第10話

文字数 2,497文字


      その四十九  (10)

 午後の四時過ぎに船倉荘に帰ったぼくは、長い時間電車に乗って凝り固まってしまったからだをほぐすためにとりあえず走ることにしたのだけれど、五キロほどのジョギングをたのしんだのちに自室にもどって、
「あのウォーキングしてたご婦人、顔を黒衣みたいに隠してて、その点はかなり腹立たしかったけれど、でもなんかエロいことはエロかったな……」
 と入浴していると、磨りガラスの向こうから、
「帰ってきてるからね」
 と中西さんが声をかけてきて、中西さんはここ数日、本業の「ペーシュトラベル」関係の雑用でなにげに忙しかったのだが、風呂からあがったのちに中西さんが用意してくれたサンドイッチやウインナーなどで缶ビールを飲みつつ本業関連の話をざっときいてみると、なんでも「ペーシュトラベル」というのは三代だか四代だか世襲している一種の家業なのだそうで、
「じゃあ、お祖父さんとか曾祖父とか、そういう人がはじめたんだ?」
 とぼくがマスタードをつけたウインナーをいい音をたてて食べつつ質問すると、中西さんは、
「創業者は曾祖母になるのかな。曾祖母の親かもしれないけど。このあたりは時間がへんてこになってて、よくわからないの」
 とこたえて、それからその創業者は親族に〝モモ様〟と呼ばれているとおしえてくれたのだった。
「もしかしてさ、そのモモ様って〝大野モモ様〟なんじゃない?」
「そうそう。えっ! たまきさん、モモ様のこと知ってるの?」
 ぼくは中西さんにメロコトン博士やその博士と若い頃交際していた大野モモさんのことをざっくりおしえてあげて、すると中西さんも、
「うんうん、なんかそういう話、むかしママからきいたことあるかもしれない」
 といいながら、
「でもすごーい。運命的かも」
 とキャキャッとわらってぼくの背中に抱きついてきたが、そもそもこの「ペーシュトラベル」というのはモモ様の代ならモモ様一人、モモ様のつぎの二代目の方ならその二代目の方一人、三代目の方が継いだらその三代目の方が一人、という感じであくまでも従業員みたいなものは置かないでかならず一人きりで仕事を切り盛りしなければならないらしく、だから先代にあたる中西さんのママも代替わりしてからはいっさい娘の仕事には関与せずにどこかの国で余生を過ごしているみたいなのだ。
 ただくわしく話をきいてみると、本業だけで食べていけたのはせいぜい九〇年代の前半くらいまでで、じっさい先代の中西さんのママもパートを掛け持ちしたりしてけっこう苦労していたのだが、廃業を検討していた先代(ママ)を説き伏せて中西さんが家業を継いだのは、とにかく純粋に添乗員としての業務が楽しいからなのだそうで、だから中西さんはあさって出発する予定のふ菓子国への旅にも、
「ああ、早く行きたい」
 と胸をわくわくさせているのだった。
 胸といえば、ぼくはここ数日○○村に出ていたということもあって心肺機能を整える例のトレーニングを怠っていて、そんなわけで晩酌を終えたのちのわたくし桃パイドンは中西さんに直訴してふ菓子国とこちらとの磁場(?)にはとくに調整は必要ないのに生身の胸をお借りすることとあいなっていたのだけれど、本業の雑用で連日忙しく動き回っていた中西さんは心肺機能の特訓が一段落すると、先日青空市で買ってきたマッサージ機でからだの凝りをほぐしてほしいとも逆にせがんできて、
「自分じゃできないか……」
「できるけど、やってもらったほうがもっと気持ちいいから」
 と機器を手渡してきた中西さんにともかく機器をあててあげると、中西さんは、
「あ、そこ、そこが一番気持ちいい」
 などといいながら、さまざまな体勢でのマッサージを希望してくるのであった。
 中西さんはふ菓子国でのいわゆるお焚き上げ案内が済んだらわたくしピーチパイドンの第一秘書として活躍してもらうことに決まっていて、これは范礼一さんに、じつはこれこれこういう女性がいるのですがうんぬんと相談したところ、
「それでしたら――」
 とミニスターがアイデアを出してくれたおかげでそのように収まったのだが、しかし法律上ピーチタルト帝国の永住権を得るには、
「軍師の側室になれば取得できるのですが……」
 という関係をむすばなければならなくて――だから中西さんにはそのあたりの理由もすでにきちんと説明してはいるのである。
 そんなわけで中西さんからの承諾はいちおう得ているのだが、本妻というか、すでに正式に妻になっているほんとうの奥さんの菊池さんにはじつをいうと、このことはまだ話してはいなくて、藤吉郎さんがいうには、
「戸籍上のことだけなんだから、黙っていれば問題ないですよ。わたしだって、ややちゃんには側室のことはいっさい告げていないんだから。わっはっはっはっはぁ」
 という感じでけっこう黙っていれば大丈夫みたいなので、ぼくもその方向で乗り切っていこうといまのところ思っているのだけれど、丹念なマッサージを二ラウンドほどおこなったのちにシャワーを浴びて、
「おやすみ」
 と就寝していた中西さんの部屋から自分の寝室に移って、ぼくのほうも、
「かなりがんばったな」
 と横になっていると、
「ん」
 すみれクンからまたぞろメールが送信されてきて、すみれクンはメロコトン博士の論文に記されていた方法をアレンジして、なんでもモンブラン帝国で数時間過ごしてきたらしいのだが、
「もしもし」
「コーチ、チャオ♪」
 と上機嫌だったすみれクンに詳細をうかがうと、すみれクンが立ち寄ったモンブランのショッピングモールではポケモンやドラえもんなどのこちらのキャラクターの商品がたくさん売られていたのだそうで、
「バッタもんかなぁ」
「たぶん――ドラえもんとか、やたら細長かったもん」
「マクドナルドはあった?」
「ありました。あとドムドムバーガーも入ってたかなぁ」
 等々モンブラン帝国の様子を夢中で話していたすみれクンは、お話の最後に、
「ねえコーチ、記念に〝おかんこ〟あげますよ」
「え、おかおか、おかんこを……」
「あした旧メロコトン屋敷に来てくださいね」
 といって電話を切っていたのだった。
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