第12話

文字数 3,416文字


      その五十一  (12)

 午後の四時過ぎに、
「おかんこ、ありがとね」
 と旧メロコトン屋敷を出たぼくは、帰りの電車に乗っているときに、
「きのうとおととい、側室のところに泊まってたんですけど、それがややちゃんにバレちゃったんで、パイドンさんと仕事で遠出してたって、なんとかごまかしたんです」
 うんぬんと送ってきた藤吉郎さんからのメールに、
「わかりました。ややさんにきかれたら、そういうふうに口裏合わせておきますよ」
 と返信したり、三原監督がまたぞろ試食おじさんに吹き込まれたいくつかの噂にたいして肯定的な感想を送ったりしていたのだけれど、母屋に立ち寄って、智美のリフティングを、
「11、12、じゅーさ、ああ惜しい」
 と庭先で見守っていたつぐみさんに、
「届いてますか?」
「うん」
 と確認したのちに冷凍生餃子をもってアパートにもどると、住民の誰かが勝手に設置したおもてのベンチにすわってスーマリさんがぼくを待っていて、ぼくは先日スーマリ氏が顧客よりいただいた真空パックのとんそくを、
「こここ、これ、どうやって食べるんですか?」
 とパニックになっていたスーマリさんに代わって、
「これはこうやって開けて、そのままかじればいいんですよ」
 とお皿に用意してあげたのだが、それにたいしてのお礼なのか、スーマリ氏は、
「たまたま手に入ったものですから」
 と「ピーピーねえねの冒険島」のカセットと、その攻略本を一冊ぼくにプレゼントしてくれたのだ。
「わぁ、こんなに貴重なものを。なんだかこれじゃ、あまりにも申し訳ないなぁ」
「ぜんぜんですよ。大家さんにはこちらの陳情を聞き入れてもらったり、いろいろお世話になってるんで」
 二階に住んでいるスーマリさんのとなりには子だくさんのご家族が以前は入居されていたのだが、こちらのご家族がさらに子どもが増えた関係でよそに引っ越したためにしばらく空き部屋だったそのとなりは今年のはじめくらいだったか女性の一人暮らしの方が住むことになって、それでスーマリさんはこのおとなしい女性はぼくがスーマリ氏の嗜好をおもんぱかって厳選したのだと早合点しているらしく、このあいだも、
「おかげさまで静かで助かってます」
 というようなことをちょこっといっていたのだけれど、じつをいうと、スーマリさんにおしえてもらうまで、あたらしい入居者さんのことはぜんぜんぼくは知らなくて……ちなみにこれは、お説教されるのを防ぐために親父や兄貴と遭遇するのを日夜警戒しているために起こる情報収集の不足が明るみに出てしまった典型的な一例なのである。
 まえにもいったかもしれないけれど、スーマリさんはファミコンだとかスーファミだとかあとゲームウォッチだとかのバイヤーみたいなことをされている方で、それでもつぐみさんなんかは、
「あのIT系の人――」
 という感じでいまだに氏をコンピューター関係の仕事をしている人だと思っているのだが、スーマリ氏がおっしゃるには――こちらもまえにも述べたかもしれないけれど――ファミコン系は国内だけでは生活していけるだけの需要が実質ないのだそうで、だからスーマリさんはもっぱら国外の顧客を相手にお仕事をされているようなのだ。
 昨年の暮れごろに「ピーピーねえねの冒険島」について問い合わせたときはあいにくスーマリさんは在庫を切らしていたのだが、
「在庫を確保できたら、かならず大家さんに連絡しますね」
 といっていたスーマリさんはどこかでカセットを入手したのだろう、律儀に、しかも無償で、ぼくに「ピーピーねえねの冒険島」を手渡してくれたのだ。
 ご存知の通り、ぼくはすでにりん子さんより「ピーピーねえねの冒険島」を五千円でゆずってもらっているのだが、こちらのカセットはりん子邸のコタツのなかという過酷な環境に放置されていたからだろう、ふーふーをかましてもけっこう調子わるいことが多いし、それにぼくはそもそもスーマリ氏にカセットを確保してあることは公表していないので、
「すみません。それでは遠慮なく頂戴いたします」
 とカセットと攻略本をいただいておいたのである。
「スーマリさん、これ冷凍生餃子なんですよ、食べてください。あっ、となりの人用にもう一箱渡しておこうか――」
