克服しないほうがむしろよい衝動も確かに存在する

文字数 929文字

宇佐木(うさぎ)先輩、僕のマンガ、どうでしょうか?」

 雪村翔吾(ゆきむら しょうご)が自作の原稿を持ってくると、宇佐木眠兎(うさぎ みんと)はそれをひったくって興味深そうに読みはじめた。

「すごいね雪村。絵が上手なだけじゃない、この作品には君にしか表現できない濃厚な世界観がある。すばらしいよ、君はプロになれるかもね」

「おお、そうなんですか? ありがとうございます!」

 雪村はキャッキャとジャンプして喜んだ。

「おい、宇佐木。希望的観測で雪村を陥れるなよ? 世の中そんなに甘くはないぞ」

 有栖川達也(ありすがわ たつや)がちゃちゃを入れた。

「見苦しいね有栖川。どうせ雪村に嫉妬してるんでしょ? 絵だけとっても君なんかよりはるかにうまいからねえ」

「あのな、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて――」

「あらゆる負の衝動は自分自身が作っている。哲人皇帝マルクス・アウレリウスの思索さ。有栖川、君はいま、みずからが作り出した負の衝動に支配されているんだよ」

「いや、だからそういうことじゃなくてだな……」

「ああ、醜い! なんという浅ましさだろう! 自分自身をコントロールできないということは!」

「すっげえ、くだらねえ……」

 有栖川は机の上に溶けた。

「でも、恐縮ですが宇佐木先輩……」

「なんだい、雪村?」

「克服しないほうがむしろよい衝動も、確かに存在するのではないでしょうか?」

「……」

 宇佐木はギョッとしたが、すぐにくつくつと笑いはじめた。

「雪村、君は本当に、天才だねえ。あははっ……」

「その衝動とはたとえば――」

「ああ、いい、雪村。それ以上はやめておこう。口にするのは無粋というものだよ?」

「あ、失礼しました。でも、宇佐木先輩のおっしゃりたいこと、よくわかります」

「素敵だねえ、雪村。踊りたくなってきちゃったよ。ずんたったー、ずんたったー」

「素敵な三拍子のリズムです、先輩!」

 二人は仲よくこの世の果てまでダンスとしゃれ込んだ。

「くだらねえ……あまりにも、くだらねえ……」

 有栖川は道化たちをうらやましく思いながら、赤い夕日といっしょに沈んでいった。
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