第11話

文字数 2,833文字


      その五十  (11)

 ドンの遠縁にあたるすみれクンのお母さまはマコンドーレを通して娘の恥ずかしがりやさん改善の指導をわたくしG=Mにもとめてきたのだが、いつだったかすみれクンにきいたところによると、ぼくはこの母娘と何年かまえにも顔を合わせたことがあるみたいで、
「一度応援に行ったことがあるんですよ」
「そうだったんだ――そういえば誰か手伝ってくれたことが……」
 すみれクン母娘はなんでもビデオ大将軍のためにノイローゼみたいになってしまうほどハードにおこなっていた例のキャプチャ作業の消極的奉仕に助っ人として加わってくれたことがあったらしい。
「だからわたしとコーチは相当縁があるんですよ」
「お母さまとも親しくしてるし、ホントにそうだね」
 すみれクンは去年の春先の誕生会のとき、
「今年で二十二歳になるけど、まだ男を知りません」
 うんぬんと公言していて、だから今年はとうぜんあの子はひとつ年を取って二十三とかになっているわけだけれど、先日の研究会のさいにもまだ男を知らないことは二三度コーチに耳打ちしていて――しかしそんなすみれクンが、とうとう男を知らない女の子でいることを卒業したいと実質願い出てきたのだ。
 川上さんははじめてのとき、相手も経験がなかったこともあってあまりうまくいかなかったらしく、だからその後何年かは、そういう行為にたいして慎重になり過ぎてしまっていたようなのだが、
「こじらせないためにも、すみれちゃんは経験豊富なオジサマみたいな人にやさしくいろいろあれしてもらったほうがホントはいいのよね」
 という川上さんの発言は、いまかんがえると遠回しにぼくにその大役を受けるよう助言したのかもしれなくて、とはいえ、わたくし船倉パイドンは経験豊富だとかやさしいオジサマだとかという称号とはずいぶんかけ離れた人物なのだ。
「昨夜だって最後はマッサージそっちのけだったしな……」
 それでもいわゆる〝おかんこ〟や〝ハマグリ〟や〝マフィン〟にたいする憧憬や崇拝や渇望や愛情は相当なものだぜおれは、という自負はある。
 ぼくはこの大役を受ける資格は自分にないと思ったり、相当つねに渇望している人物だぜおれはと思ったり、相当憧憬している旦那だぜおれはと思ったり、相当つねに崇めているぜおれは相当な人物だせおれはこのおれはと思ったりして今朝は悶々としていたのだが、あさ美お姉さんに、
「じつは、ある女の子からこれこれこういう要望を受けましてね――」
 と電話で相談すると、お姉さんは、
「そうねぇ。それだけ率直にお願いされてるんだったら、やってあげたほうがいいと思うな、お姉さんは。たまきくんだって嫌々じゃないでしょ」
「はい!」
 とアドバイスしてくれることになっていたので、ぼくはランニング中に軽く、
「ウーヤーター!」
 と吠えたり浴室で坐禅を組んだりしたのちにいよいよ決心の臍を固めて、この大役を成就させるべく、旧メロコトン屋敷におもむいたのである。
 旧メロコトン屋敷のチャイムを押すと、
「チャオ♪」
 とすみれクンは玄関のドアをいつものように開けてくれたが、きょうはワンピースという身なりだったすみれクンはきっと首筋あたりにいつもとちがうフルーティーな香水をたぶんつけていて、ぼくは最近まで散々すみれクンに恥ずかしがりや改善のためと称してすごい恥ずかしいポーズをやらせたり、アクロバティックな体勢を取らせたりしていたのだけれど、どういうわけかこの香りを感じた途端、四つん這いのときでもわりと平常心でいたコーチなのに、ちょっとガタガタッとからだが震えてしまったのだった。
 菊池さんのお着替えのお手伝いではじめてパーカーを脱がせたときはもっと震えたし、そして昨夜はマッサージ機器を手渡されて武者震いをしていたわけだが、それでもしばらくこの震えは治まってくれなかった。
「じゃあ、どうしようか……シャワー浴びるかい?」
「わたし?」
「うん」
「わたし、もうさっき浴びました」
「用意がいいな……」
「コーチ、シャワー使いたかったら、どうぞ」
「う、うん」
 ぼくは今朝方ランニングをしたあとかなりしっかり入浴していたが(中盤にシャワーを浴びながら坐禅も組んでいる)、ここまで来るまでにたしょう汗もかいているし、それにまたぞろ坐禅を組んでおかんこにたいする自身の想いをもう一度見つめ直したいとも思っていたので、シャワーを浴びることにした。
 シャワーからもどるとすみれクンは台所で料理をつくっていて、なるほどいまはちょうどお昼時だし到着するなりいきなりシャワーを浴びてしまったのはわたくしやさしいオジサマの完全なる先走り行為だったが、
「うん! 上手に揚がったぞ」
 とすみれクンがテーブルに用意してくれた昼食は揚げたての鶏のから揚げで、冷蔵庫から冷たい水を出して飲んでいたぼくに元教え子は、
「ねえコーチ、早く味見してください」
 とつま楊枝にさしたから揚げをもってきてくれた。
 それでそのから揚げを一口でパクリと頬張ったぼくは、
「うん。おいしい」
 ともぐもぐしながらいったのだけれど、
「ん! もう一個食べていい?」
「何個でもどうぞ」
 とテーブルの席に移動してもう二つほど食べてみると、このから揚げは西施子さんがよくつくっているやや甘口のから揚げとほぼおなじ味わいで、西施子さんのから揚げは、すくなくともこちらでは食べたことがない独特の甘じょっぱいやつだったので、そのあたりのことをともかくたずねてみると、自分でも立ったままから揚げを一つもぐもぐやって、
「うん、大成功」
 と握りこぶしをつくっていたすみれクンは、
「じゃあ種明かししますね。これは粉に秘密があるんです」
 といってぼくのためにも二袋買ってきてくれたらしいモンブラン製のから揚げ粉の開けてあるやつをみせてきた。
 紙の袋には「お甘粉」と記されていて、
「このおかんこ、コーチとお母さんにしか買ってきてないんですよ。一人五袋しか買えなかったから」
 とすみれクンはその二袋をレジ袋に入れてもう用意してくれていたが、輸入も通販もおこなっていないこちらの〝お甘粉〟は、そうなるととうぜんモンブランに行ってその場で買わなければ手に入らないものだから、お土産用としてもたいへん人気があるのだそうで、ご飯や味噌汁なども出してくれたすみれクンと、
「おいしいね」
 とお昼を食べたあとにこのことを范礼一さんにメールで伝えると、ミニスターは、
「おかんこの確認を取ってみます」
 としばらくしたのちに返信してきたが、范礼一さんはひらがなで「おかんこ」と記していたので、念のためにもう一度おかんこというのは、から揚げ粉の〝お甘粉〟のことですよ、とぼくは送っていて、するとミニスターは、
「わかりました。お甘粉のほうの確認を取ります」
 とふたたびメールを送信してきて、そのあとすぐ、
「個人的におかんこのほうの確認もしますけどね」
 とめずらしく冗談めいたこともこちらによこしてきていた。
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