(三)海の開店時間

文字数 3,390文字

 さあ、どうしたもんかねえ。
 俺はあのおっさんのことが気になってならなかった。だってさ、あの様子じゃ、いつ脱水症状で死んじまうか、分からんもんな。ネットでちょっくら調べてみたんだが、脱水症状で死ぬのって、結構滅茶苦茶苦しいみたいよ、まじで。幾等本人が死ぬことを望んでいるとはいえ、余りに気の毒でならねえ。
 俺としちゃ、一日に一本南アルプスのペットボトルをあげるの位、経済的には大したことないんだけどさ。問題はあのおっさんが、毎日だと嫌がるというか、申し訳ないって遠慮しちまうんじゃないかと思って。
 そこで俺はとりあえず、毎日でなく一日置きにおっさんに会って、南アルプスをば渡すことにした。
 てことは当然、土日もどっちか、あのおっさんに会いにヴェルニー公園に行くことになるわけなんだが。平日残業ばっかなんで、せめて土日位はしっかり休もうと思って、土日はいつもお休みしてる俺。と言っても恋人もいねえし、仕事疲れで昼過ぎまでずっと寝てんだな、いつも土日は。なんともまあ、情けない侘しい独身生活なんだけんども。
 で、おっさんに会いに行く初めての土曜日がやって来たぜ。俺は先ずお昼、ファミリーマートに昼飯の弁当を買いに行くついでに、ヴェルニー公園に立ち寄ってみた。ところが例のベンチやその周辺にも、おっさんの姿はなかった。
 おかしいな、何処いやがんだよ。折角来てやったのに。仕方ない、また夕方来てみっか。
 なんだかんだ時間潰して、再度日暮れ前、ヴェルニー公園に行った。けどさ、やっぱりおっさんの姿はなし。
 ありゃりゃ、まったく何処ほっつき歩いてやんだよ、あのじいさん。ふう、にしても暑いわ、堪んねえ、まったく。当然ながら今夜も熱帯夜だぜ、こりゃ。
 それからその熱帯夜。仕方ねえ、これで最後だかんな、と晩飯を食らった後、二十一時過ぎさね、ご苦労なことに俺は、みたびヴェルニー公園を訪れた。
 流石にもう、いんだろ。いや、もしかしたらもう寝てたりして。
 ところがおっさんは何処にもいなかった。ご丁寧に公園内の、ベンチの下まで捜し歩いてみたものの、残念ながら駄目。
 あちゃ。ったく、どこいやがんだ、あのおやじ。まいったね、どうすっかな。
 しばし途方に暮れる俺。
 今日はどうしてもペットボトル渡したかったんだが、なんで夜なのにいねえの。あれっ……。
 はっと閃いた。
 もしかして、もう死んでたりして。
 俺はまじで血の気が引いたってやつ。
 やばっ。
 焦りまくった俺はもう一度丁寧に公園全域を歩き回って、おっさんを捜した。夜だし、ひんやりとした潮風が頬を撫でていくってのに、お陰で俺は汗だく。結局ヴェルニー公園におっさんの姿はなく、てことは倒れている訳でもなく、兎に角何処にも見当たらない、行方不明なのだった。
 俺はおっさんと会ったベンチに戻って、仕方なく腰を下ろした。それからおっさんを待つともなしに、ぼんやりと夜の海を眺めた。
 どの位経っただろ。しばらくしてダイエーの方角からこっちに歩いてくるおっさんの姿が見えたんだ。海に沿って、ちんたらちんたら、のんびりと歩いて来やがる。
 なんだ、いやがったじゃねえか。まったく人騒がせなおやじだぜ。
 スマホを見ると、二十三時って出てやがる。二十三時ちょうどじゃねえか。こんな時間まで何処ほっつき歩いていやがったんだよ。
「おっ、あんちゃんでねえの」
 呆れて物も言えねえ俺に向かって、おっさんは嬉しそうに話し掛けて来た。
「暑いねえ、まったく」
 まったくじゃねえよ。どんだけこっちは心配したと思ってんだよ。しかもやけに涼しそうな顔をしてやがるし。
 でもまあ、おっさん、死んでなかったってことで、俺は一安心、胸を撫で下ろしたさ。
「何処行ってたの。待ってたんだぜ、おっさん」
「あっ。わりい、わりい。あんちゃん、そりゃほんと、すまんかった」
 おっさんはまじですまなそうに、合掌してみせやがった。んな、そこまで謝らなくてもさ、俺が勝手に待ってただけなんだし。ばつが悪くて、俺は頭を掻いた。
「海の開店時間まで、あそこいたんだよ」
 えっ、何だ、それ。海の開店時間って、何。
 おっさんは照明が落ちて既にまっ暗なダイエーの建物の方角を指差していた。
