第1話

文字数 3,325文字

「≪《誰かが行かねばなるまい」
 指揮官が言った。顔がすすけて真っ黒で、目だけがぎょろついている。さっきの爆風で、そこにいる誰もが土埃まみれだ。幸い、爆発地点は10メートルほど離れていたため、死んだ者はいなかった。
 だが、危険がここにもせまってきたことは確かで、一般人も含めた一団が、ここから出立する準備も、慌ただしくなってきている。
 上空からは容赦なくミサイルが飛んでくる。
 今、国の中枢とは、敵によって分断されてしまっている。そこから武器を調達してこなくては、あの『船』にまでもちそうになかった。
「やってみようぜ!」
 おれはきりりと手を上げる。その場にいた者たちが一斉に振り返った。
「おい、本気で言ってるのか?」
「やつらに実効支配されてる地域を通るんだぞ。命がいくつあっても足りない」
仲間が口々に言う。
「人類の命運がかかってるんだぞ!」
 そのときサイレンが鳴った。
「やつらだ!」
指揮官が叫んだ。ある者はそのまま逃げ出し、ある者は銃をとり、誰もが瞬間的にあらゆる方向へと動き出した。おれも走り出した。地球の未来のために戦ってやる。そう決めたんだ。》≫


パトカーのサイレンがしだいに大きくなる。
「ああ、おれを追ってるんだ…やばい…」
ねぼけた頭でそう思った。
 片目を開ける。時計はまだ7時になってない。目覚ましのセットした針まであと2、3分はあった。あくびをひとつする。パトカーのサイレンはしだいに遠くなっていく。状況がしばらく把握できなかった。思い返す。かっけー夢だった。人類のために戦う兵士。笑いがこぼれる。嘘くせー暑苦しいおれだったな。

 今度はため息をつくと、重そうに身体を起こすが、また布団に倒れ込んだ。
 休み明けの月曜は、週間成績発表と朝礼訓示が待っている。先週は、いや先週も成果ナシだった。なんと言われるか、会社に行く気がしない。 まだベッドでゴロゴロしていた。リモコンでテレビをつける。朝の番組がにぎやかだ。右上に時間表示が出ている。その分数を見ながら、ぎりぎりまでじっとしていた。

 階段を駆け下りると、その横の部屋の戸を開けた。
「母さん、もう7時すぎだよ」
母さんはまだ布団に入ったままだ。昨日も帰りが遅かった。
 洗面所に行くと、積み上がった洗濯物を洗濯機へ放り込み、顔を洗う。いつものことだ。鏡に映る自分を見ながら、仕事モードへとスイッチを切り替えている。
 冷蔵庫から卵と牛乳を出す。卵をフライパンに2つ落とす。やかんが沸騰してピーッと鳴り、すぐ止める。食パン2枚をトースターに入れる。インスタントコーヒーにお湯注ぐ。3つのコップに牛乳を注ぐ。我ながらダンドリいい。これを慣れた手際の良さというのだ。2つのお盆にそれぞれパンとコーヒー、目玉焼きと牛乳、そして目玉焼きの皿に切った蒲鉾がのった。蒲鉾はおれの会社の商品で営業で残ったものだ。営業成績悪いだろ、ほとんど毎朝メニューに入ってる。
 あくびしながら、母さんが台所に現れた。台所のいすに座ると、パンにバターを塗りだした。けっこう高いのに遠慮なくばんばんパンにのせまくる。冷えて固まってるから、よけいたくさん使ってると思う。
「母さん、もう焼く前にバター塗ってるから」
「だめ、この溶ける感じがいいんだから」
 マーガリンにしたいが、それも却下された。バターをマーガリンにするくらいどうでもいいだろ。
「あんたはパン食べないから、そんな適当なことができるのよ」
確かに、おれは朝、牛乳しか飲まないから、どうしてそこまでこだわるのかわからない。
 母さんは頭の前と頭頂部にはカーラーを巻いていて、寝巻代わりのジャージの上下のままだ。 「また洗濯?昨日もしてたのに」と、バターたっぷりのパンをくわえる。あんたがしないからだろう、心の中でツッコミをいれた。
「ねえ、この蒲鉾、大丈夫?」 と、思うよ。
「うん」
一気に牛乳を飲むと、階段を駆け上がった。
「あんなに音が大きいと眠れないわぁ。ねえ、聞いてる?」
「水が漏れてる。壊れかけてんだ」
  ネクタイをしめながら、2階から大声で言った。もう1週間も前から、洗濯機の下の敷いてあるプラスチックの入れ物に、水がたまっていることに気づいている。
「じゃあ、早く買い替えないと」
母さんの声がした。誰がだよ。母さんは何でもおれに頼る。買い物、朝晩メシ、電球切れた、冷蔵庫の氷がない、テレビの録画どうするのとか、なんでも頼りまくり。風呂の天井のカビももうすぐ言うだろうな。掃除機の中の袋の替えがないのは知らないだろう。掃除はおれしかしないから。

