第8話

文字数 2,399文字


      その四十七  (8)

 先のような事情により、今回川上さんは〈たうえ温泉旅館〉に帯同していないのだけれど、そのかわりといっては何だが、わたくしピーチパイドンは、
「ほら、こないだの金髪の人、あいつ、川上さんのこと好きなんだって――」
 と掛け合って川上さんの携帯番号をダルトンに教える許可を本人よりいただいていたので、旅館で落ち合ったダルトンは、
「うおー! サンキュー! 速攻求愛するよ、おれ」
 とむしろ喜んでいる感じなのであった。
 ダルトンは衛星電波のあれのスゲーいいやつをつかって、こちらのテレビ番組もよく観ているらしく、
「先週の『お笑いマンガ道場』パイドン観たかい?」
 と混浴に入りながらきいてきたが、
「観てないよ」
「なんで?」
「だってもう『お笑いマンガ道場』は番組自体終わっちゃってるもん」
「やってるよ」
「それは昔のやつの再放送だよ。だいいち鈴木先生とかも死んじゃってるしさ、富永一朗はどうだったかな……」
「ええええええええええ! 鈴木義司死んじゃってるの?」
「たしかね」
 というぼくの情報だけでは納得できなかったらしく、たらいに置いてある自身のケータイで、
「もしもしダルトンです。ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが――」
 とまだ登録して一度もかけていない川上さんに「お笑いマンガ道場」の確認を、宣言していたいわゆる求愛より先に取っているのだった。
「じゃあ、ちょっと調べてみますね」
「すみません。お手数かけます」
「いいえ」
「あっ、パイド、じゃなくて、船倉さんにきいたんですけど、腰、痛くしちゃったんですって」
「ええ」
「だいじょうぶですか?」
「さっきクリニックに行って治療してもらったので、だいぶよくなりました」
 露天からあがって大広間で休んでいると、
「あっ、ダルトン、ケータイ、ビービーいってるよ」
 川上さんから折り返しの電話がかかってきて、
「はいダルトンです」
「川上です。いまお電話だいじょうぶですか」
 川上さんはこのたびも例の〝ハム友〟さんにいろいろ奔走してもらったようだが、そのハム友さんによると、なんでもガトーショコラからこちらの電波をキャッチするまでにはかなりの時差があるし、磁場のあれでそのスピードも道のりもまちまちなので、そういう関係で「お笑いマンガ道場」が、ガトーショコラ帝国ではオンタイムで放送されているのではないか――ということらしくて、
「なるほどねぇ」
 とようやく納得したダルトンは今度は今夜行く予定の〈カロリー軒〉についても、
「緑川達也のショートショートに出てくる〈お食事処小野〉との関連性について、できれば調べていただきたいんですけど……」
 と恐縮しつつも川上さんに再度お願いしているのだった。
 ところがこの件にかんしては、ハム友さんをもってしても確かな情報を得ることはできなくて、
「緑川達也という作家は蔵間鉄山の弟子だったということ以外、わからないみたいですね……」
 と川上さんはダルトンに詫びているようだったが、
「ふむふむ、緑川達也は蔵間鉄山の弟子だったのね――ん? くくくくらま蔵間鉄山!」
 とぼくは一瞬おどろいたけれどもハム友さんは田上雪子ちゃん関連を調べてくれたときでも畑中葉子等の誤情報も織り交ぜてきていたので、おそらくこの蔵間鉄山うんぬんも、なにかほかの情報とごっちゃになっているのだろう。
 小春おばちゃんはきょうは早番のシフトで、だからぼくは小春おばちゃんも、
「たまには行きましょうよ、小春おばちゃん」
 と〈カロリー軒〉に誘っていたのだが、午後五時過ぎに旅館の送迎車で店におもむき、冷凍生餃子を、
「わすれないうちに」
 とまず必要な分頼んで、それから座敷のほうで、
「お疲れさま~」
 と一杯やりはじめると、
「あれ?」
 メニューなどが画鋲で貼られてある古い壁にはなにげに沼口隊長のサイン色紙というかサインが書かれたコピー用紙が貼られてあって、お客たちに〝お母ちゃん〟と呼ばれているお店の方にサインのことをとりあえずたずねてみると、お母ちゃんは、
「ああ、それはね、その沼口さんていう人が『おれ有名人だからサイン書いてあげるよ』って勝手に書いて、勝手に自分で貼っちゃったのよ」
 とのことなのであった。
 沼口隊長は隣接する例の〈じゃぶじゃぶ館〉で洗濯をしたり仮眠を取ったりもしたらしく、
「でも仮眠室の料金は払わないで、どこかに消えちゃってたんですよね」
「そうなんですか」
「お食事のほうの料金はいただいてたんで、きっとそれで仮眠室のほうの支払いも済んでいると早合点してたのかもしれないですけど」
 ということは、なにかインスピレーションを得てすぐさま探検のつづきをおこなったのかもしれないけれど、
「むむ! 消えた……」
 と腕を組んで考え込んでいたダルトンはまだお食事の序盤なのに、
「ちょっと失礼」
 とぼくたちにことわると、先ほどのお母ちゃんから一枚三千円という〝ぼったくりブリーフ〟を購入したのちにいま現在はいている自分のパンツをとなりのコインランドリーで洗うことになって、それでダルトンはもどってくるなりぼくにかじりついてきて、
「ううう動いた、動いたよパイドン」
 と平静を装いながらも興奮をかくしきれないといった趣で耳打ちしてきたわけだが、
「これで、洗濯機、動いたんだ」
 とぼくの手ににぎらせてきたのは、こちらの硬化でもあちらの硬化でもなく、おそらくICカードで、小春おばちゃんがトイレに立ったときにほかの客にみられないように注意しながらそのICカードを、
「パスモみたいなやつかな? ガトーショコラにはドムドムバーガーもあるんだからパスモくらい使えるだろうな……」
 と確認してみると、そのカードは、
「キャオ♪」
 予想に反して昔は重宝されていたあのテレカ、それも二十代前半くらいの、
「ものすごく可愛いな」
 上村香子のテレホンカードということになっていた。
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