青春とは世界のようでならなければならない

文字数 1,089文字

 室内プールの真ん中へんで、雪村翔吾(ゆきむら しょうご)がビーチ(ばん)を使ってパシャパシャと泳いでいる。

 プールサイドのスタート台にちょこんと座った宇佐木眠兎(うさぎ みんと)は、その姿をボーっと見つめながら、いっこうに彼が前へ進まないことをいぶかっていた。

 そしてそれは、人間の人生と同じだなどということを考えた。

 夕日が水面(すいめん)を照らし出してキラキラしている。

 その様子はまるで、ここが世界の中心であるかのように錯覚(さっかく)させた。

「ずんたったー、ずんたったー」

 宇佐木は足を浮かせて、三拍子のリズムを取りはじめた。

 となりのコースに座っていた有栖川達也(ありすがわ たつや)は、とろけたチーズのような顔をそちらへ向けた。

「おい、宇佐木。いつも思うんだが、その『ずんたったー』って、いったい何なんだ?」

 宇佐木はリズムはそのままに、ほんの少しだけ視線を送り返した。

「グスタフ・マーラーのスケルツォだよ。オーストリアの作曲家で、偉大なシンフォニスト。彼はね、音楽を終わらせた男なんだよ。有栖川、知らないの?」

 やはりほんの少しだけ、口角(こうかく)を上げてみせた。

「知るか。なんだそれ、食えるのか?」

 有栖川がそう言うと、宇佐木は腹をかかえて笑い出した。

「あはは、何それ!? 昭和のアニメの食いしん坊キャラみたい! ぷぷっ、ははっ! 有栖川っ、ちょっ、面白い!」

 臀部(でんぶ)でバランスを取りながら、彼はスタート台の上で笑い転げている。

「おい、そんなに笑うことねえだろ。てか、お前がそんなに笑うとこ、はじめて見たぞ」

 宇佐木は足をバタバタさせながら、あいかわらず笑っている。

「だって、有栖川……いま、君……生まれてはじめて、面白いこと言ったじゃん……! ははっ、ああ、おかしい……!」

「そう、すか……」

 宇佐木はやっと笑いが収まって、有栖川のほうに向きなおって座った。

「ねえ、有栖川。マーラーいわく、交響曲とは、世界のようでならなければならないらしいよ?」

 人差し指を突き出してそう言った。

「はあ……」

 有栖川の口は洞窟(どうくつ)のようになっている。

「ならば僕はこう宣言しよう。青春とは、世界のようでなければならない、とね」

「はい……」

「うおー、青春だあーっ!」

「わっ、こらっ――!」

 有栖川の腕をつかんで、宇佐木は水の中へ飛び込んだ。

「スーサイド・スケルツォ・イン・プールサイド!」

「わかんねえよ、宇佐木っ!」

「有栖川っ! 雪村のところまで競争だっ! それーっ!」

「ああ、くだら……まあ、なくもないか……」

「あははーっ!」

 宇佐木はフリースタイルで泳いでいる。

 有栖川は彼の作る波紋(はもん)を見つめていたが、やがてそれにしたがった。

 赤い夕日はうらやまし気に、三人の少年を映し出していた。
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