ君。とても素直でいい子だし、最近少し仲良くなったし、このバイトは割りがいい。
「はい、さようならー、気をつけて帰ってください」
 塾自体に生徒は沢山いるが私は個別授業しかやらなかった。理由は出来ないから。ただそれだけ。
「せんせ、さようなら」
私の事を「せんせ」と以前から平仮名で呼ぶ女子生徒から明らかに好意を感じていた。好意だとか悪意だとかを察知するのは得意だけれど上手く使えた試しがない、いつもそう。
「さようなら」
今回も失敗したばかり。女子生徒はドアを開けてから、もう一度、私を見て軽く会釈をした。バイト中は岡崎先生らしくした。今朝、大地と共に野外で目を覚ました事なんて誰も知らないのだから。
 
「いらっしゃいませ~」
友人といつもの居酒屋で待ち合わせをしていた。着いてすぐにユカちゃんの話をしてきた。その話はもういいのに。
「どういうことなんだよ・・・・あ、ハイボール二つください」
「どうもこうもないよ、というか初めから何も無いというか」
「いやいや、付き合ってただろうよ?」
「そう見えたならそうじゃない?」
「最後に会ったのはいつなの?」
「今日だよ」
「そうじゃねぇよ、今日は居ただろ、俺も! 相変わらずだなー」
「あー、えっとね、丁度、二週間くらい前だったかな? ゾンビ系の映画が観たいとかなんとかって。」
「映画? デートしてるじゃん」
「いや、観なかったんだけど結局」
「なになに、どういうこと?」
「ファミレスでお茶をしてたんだけど、隣の客の会話が気に触れて、私先に帰ったんだよね」
「はぁ? チケット買ってたのに? 突然?」
「そうだけど」
「正気? ユカちゃん、その後どうしたの?」
「いや、知らないよ、私帰ったし」
「サッパリなんですけど・・・・・あー何でもね、何も言って無いでーす。ナンコツと大根と・・えっと、はぁ、ハヤトお前変わってるよ。すいませーん! ナンコツ一つとパリパリサラダ下さい」
「私からしたらトオルが変わっているよ」
「んあ?」
「私からしたらトオルが変わっている。つまり皆変わっているって事じゃない?」
私のマナーモードのスマートフォンが震える。トオルは掌をこちらに向け「どうぞ」というジェスチャーをした。私と喋りたく無くなったのか。
「もし? うん、うんうん、分かった、うんうん、別に何も、うん、いいよ、うんうん・・・・・・・うん・・うん分かった。じゃあまた」
 トオルは呆れた顔をしていたけれどそれもいつもの事だし私も気にしない。
「随分一方的な電話だね」
 トオルはまた、変なことを言う。
「皆、そうじゃ無い? かかってくる電話に用は無いだろう。少なくとも私は無いよ」
 そう言い私は煙草に火をつけた。
「煙草、今時流行ってないよ、まぁーでもさ、なんだかんだ人間てお互い助け合ってさ、生きていくもんでしょ、落とし所ってそのためのものじゃないの?」
 話を聞いて欲しいとばかりに、ニタニタして居たらトオルは見兼ねて話を止め、ため息混じりにイライラした口調で聞いてきた。
「何だよ、ニヤニヤするな。今度は誰?」
「ユリちゃん」
「はあ? 誰だよ、」
「だからユリ・・・」
「彼女? あー、いや、ごめん、聞いた俺がバカでした・・・そうやってさあ、色んな人引っ掻きまわしてさあ、お前さあ、たのしいの? 疲れない? 一人と真剣に向き合えないの?」
 居酒屋のBGMの懐メロが急に小さく聴こえ、一瞬時が止まった気がして、ちょっぴり間があったと思う。
「意味が無いから」
「あっそ」
 あの人の事を知らないから説明が出来なかった。あの人でない限り、誰が何人居ても変わりは無かった。何だか嫌な所付いてきたな、返答に困ったのは事実だった。今日も呑み疲れた。
トオルと駅まで歩き、分かれるのだが、トオルは分かれ際が物凄く長いことを知っている。駅に着いてから何か話し出すのだ。路線は別々。だから私はいつも黙って改札を抜けてから振り返り挨拶をする様にしている。今日もその手を使い、ピッとタッチをしてから
「また」
 と言った。
 
 最寄り駅に着き、なんだか明るい空を見上げたら、子供の頃の記憶が蘇ってきた。夜の月は人気だなあ。(月はどこまでもついてくるので何でもお見通しかもしれません。)
 
「ただいまあ~~~かえりましたよう~!」
「おかえり、うわ、酒臭い!」
 迎えてくれたのは兄のカナメ。なるべく顔を見せたく無いので長い前髪を垂らし下を向いた。ハイカットのスニーカーは面倒だ。
「無い、無い、無い! 靴、靴! ここは日本ですよ!」
 自宅は土足禁止。
「やっぱり、ただいまって言ったらおかえりだよね! ただいま! ただいま!」
 私はただいまと言っておかえりと返さない人が嫌いだった。それだけじゃなく、いってらっしゃい、いってきます等当たり前の事を指している。
「はいはい、おかえり! どれくらい呑んだのよ?」
 そう言って兄は脱ぎっぱなしの私の靴を揃えキッチンでコップに水を沢山入れて持って来てくれた。私は背中を壁に預け冷蔵庫の前でどんどん小さくなり体育座りをし、兄を見ない様にずっと下を向き何処にも焦点を合わせないようにしていた。質問に答えられない程酔ってはいない。
何度でも言われたい、おかえり。
「ただい・・・」
(この気もちはなんだろう)
「おかえり。ハヤト。お兄さんはお仕事が明日も早いから寝ますよ?」
「・・・・・・・」
「寝るよ?」
「・・・・・・・」
「キャッチボールして~! 寝るね! お水飲むんだよ、おやすみねえ~」
 兄の後ろ姿をぼんやりと見たら左手を横にひらひら振っていた。自身の感情をコントロールしたかったので気付かないフリをした。
「おや・・すみ・・」
 コップを握る両手がぼやけて見えるのは震えているからか、それとも涙のせいなのか。明日は七夕、必ず雨。
 
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