「すいません」
「スーマリさん。とりあえずこれ持ってって、世間話軽くして、ちょっといい印象をその静かな隣人にあたえておくんですよ」
「はあ」
 スーマリ氏にあげた二箱はほんらいは内府邸そばの喫茶店ではたらいている四十前後のひとり者っぽい婦人と公園でたまに会釈し合うエロエロレギンスのエロマダムさん用だったのだがまあそれはともかくとして、これはダルトンにも確認したので間違いないのだけれどもガトーショコラではこのピーピーねえねの冒険島の所持を法律で固く禁じていて、なんでもそれは、ピーピーねえねの冒険島を経由して〝スーパークリボー〟とかいう幻覚キノコみたいなやつを買う人びとが一時期激増したからなのだそうだ。
 法律をきびしくしても一部の富裕層などは、こちらのカセットを経由してスーパークリボーをいまでも入手しているらしく、だからダルトンは、
「フェィスメタンの奴らは税金もちゃんと納めないし、スーパークリボーも爆買いしてるし、困ったもんだよ……」
 ともこぼしていたのだが、それでも皇帝の側近だかが考えた、
「スーパークリボーを食べると〝牛〟になる」
 という噂を国家ぐるみで流布することによって、たいていの人びとは安易にスーパークリボーには手を出さなくなっていて、しかしその噂はいつごろからか、
「コーラをがぶがぶ飲みつつビッグマックをむしゃむしゃやりまくっていると確実にゼッテェ牛になる」
 というバージョンも出回るようになって、
「ねえパイドン、こっちでは食べてすぐ寝ると牛になるの?」
「まあ、そういう事例もあるらしいよ」
 ダルトンなどは、むしろこちらの噂のほうをより恐れて過剰に警戒しているみたいなのだ(ひとみさんが差し出したマクドナルドの紙袋をどこかに放り投げちゃったのは、おそらくこのためだと思われる)。
 部屋に入って攻略本をパラパラやってみると、案の定こちらの本ものりピー語とパピパピ語によって記されていたが、七時過ぎに帰宅した中西さんは「ピーピーねえねの冒険島」にはある程度精通していたけれどものりピー語とパピパピ語についてはほとんどなにも知らないも同然で、だからぼくは攻略本をパラパラめくったのちに、
「浴室でⅡコントローラーに相当するマイクみたいなものを高速で泡立てる」
 とのりピー語およびパピパピ語を翻訳して中西さんにそれをやってもらったのだけれど、
「すごい気持ち良さそう」
 とその作業をおこないながらⅡコンにしゃべりかけていた中西さんは、のりピー語の指示通りこちらの目も作業中定期的に見つめていて、やがて第二の作業段階に移行すると、今度は中西さん自身の翻訳で、
「Ⅱコントローラーで執拗にスイープして、さらにさらにぬるぬるにし、ぬるぬるになっている本人にも目視させ、それを認めさせる」
 という指示をこちらに出していたのであった。
 三回目の作業中に部屋のインターホンが鳴ったのはわかったが、ぼくは中西さんが翻訳した指示どおりに全力で動いていたので、玄関先に出ることはできなかった。
 インターホンを鳴らしたのはどうやら三原監督だったらしく、すべての作業を終えて中西さんと、
「おいしいね」
「うん、ビールに合う」
 と冷凍生餃子を食べているときにそのメールに、
「あ……」
 と気がついたのだけれど、
「お取り込み中のようだったので、ポストに入れておきました」
 と記されていたので、
「申し訳ない」
 と返信したのちにそのポストのなかをみてみると、ソフトケースに収められたSDカードが記載通り入っていて、三原さんは最近撮っている試食おじさんに密着したドキュメンタリー映画第二弾の未編集の映像をぼくに鑑賞させてなにかしらの意見をききたいようなのだが、ぼくも中西さんも餃子を食べたあとは急激に眠くなっていたし、からだもくたくたへろへろだったので、未編集映像を視聴するのは、とうぜんのことながら、
「明日だな。きょうはもう疲れた」
「うん」
 ということにしたのである。
「あっ、でもあしたは、ふ菓子国のお焚き上げに行く日だったね――だから帰ってきてからだ……」
「そうしましょう……おやすみ、たまきさん」
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