(十)予知能力

文字数 4,790文字

 なんだかんだで、とうとう七月が終わり、八月到来。まだまだ暑さは続くと言うか、ピークを迎える。そしておっさんの断食も遂に三ヶ月に達し、四ヶ月目を迎えたってわけだ。でもおっさんは相変わらず元気そうで、まじ、すっげーとしか言い様がない。
 で話はまた断食に戻るんだけど、体が軽くなって丸で宙に浮く、空に飛んでいっちまう感じだとかさ、心身ともに解放されて仙人みたいだとかさ。ま、断食してりゃそりゃ体痩せちゃって、体が軽く感じられるなんて有りかも知んない。
 でもおっさん、断食によって、その他にも特別なものが得られたって主張すんだよね。何だと思う。
 予知能力、だって。
 はーっ。これには流石に、おっさん、大丈夫かってレベル。ますます宗教っぽいし、怪しいおっさん、或いは頭変なんじゃね、って危うさが漂って来てます、来てます。
 でもまあ、頭ごなしに否定すんのもなんだし、俺は話を聴くだけは聴いた。
「おれも最初は信じられなかったさ、あんちゃん」
「だろな」
「いつからだったっけか。確か、今月の初めからだと思う」
「おっさん、もう八月なったんだよ」
「あっ、そうか。じゃ、先月の初めだ」
 おっさんは申し訳なさそうに、頭を掻いた。
「てことは、それってさ、断食して限界の二ヶ月を超えた辺りからってことだな、おっさん」
 って俺が指摘すると、さも驚いたようにおっさんは頷きながら答えた。
「あっ、そうか。そうだな、あんちゃん、確かに。そうだ、そうだ、なーるほどねえ」
「何、一人で納得してんの、おっさん」
「だからさ、あんちゃん。人間てのは限界を超えると、能力以上の力を発揮したりすることってあるじゃん」
「そんなん、ある」
「ある、ある。火事場の馬鹿力とか言うでしょ」
「ああ」
「だからおれも断食の限界を突破したことで、特殊な能力をお天道さんから授かったってことなんじゃね」
「そうかねえ」
 俺は苦笑い。
「で、予知能力って、例えばどんな」
「先ず、天気かな」
「天気かあ」
 げ、いきなししょぼっ。大した予知能力じゃん、おっさん。俺は笑いを堪えるのに必死だった。でもバカにしちゃいけねえ。おっさんは真剣なんだから。
「あんちゃん。信じてねえな、その目は」
 げっ。俺は顔をまっ赤にしてかぶりを振った。
「そんなこた、ねえよ、おっさん」
「いいんだよ、あんちゃん。信じろって方が無理だわな。じゃ、ちょっと試してみっか」
「お、いいね」
 おっさんは黙り込み、何かを探すようにヴェルニー公園を見回した。しかし深夜の公園に人影などなく、しーんと静まり返っているのみだ。おっさんは口を開いた。
「あと十分もしてみな、あんちゃん。えらい騒々しくなっから」
「本当かよ、でもなんで」
「ま、いいから」
 おっさんはにやっと笑った。仕方ねえ。俺はおっさんの予知能力ってやつを確かめる為、十分待つことにした。
 して十分経過。すると何処からともなく人影が、と言うよりスケボーの音が聴こえて来た。かと思う間もなく公園の路上には三人のスケボー野郎ども。
 何だ、こいつら。こんな深夜に何が楽しくて、スケボーなんぞ、と理屈をこねてもしょうがねえ。相手が悪い。連中は大はしゃぎでスケボーに興じ出した。お陰でうるさいの何のって、たまんねえ。
 てわけで、見事おっさんの予想通りになっちまったぜ。でもよ、これってさ、いつも公園にいるおっさんだから、最初からこうなるって知ってたんじゃね。こいつらいつもこの時間にはここに来る、常連のスケボー連中でさ。なあんて内心疑う俺だったが、ここはおっさんに勝ちを譲ろう。
「すげじゃん、おっさん。当たった」
「まあな」
 照れてんじゃねえよ、おっさん。おだててるだけなんだからさ、まったく。
 って、おっさんも俺の本心を見透かしたように、更に言った。
「じゃ、あんちゃん。今度は天気だ」
「天気か」
 またまた来ました、しょぼい予知能力。
「明後日な」
「明後日、どうなんの」
