怨15 感染 鹿児島市

文字数 1,765文字

硫黄の臭いが風に運ばれる街。
人口65万人を抱える中核都市・鹿児島市。
週末の夜。
繁華街「天文館」は人もまばらで、アーケードから飲み屋街へ通ずる大通りの交差点を人々は足早に通り抜けて行った。
近頃では、隣接する区域の再開発に客を奪われ、南九州隋一と謳われた天文館もすっかり寂れてしまった。
夜空は少し赤黒く、ハラハラと火山灰が舞っている。
路面電車がパチパチと火花を散らして走る。
この街に越して来て一年目の美羽も、周りの皆と同じ様に大通りを駆け抜けた。
せっかく整えた髪もバサバサになってしまった。口の中も砂利っぽい。
どうしてこんな街にたくさんの人が住んでいるのだろうと、美羽は不思議に思っていた。

短大を卒業したら地元の沖縄に帰ろう。

早々に決断はしたものの、親にはなかなか言い出せずにいる。
そんなモヤモヤを吹き飛ばしたくて、今夜開催される女子会に参加する事を決めてしまった。
美羽は少し後悔していた。
桜島が噴火すると分かっていたなら外出したくなかったのに。
19時から「騎射場」という電停近くのBARで催される女子会のメンバーは、美羽を含めて4人だけ。
大人数よりもその方が遠慮しなくて済む。
馴染みの店なので、時間延長はマスターのご機嫌次第。結局は、いつもの通り朝方までコースになるのだろうと覚悟もしていた。
「いづろ通」から路面電車に乗って15分足らずで「騎射場」へと到着する。
美羽は、珍しくガラガラに空いた車内の後部席に腰掛けた。
向かい合わせの車内は、前方に若い女性がひとりだけ。
美羽は不思議に思った。

「いつもは満員電車なのに、なんかあったのかな?」と。

路面電車はガチャガチャと振動音を響かせながら進んで行く。
センターポールのオレンジ色の灯りが街中を照らす。
色とりどりのネオン。はらはらと舞う火山灰。
何処か幻想的で美しく見えた。
ふと視線を感じて目を向けると、前方に座る若い女性がじぃーっとこちらを見ている。
歳は自分と同じくらいだろうか。長い黒髪と白い肌。ちょっと痩せてはいるが綺麗な女性だった。
路面電車はガチャガチャと揺れる。
硫黄の匂いが鼻につく。
美羽はバツの悪さにスマートフォンを取り出した。
お気に入りの動画サイト 「タイムupJAPAN」のアプリを起動すると、話題の動画が画面いっぱいに広がった。

「火花が舞い落ちる闇夜の廃虚で、エレベーターから現れた悲しげな黒髪の女の謎」

美羽は都市伝説やオカルトは苦手なので「次へ」のボタンをタップした。
画面が切り替わった。

「火花が舞い落ちる闇夜の廃虚で、エレベーターから現れた悲しげな黒髪の女の謎」

またしても同じ動画が流れ始めたので、もう一度「次へ」をタップする。

「火花が舞い落ちる闇夜の廃虚で、エレベーターから現れた悲しげな黒髪の女の謎」

美羽はスマートフォンの電源を切った。
しかし直ぐに画面が明るくなって動画が再生さる。

「火花が舞い落ちる闇夜の廃虚で、エレベーターから現れた悲しげな黒髪の女の謎」

美羽の身体が硬直した。
瞳と瞼以外全く動かせない。
スマートフォンの画面には、ぬらぬらと揺れる炎。
その奥の廃墟。
真っ赤なエレベーター。
開く扉。
ぼんやり浮かぶ黒髪の女性。
カメラが女性の輪郭と表情を捉えていく。
美羽の額から汗が流れ出た。
この女性は自分の近くにいる。
同じ車両に乗っている。
確信した。
だが彼女を見る勇気などない。
美羽はぎゅっと瞼を閉じた。

「ねえ」

初めて耳にする声だ。
美羽は力一杯瞼を閉じた。
ところが瞼を越えて路面電車の床が見えた。
脳内に直接再生されていく映像。
震える自分の足。
前方運転席から、真っ白な二本の腕がぬぅ~っと蛇のように伸びてくる。
長く長く伸びる腕は、美羽の足下で止まった。
美羽は心で叫んだ。

「やめてやめてやめてやめて!やめてやめてやめてやめて!お願いします。やめてください」

しかしその腕は、美羽の足首を掴み、ふくらはぎを這い上がって太腿を過ぎて背中に回り込み、首を昇って頭部から顔面に垂れ下がった。
ゆらゆらと美羽の眼前で揺れる二本の腕。
その腕は美羽の手を掴もうとなおも伸びようとしている。

「やめて!」

美羽の口から発せられた言葉と同時に白い腕は消えた。
路面電車のマイクから運転士の声が流れた。

「どうかしましたか!?」

美羽は泣き崩れた。
そして決断した。
もうこの街から出よう。
そして沖縄に帰ろうと。
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