第6話

文字数 2,769文字


      その四十五  (6)

 料亭に行くまえにシャワーを浴びてあたらしい下着に着替えたぼくは、クリーニング店のビニールに包まれたままのジャケットを、
「タグどこだろ……」
 とクローゼットから取り出すことになっていたのだけれど、コミュニティーバスに乗って約束の時間に、
「ごめんください。ごめんなさい」
 と〈高まつ〉に入っていくと、鯨の間ではあさ美お姉さんがなにも飲まずに待ってくれていて、それで女将の和貴子さんも鯨の間にすぐ入ってきて注文を取りにきたので、あさ美お姉さんと相談しながらてきとうなものを何品か頼んで、とりあえずちびっちゃいコップをカチンと合わせたのちに、
「うん、うまい」
 と最初のビールを飲むこととなったのだが、一息ついたあさ美お姉さんはカバンからおもむろになにかを取り出すと、
「これ、まえに約束した写真」
 とご自身のいわゆる生写真をまずはぼくに差し出してきて、生写真のあさ美お姉さんはぼくが一枚もっているやつで付けているひらひらのお面みたいなやつを今回は取っ払っていて、それから最後の一枚では、ラッキーカラーの例のピピピピンクの花柄のパンティーも取っ払っていた。
「ね! 超かわいいでしょ」
 しかしパンティーを取っ払っていたのはあさ美お姉さんではなく、先ほど駅前でおすすめしてきた例の子みたいで、なるほどあさ美お姉さんが太鼓判を押しているだけあって、そのマフィンはたしかにめちゃくちゃかわいいといえばかわいかったのだけれど、それでも局部がこれだけドアップのお写真のみで危険な賭けに出るのはあまりにも無謀すぎる気もわたくし軍師はちょっとしてきて、そんなわけで今回の交渉は、
「だって、顔がわからないと……」
「ふーん……マフィンそれ自体だけが好きなんだと思ってた」
 という感じでうやむやのまま、なんとなくお流れとなったのである。
「顔がわからないって、目の前にいるじゃない」
「ん? いまなんていったんですか?」
「なんでもない。ひとり言」
 あさ美お姉さんはあいかわらずお酒が強くて、ぼくより早いペースで今回もビールや水割りを飲んでいたが、この料亭で去年の暮れごろからはたらいている子に、
「きょうはイカのお刺し身のおいしいのがあります」
 とお銚子のおかわりをしたときにいわれて、
「じゃあ、その刺し身もお願いします」
 と頼んだ関係で、むかし「沼口探検隊がゆく」という番組で沼口隊長がイカみたいな宇宙人にさらわれた回があったことを思い出して、あさ美お姉さんにそれを話すと、
「そういえば、沼口隊長、このあいだうちの養成所にたずねてきたみたいなの」
 とイカの刺し身を、
「あっホントだ、おいしい」
 などと食べながらお姉さんはいっていて、なんでも隊長は、わたくし船倉たまきに、
「モンブランに警戒してください」
 という伝言を残してまたどこかに去っていったらしい。
「相当くたくただったみたいよ。着ているものもヨレヨレだったんだって」
「オーバーだからな。ピクつき方も」
「心当たりある? モンブランに警戒って」
「ないこともないですけど……」
 ぼくがモンブランを食べ過ぎると太るから要警戒ですよなどとてきとうにごまかすと、あさ美お姉さんもモンブランケーキが好きらしく、わたしもモンブラン食べすぎてちょっと太っちゃったことあるから気をつけてるとこちらに共感していたのだがまあそれはともかくとして、沼口隊長は昨年の暮れにも〈高まつ〉の別邸の庭に突如あらわれてシュークリーム帝国とシューアイス帝国とのいくさを想起させる情報をこちらに提供していたし、今回もモンブラン黒幕説を連想させる伝言をなぜかあさ美お姉さんを経由してよこしてきて、隊長については〈うなぎ食堂〉の大将もいいかげんだと評していたし、あさ美お姉さんもおおむねそんな評価だったので、ぼくもなんとなくろくに捜索もしないでぶらぶらしているのだと決めつけていたのだけれど、しかしこれだけいまぼくが置かれている状況に関係することを訴えてきているというのは、もしかしたら隊長はじっさいにあちこちを探検しているのかもしれなくて、わたくしピーチパイドンはイカの刺し身を肴にあさ美お姉さんにお酌してもらったぬる燗をグイッとやりながら、沼口隊長に今度会ったら、前回よりももっと丁重に接してあげるか、あるいは〝かつ丼かつどーん〟をお腹いっぱい食べさせてあげようと心に決めたのである。
 あさ美お姉さんに、イカみたいな宇宙人の回が放送されたあの当時のことをうかがってみると、
「やっぱりテレビ局のセットで撮影されてたんですか?」
 というたまき少年にたいし、放送されたころはまだ二十代前半で「Kの森こども電話相談室」のパーソナリティーを務めていたお姉さんは、
「うん、いい質問ね。あのね、ほとんどの回はじつをいうとテレビ局のセットとかエキストラの方を雇って探検していたんだけど、あのときはお姉さんの記憶ではそうじゃないの」
「ホントに探検したってことですか?」
「そう。いまでいったら〝ビンビン〟っていうんだっけ?」
「〝ガチ〟じゃないですか?」
「あっ、そうそう〝ガチ〟だ。いわゆるガチで探検されたと、わたしたちの間でも噂されていたの」
「そうなんだ――たしかにあの回はぼくもテレビにかじりついて観てましたけど、なんかとくべつな雰囲気がありましたよね」
「ちょうど隊員の別れた奥さんだったか内縁の妻だったかが新聞社かなにかに番組の〝やらせ〟を告発して騒ぎになりかけていたころだったのね。だから沼口隊長が発起人になってストロング路線に回帰する企画が立ちあがったんじゃなかったかなぁ」
「ストロング路線に回帰か――ん? ということは、最初のころもやっぱりガチ気味だったのかな……」
「ピーピーねえねと沼口隊長はけっこう仲良かったから、たしかねえねさんも応援してたはずよ」
「ピーピーねえねと隊長、友だちだったんですね――まあピーピーねえねの番組はぜんぜん観てなかったんで知らないけど……」
 Kの森テレビが放送していた「沼口探検隊がゆく」という番組はたしかビデオ大将軍もほぼ全部録画していて、ということは、そのVHSテープもデジタル化されたものも〈西門がん見研究センター〉で探せばかならずどこかにあるはずなのだが、しかしデジタルバージョンはセンターの院長室、つまりわたくし船倉パイドンの部屋の鍵のかかる保管庫に秘蔵してあるので、みつけるには実質自分一人で辛抱強く探さなくてはならなくて、
「エロ関連ものみたいに、きちんとフォルダー分けしながら外部ストレージに保存すればよかったな……」
 だからぼくはその放送回をチェックするという計画についてはいったん保留にして、ちょくちょく〝超かわいい〟生写真をガン見しつつ、あさ美お姉さんと腰を据えて飲みつづけたのである。
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