「ああ、明後日は朝から昼まで大雨になるらしいから、気付けて仕事行きなよ、あんちゃん」
 大きなお世話だよ、まったく。よし分かった、明後日だな。
 で、その明後日。
 俺はおっさんの予報などすっかり忘却していたんだが、夜明け前、部屋の窓を叩く激しい雨の音で目が覚めた。
 うっせーなあ。
 あれっ、雨。大雨じゃん。
 ってことは、当たってんじゃん、おっさん。
 まあ、まぐれかも知んない。夏なんて、いつ突発的に雨降り出してもおかしくないしさ。でも兎に角当たったのは事実だ。まんざら嘘でもなかったってことか、予知能力。
 多少はおっさんの予知能力ってやつを認めつつ、俺はその日の晩おっさんに会いに行った。

 俺はいつものように南アルプスのペットボトルを携え、おっさんのいるヴェルニー公園のベンチへと向かった。
 もう深夜。海の開店時間はとっくに過ぎている。今夜は残業が長引いて、こんなに遅くなっちまった俺。危うく終電乗り損なうとこだったぜ。いやあ焦った、焦った。であるから、日付変更線はとっくに横切っていて、でもおっさんはまだベンチにいた。まさか、俺待ってたわけじゃねだろうな。
 ところがおっさん、俺に気付くやベンチから立ち上がり、血相変えて駆け寄って来やがった。何の騒ぎだい。
 おっさんは開口一番、こう言った。
「あんちゃん、大変だ」
「どうしたの、おっさん。なんか物盗られた」
 しかしおっさんは大きくかぶりを振った。
「いや、そんなこっちゃねえよ、あんちゃん。とんでもねえことが、近々起こりそうな気がしてなんねんだ、おれ」
 はあ、いきなし、またなんだよ、って思いつつ、俺は尋ねた。
「とんでもねえことって」
 するとおっさんはまじで興奮してんのか、叫ぶように言いやがった。
「ああ、ビックリすんなよ、あんちゃん。地震だ。それも大地震だよ、大地震」
「大地震、まじかよ」
 って一応驚いてみせたけど、俺は本気になんぞしちゃいねえ。どうせ例の予知能力ってやつだろ。天気予報は確かに当たったけどさ、大地震なんていったら、規模が違い過ぎんだろ。そんなことがこのおっさんに分かったら、苦労しねえよ、世の中。
「まあまあ、おっさん。落ち着いて水でも飲みなよ」
 おっさんは俺の言葉に素直に従い、俺と一緒にベンチに戻った。改めてふたり並んでベンチに座り、おっさんはゴクリと俺の南アルプスを口にした。
「で、おっさん。地震て、何処に起きんのよ」
「ああ、関東、違う。ごめん、東海辺りだ。ここ横須賀も、ちった揺れっかな」
「東海か。それって南海トラフ地震ってやつだ。まじだったら、やべじゃん、おっさん」
「まじ、やべさ、あんちゃん。だから焦ってんじゃん」
 おっさんは尚も興奮気味で、それに心なし顔も青いかも。おっさんはおっさんなりに真剣らしい。
「近々って、いつよ」
「おれの予想じゃ、後数日後。何日だっけ、今日、あんちゃん」
「スマホ見りゃ、分かんだろ」
「あっ、そうか。失礼しやした」
 日付けが変わって、八月四日だ。
「だとね、あんちゃん。十一日辺り来そうだな」
「十一日って、八月十一日ってか、おっさん」
 おっさんは黙って頷くだけ。しかも笑ってねえ。ま、笑えるネタじゃねえわな、流石のおっさんでも。
「てことは、今日を入れても、あと八日しかねえじゃん」
 なあんて焦ってみせるも、全然本気にゃしていない。そいで八月十一日になって何事も起こんなきゃ、ただ笑い話にすりゃいいと思っている俺。
「確かに、ここら辺りはさ、あんちゃん」
「ん」
「そんなに揺れはしねえかも知んない。でもね」
「でも、何」
「津波が来んだよ。ここヴェルニー公園にもさ」
「ああ、津波ねえ」
「それも大津波だよ」
「大津波」
 俺は一瞬、生唾ゴクンとなった。
 なぜなら、3・11の時に起こった大津波の映像が、俺の脳裏に咄嗟に甦ったから。YouTubeで幾度となく観たからなあ、あの頃。
 流石にあんなの来たら、堪んねえわ。いや一たまりもねえよ、この横須賀の街だってさ。