「今日は何時?」と、 下へ行こうとして、今日は黒のネクタイも持って行かねばならないことを思い出した。昨日の新聞だ。
 父さんが10年前に亡くなってからというもの、母さんの命令で、新聞の死亡広告は必ず見るのが日課だ。父さんの葬儀に来てくれた人たちが、そこに載ってるか、いないかを確認するためだ。それってある意味死ぬのを待ってるような感じもして、不謹慎じゃないのかよと見るたびに思ってたが、そのせいで、知り合いの死を知ったんだ。今日が葬儀になっていた。
 黒のネクタイを鞄に入れる。
「うーん、6時ぐらいかなあ」と、母さんののんびりした声がした。
「またまた。きのう、何時だったっけ」
  母さんは保険の外交員をやっている。しかし、毎日帰宅は遅い。昨日は夜11時を過ぎていた。 「ちゃんと帰るって、ほんとに」
「たまには早く帰ってきてやってよ」
部屋を出ると、廊下正面の部屋をちらりと見た。扉は閉じられている。
「おれだって時々は遅くなるんだしさあ」
「私だって仕事なんだからー」
違うでしょ。母さんは仕事のあと、必ずパチンコしてる。まともに帰ってきたことがない。例のアレだ。依存症なんじゃないかと思ってる。バターよりこっちが問題だ。

 急いで居間の外の軒先に洗濯物を干す。乾燥機が欲しいと常々思ってるが、いつになったら買えるのか疑問だ。母さんの給料はパチンコ代で消えてあてにならないし、今日の葬式、最初は3千円にしようかと思ったが、いまどきそれはないよな。で、持って行く5000円を引いてしまうと、今月、給料日までのあと1週間、6786円で過ごさなければいけない。貯金なんてそんな余裕もない。しかも運が悪いことにこの間からずっと銀行の預金通帳とカードを探してるんだが見つからない。通帳とカードをいっしょにしてたが、家に置いてあったはずだ。カードを持っていかないことにしてるからだ。

 さらに問題がある。おれには妹がいる。キエラ、18歳。扉が閉じられた部屋からほとんど出なくなって3年になる。いったい何が原因なのか、ほとんど会話らしい会話をしないからわからない。中学時代は成績も優秀で、元気に陸上をしてたと思う。
 階段下から見上げると、いつの間にか扉にメモが貼られている。具体的にラーメンや菓子、雑誌、そしてDVDの名前が書かれている。彼女のメモはいつも明確で、物のことだけだ。内面の感情なんかないみたいだ。そして母さんとおれが出て行くと、キエラは起き出して活動するのだ。家の中だけで。これじゃダメだと、このあいだコンビニに頼み込んで妹をバイトに行かせたが、1週間もたたずにまたひきこもった。おれはあわててコンビニにお詫びに走ったよ。

「1週間だよな」
 扉に向かってそう言った。レンタルDVDだ。この用事があると、また帰りが遅くなる。一度はサブスクと書かれていた。思う存分観たいんだろうが、おれはガン無視した。その方が安いのはわかってる。でも、妹がひきこもりをやめることを、懲りもせず、いまだに期待していた。ビデオの依頼で、妹の趣味がわかる。たいてい、いやほとんどホラーやアクションもので、恋愛ものだったことがない。まあ、恋愛に縁がないのも、さすが兄妹だ、似てるな。
 だが、メモを見るたびに、キエラをなんとかしないとと思う。そのうちにと思いながら、ずるずると3年も経ってしまったんだ。今さら何ができるんだろう?妹のために、このメモを実行してやることぐらいしかできない。
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