第1話

文字数 1,249文字

その人と出会ったのは、二十歳の時だった。
その頃 私は吉祥寺の小さなメーカーの営業の仕事をしていた。
本当は商品企画希望だったが、面接で血液型を聞かれB型と答えたら営業での採用となってしまったのだ。
業界の展示会というものに会社の上司と行くことになり、同業他社の商品展示を見て回る中、上司が親しくしている会社のブースに その人がいた。
Tシャツにジーパン姿で俳優の岩城浩一に似たその人は、
起業して間もない会社の社長だった。
社長と言っても営業担当とのことで、私の上司は取引先でその人に出会い、それ以来憧れているらしく普段にも増してハイテンションで紹介してもらったのを覚えている。
昭和の真っ只中生まれの私にとっての「社長像」は、スーツを着て割腹が良いおじ様というイメージだったので、ラフな服装で気さくに話してくれる29才の社長は新鮮だった。
この時代、まだ二十歳そこそこの女子が営業というのが業界では珍しかったので、上司は同業者にも関わらず私の事を随分売り込んでくれたのが不思議だったが、この展示会をきっかけに、その人は会社のある北関東から仕事で上京すると吉祥寺に立ち寄り、上司や私たちとの交流をもつようになり、営業のアドバイスをしてくれるようになった。
当時元々少なからず岩城浩一ファンだった私にしてみれば、ラフな若き社長が憧れの対象となるのは必然だったし、営業の仕事に面白さを感じていた私は、いつしか「その人」のようになりたい…と思うようになり、残業も楽しむほど仕事に夢中になっていった。
上司は、そんな私の勢いを感じとってか その人が来訪する度に アナタを目指して頑張っていると 随分アピールしてくれた。
その甲斐があったのか、ついに私は食事に誘われることとなった。
初めての待ち合わせは、渋谷の「林檎の樹」という喫茶店だった。今は もう無い。
当日の事は、殆ど覚えていない。緊張していたから。
それからは、彼が上京する度に誘ってくれて、表参道 銀座 六本木…と、2人で出掛けた。
お互いに仕事柄 街を歩けば ついつい市場調査になってしまうけれど、それが楽しかった。
会う回数が増える中で、彼の印象は 随分変わっていった。
あるロビーでは、エスカレーター脇のソファーに座って話していると「見て見て!あれじゃスカートの中が見えちゃうよね〜」とニコニコ。
(!!ただのエッチなオジサンか!)
夏の水着の様な服装の女性とすれ違うと「あれ?今 オッパイ見えちゃってたよね!」
(岩城浩一は絶対こんな事言わない!)
憧れの若き社長像は、どんどん崩れていったけれど、ちょっと気のはる場所では、いつもの方言ではなく気取った風に標準語になるところや、複数人で話していると夢中になって 他人の使い捨てライターを自分の物のように使って持ち帰ってしまうところ、ランクの高いホテルのロビーでは、ソファーに座って余裕がある雰囲気を出しているうちにズルズルと沈み込んでしまう姿などを見ていると、不思議に憎めなくなってくる。
彼は憧れの人から、大好きな人になった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み