第3話

文字数 1,649文字

 そのときドアが開いた。同僚の営業の田村と社長が入って来た。やばい。けど、朝の週間成績発表と訓示を聞かずに済めてほっとしている自分もいる。
「じゃあ社長、それで進めますね」
「ああ、頼む。助かるよ。ミヤガワグループなら、受注取れたら大きいからなあ」
なんだって?
「はい!」
はいって、田村、ミヤガワって…。
「ミヤガワって、ひょっとして、おれの営業区域の?」
  鞄に書類を入れ、出かける準備をしている田村に近付いた。
「あー、そうでしたね」
「そうでしたねって、このあいだ、おれ、話したよね。顔つなぎができてきて、いけそうって…」
何度も何度も足を運んだところだった。
「あ、いやあー、ちょうど電話がきて。ムカイさん、いないし」
「おれ、電源切ってないし、連絡くれたら…」
「ま、しょうがないじゃないっすか」
田村はいつものようにへらついた顔で、悪気もなしにそう言い放ち席をたった。おれにとってはしょうがないことじゃないってのに。要は盗られたんだ。スキを見せた方が悪いってことだ。   サイアクだ、後輩だろが。高校でたばかりでピアスの穴があった頃、おまえは営業先でさっさと座ってお茶飲んでくつろいでただろが。どんだけおれが相手先に気を遣ったか。いろいろ教えてやったし、客も紹介してやったよな。

「ムカイ!ちょっと」
 社長に呼ばれた。いやな時だ。
「ムカイ、もうちょっと、数取れないか?いつもこんなじゃ、おまえも納得いかないだろう?」
「はあ」
社長はいつも、きつくは言わない人だ。そんな人にこれだけ言われるのはこたえる。
「田村にまた差をつけられそうだぞ」
「あれ、おれがずっと顔つなぎしてきたんですよ」
我慢できなかった。社長にはわかってもらいたかった。
「のんびりやってたら、取れる仕事も取れないんだよ」
わかってくれるかと思ってたから、おれは唖然として、言葉がなかった。結局は結果がすべてなんだ。そりゃそうだよな、注文とってなんぼの営業だ。わかってる。

「社長は休み返上で、趣味の写真もやれないってぼやいてる」
 出て行く社長をぽかーんと見送るおれに、横山さんがそう言った。社長の机の横には一眼レフのカメラが置かれている。
 わかってる。会社が売上げ低迷してる今の状況で、仕方ないんだ。アタマじゃわかってるけど、気持ちは納得してなかった。
「はいはい、出かける。今日のサンプル、そこ」
 横山さんが経理の書類をパソコンに打ち込みながら言った。入り口の机に、クーラーボックスがふたつ置かれている。営業費のけっこう比率を占めている蒲鉾や天ぷらだ。その日の朝作ったものを、決まった数サンプルにするのだ。今日は数が少ないほうだ。月曜から水曜は休みのところが多いからだ。
 そこにハンカチで手を拭きながら戻ってきた田村が、さっきのことなど忘れたかのように、「可愛げねー。何十年もやってるとああなるんっすかねえ」と、ニヤニヤした。

 外に出ると朝だというのにもう、もわーっと熱気に包まれる。田村の営業車はすでに出かけていた。以前はおれと田村がいっしょにまわってたが、会社がもう1台、つまり社長の車を田村用に営業車にしたのだ。で、このもともとの営業車はおれ専用というわけだ。まあ、ガンダムで言えばシャア専用みたいな。ある意味助かった。田村の営業車は、会社が休みのときは、社長が私用に使うこともあるからだ。おれの方を使われるとまずいんだ。なぜって、1日の3分の1はこいつに乗ってる。ほとんど家みたいなもんだ。だから、仮眠用の毛布、枕、コンビニの袋かけ、ドリンクホルダー、雑誌やCDボックス、日差し防止フロントカバー、いかに車内で快適に過ごせるかってためにやってる。これぐらい仕事にも力をいれろよって声が聞こえそうだが。昼食も昼寝も時間つぶしも読書も全部、車の中。まあ、時々弁当の匂いがこもったり、停車中冷房かけすぎてバッテリーあがったり、鳥にフンを落とされまくったりしたこともあるけど、何かと便利だ。
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