 ああ、成るへそ。今までダイエーの中にいたってか。言われてみれば、成る程だなあ。どうして気付かなかったんだよ、俺。確かスマホもあすこで充電してるって言ってたしなあ。それに、こっち居たって暑いばっかしで、比べてダイエーん中は完全冷房効きまくりってやつだかんな。早く気付けよ、俺。てめえの頭かち割りたい衝動に駆られる俺だった。
 あーあ、それならあそこ捜しに行きゃ良かったって話かよ。ばっかみてえ。ってそれは良いけど、その、海の開店時間ってのは何だよ。確かあそこ、ダイエーは二十三時で全館閉店してしまう筈。そしたら施錠して、部外者は誰も入れなくなるんだが。
 気になって俺は、おっさんに聞いてみた。
「何、それ」
「ん」
「だから、その何とかの開店時間ってやつ」
「ああ」
 ああ、じゃねえよ。ったく、とろいおっさんなんだから。
「海の開店時間のことか」
「そうだよ」
「だから」
 と言っておやじ、黙り込みやがったから、代わりに俺が言ってやったさ。
「ダイエーの閉店時間まで、いたんだろ。って事を言いたかった訳だろ、あんた」
 そうだ、そうだ。誤解のないように説明しとくけど、現在ショッパーズプラザ横須賀の中にダイエーというテナントはない。以前はあったんだけど、今はもうイオンに変わってしまっている。が俺としちゃ、昔の、ショッパーズプラザ横須賀イコールダイエーっていう固定観念がいつまで経ってもこびり付いちまっているから、ついダイエーって言っちまうんだな。口癖だから、許してくだされ。
「ま、そういうこと、だな」
「だな、じゃなくってさ。さっき海の開店時間って言ったわけだろ。どういうことよ、それ」
 しつこく聞く俺に、おっさんは仕方なさそうに説明した。始めっから、そう言やいいのに。
「だから、おりゃ昼間はずっとあそこいんだろ。ダイエーん中」
 ほらな。おっさんもダイエーってつい言っちまってるじゃん。
「ああ」
「でその間は、全然海から離れてる訳さ」
「そりゃ、そうだよな」
「で十一時になってあそこおん出されて、仕方なくこっち、即ち海に戻って来るという訳だ」
「ん」
「てことはよ、いいかい。ダイエーの閉店時間が詰まり、おれにとっちゃ同時に海の開店時間ってことなんよ。分かる、あんちゃん」
 ああ、成る程……なあんて、思うわきゃねえだろっての。あほらし。海は店じゃねんだから、開店なんかしねえっての。
 俺は欠伸を堪えながら、とっとと本題に突入した。なんたって、本日は休日の土曜日であるにも関わらず、ご苦労なことに日に三回もここヴェルニー公園さ、来てんだから、俺。そいでもってこんな夜更けの海の開店時間、じゃねえ、ダイエーの閉店時間まで付き合わされたんじゃ堪ったもんじゃねえ。しっかりと言う事言っとかねえとな。
「それはいいとして、おっさん」
「あんちゃん、どうした。改まって」
「だから、ペットボトルよ」
「あ」
「いいから。今、買ってくっから」
 ダッシュで自販機目指して駆け出そうとする俺を、けれどおっさんは呼び止めた。
「あんちゃん、でもわりいよ。まじで、いつもいつもさ」
「いいってよ。ここで会ったも何かの縁って言うだろ」
 俺は再び猛ダッシュ。いつものように自販機で南アルプスを買うと、これまた猛ダッシュで引き返し、おっさんに手渡した。
「これからも、ちょくちょく来っから」
「いいのかい。ほんと、わりいな、あんちゃん。あんたはまじで、いい人だねえ」
「いいから、いいから。今日はもうおせえから帰るわ」
「ああ、今日は本当すまなかったな、あんちゃん」
 別れ際、俺は振り向いておっさんに言った。
「海の」
「ん」
「海の開店時間だろ」
「あ」
「だから、海の開店時間に、ここ、ヴェルニー公園に来りゃいいってことだろ。な、おっさん」
 するとおっさんはにっこりと笑みを浮かべながら、大きく頷いてみせた。
「そういうこと、そういうこと。さすが、あんちゃん」
 本当、憎めねえ。痩せてっくせに、まじ、いい顔して笑うんだよなあ、あのおっさん。
 俺はもっと話していたい、そんな後ろ髪引かれる思いで、おっさんと夜の海を後にした。
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