「だからさ、あんちゃん」
 そしておっさんは、諭すように俺に言った。一言一言噛み締めるように、ってやつだ。
「その日は朝からさっさと、高い所に避難した方がいいよ。貴重品、通帳とか忘れずにな」
「あ、ああ。でも高い所って」
「ダイエーでいいんじゃね。あっ、でもまだ開店してねえか」
「そだよ。朝だったら、まだ早いべ」
「でも、まあ、大丈夫だ。元々高いとこあんだから、あそこは。通路とかにいりゃ、問題ねえよ」
 おっさんはもうまっ暗になったダイエーの方を見つめながら言った。
「で、おっさんは」
「おれ。おれがどうかしたかい、あんちゃん」
 おっさんはとぼけた顔で言いやがった。どうかしたかい、じゃねえだろっての。
「だから。おっさんは、その日どうすんのって」
「どうすんのって。おれはどうもしねえよ、いつも通りさね、あんちゃん」
 はあ。すっとぼけたまんまのおっさんに、俺は切れ気味に言った。
「んなわけねえだろ。一緒に避難しようぜ、おっさんも」
 ところがおっさんは大きくかぶりを振りやがった。
「だから、おれは逃げねって、あんちゃん」
「なんで、なんでよ」
 まじで切れそうな俺に、けどおっさんはいつも通りにこっと笑って、続けやがんだよな。
「だってさ、あんちゃん。折角のチャンスなんだよ、絶好のチャンス」
「何の、何のチャンスだっての」
「だから決まってんじゃん、あんちゃん」
 そしておっさんは、はっきりキッパリと言い切った。
「死ねる、チャンス」
 おまけにおっさんのやつ、俺にウインクまでしてみせやがった。何で、まじかよ。もう呆れ返って俺は、返す言葉も見つからなかったぜ。
 ったく、なんて奴だって言うか、なんて人だよ、このおっさんは。そこまでして死にたいかね。この人、本気でほんまに死にてんだなって分かった。
 俺は説得なんぞさっさと諦めて、地震の話に戻った。
「でもさ、おっさん。まじで本当だったら、やべえじゃん、大地震に大津波ってよ。誰もそんなこと、知らないっしょ」
 おっさんはまたかぶりを振った。
「知るわけねえよ、あんちゃん。誰にも話してねんだからさ、おれの予知能力のことなんざ」
「そりゃそうだけどさ、おっさん。でもこのままじゃ、流石にやばいっしょ。滅茶苦茶、被害出んじゃね」
「だよな。でもおれの言うことなんざ、誰も信じちゃくんねえよ、あんちゃん」
「ま、そだな」
 俺らは顔を見合わせ、納得するしかなかった。この俺ですら半信半疑なんだからさ、だあれも信じるわけねえか。それどころか狂人扱いされて、どっか連れてかれたりして。
 ちなみにネットで調べてみたけれど、八月十一日に大地震が起こる、なあんて予想しているSNSもホームページも見つからなかった。残念。
 ところがだ。
 十一日が近付くにつれて、丸で大地震の前兆であるかの如くに、小規模な地震が東海や関東地方で幾度となく起こったんよ。その度、俺はまじかよって、びびった。
 そいで十一日の前日、だから八月十日の晩、俺はおっさんと顔を合わせ、地震について語り合った。
「ねえ、おっさん。本当に明日、大地震来そう」
「ああ、望んじゃいねえけど、来そうだな、あんちゃん」
「そっか。じゃ津波も」
 おっさんは無言で頷いた。
「あんちゃん、悪いこた言わねえ。騙されたと思って、明日だけはおれの言う通りにした方がいいって」
「ああ、分かってる。分かってるからさ、おっさんも俺と一緒に避難しようぜ」
 交換条件ってやつだ。でもおっさんはやっぱし、笑いながらかぶりを振った。
「おれは、いいっての」
 そしておっさんは別れの言葉でも告げるかのように、こう続けたよ。
「じゃ気付けてな。水あんがとよ、まじ美味しかった、あんちゃん。ん、じゃ、お元気で」
「おっさん」
 後ろ髪引かれる思いで俺は、ベンチにおっさんを一人残し、ヴェルニー公園を後にした。いよいよ、八月十一日の朝が訪れた。
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