第12話 実家にて
文字数 2,264文字
「あらあらあら、まあまあまあ」
予想通りに母 さんが驚きの声を上げる。街の観光をして実家に戻ったら、母さんはすでに夕食の準備をしていた。俺と母さんの分しか作ってなかったので、ちょっと待っててねと言って、買い物に出掛けてしまった。
「夕食終わったら、帰ろうか」
「そうだね。私も明日は練習があるから。できれば、もう1日くらい一緒にいたかったなぁ」
ライブが終わったら、と言おうとしてやめた。その先のことを考えるのは、今の彼女には少し酷 なことだろう。
弦の錆びたエレキベースを紹介したり、大学生の頃に読んだ本を一緒に眺めていると、母 さんが戻ってきた。
「すぐに準備するから、待っててね」
「手伝います」
彼女は、自分のことを話しながら、母さんと夕食の準備をした。俺はまたもや手持ち無沙汰で、その光景をただ眺めていた。母さんは少し戸惑いながらも、嬉しそうに見えた。
「お父さんにはまだ、会わない方がいいわ。こんな可愛い子が彼女だなんて知ったら、血圧が上がって死んじゃうもの」
夕食中、不謹慎な言葉を発してホホホと笑う母さんに、栗谷さんは引き攣 った笑顔で答える。
「それは困りますけど……また今度、ゆっくりできる時に一緒に来ます。お父さんには折を見て、先にお伝えください」
「母さん、俺たち一応、ずっと付き合ってくつもりだから」
「……一応?」
俺の言葉に、彼女の冷たい視線が刺さる。
「えと、俺は長続きしない性格なの知ってると思うけど、今回は違う。ずっと一緒って、約束したんだ。そのために正規の仕事も探してる」
「あれだけお父さんに『継続は力なり』って言われても、なんでもかんでもすぐにやめちゃったのにね。人は変われるのねぇ」
そう言って今度は溜息混じりで笑う。言い返す言葉も無い。
「ほまれちゃん。ウチの子をよろしくね。気だけは優しい、良い子だから」
「はい!」
彼女はキラキラした笑顔で答えた。
夕食が終わり、母 さんに見送られながら、実家を後 にした。駅へと向かう道すがら、彼女はまた俺に腕を絡める。ふわりと不思議な温かさが伝わってくる。やっぱり、彼女と触れ合っている時の俺の世界は、たくさんの色と温もりで溢 れている気がする。
「そういえば、千登世 ちゃんをフッたんだって?」
「西山くん、歩く拡声器かな」
「びっくりした。だって、私なんかよりずっと魅力的な子だもの」
「いっつも思うんだけど、なんでそんなに卑屈なの。栗谷さんは歌もギターもめちゃくちゃ上手いし、可愛いし、俺なんかのことを好きでいてくれる最高の女性じゃないか」
「あなただって、俺なんかって言ってるじゃない。吉田くんは色んな人に愛されてる、すごく優しい人。なんかなんて言わないの」
「……そうだな。自分に自信がないのは、俺も同じか」
笑いながら、駅へと歩いて行く。冬の到来を告げるような冷たい風も、彼女と一緒なら撥 ね除けられる。俺も彼女も、卑屈だった自分を、この街に捨てていくことにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
学生課のカウンターから大西くんが書類を整えるのを眺めながら、俺と竹内さんは囁 き声で話す。
「なんでずっと内緒にしてたんだよ。カミングアウトできるタイミング、何回もあっただろ」
「いいじゃない。結果的に上手くいったんだから。素直に感謝しなさいよ」
「感謝はしてるよ。……強制されたら、捻 くれ者の俺はどうしてたんだろうな」
「ほらね。私はアンタの性格、よく分かってるの。でも、あの子が傷ついてどん底の時に、偶然でも吉田さんと出会ってくれて良かったよ。私だけじゃ、あんなに回復させられなかったから」
「そうか。日雇いの現場で出会ったのは演出じゃない、奇跡みたいなもんか」
竹内さんが吹き出して笑う。
「自分で奇跡って、よく恥ずかしげもなく言えるね。アンタ、やっぱり面白いわ」
笑い声に気付き、大西くんがカウンターへ歩いて来る。
「なんか楽しそうですね。こっちはまだ学祭の引き継ぎが終わらなくて大変です」
「2年生が少ないんだっけ。来年は俺いなくなるから、竹内さんが相談に乗ってくれると思うよ」
「私も来年はいないかも、だけどね」
俺と大西くんは同時に驚いて竹内さんを見る。彼女は無表情で続ける。
「まあ、なんていうか、色々あって。もしかすると、だけど」
なんだ、このぎこちなさは。何か隠してるな。俺が追撃で質問をしようとすると、肩から三角巾で腕を吊った西山さんが身を乗り出して来た。
「なんの話、してるんですか?」
「今、竹内さんが……」
「もういいの。やめてこの話」
竹内さんが俺の腕を小突く。
「西山さん、もう動いていいの? 腕以外は大丈夫って、お兄さんから聞いてるけど、頭も打ったんだろ」
「精密検査ではなんともなかったみたいです。昨日は病院に泊まって、もういいよって帰されました」
「不幸中の幸い、って言えばいいのかな」
「あーあ、ほまれさんにギター教えてもらおうと思ってたのになぁ。大会が終わってほとんど引退してたのに、後輩の指導のために演技をしたらこの様 ですよ」
西山さんはカウンターに、動かせる方の左腕を置いて、がっくりと溜息を吐 く。ふと、俺は係長の席を見る。良かった、今は席を外してた。あの人がいるとここで話しづらいんだよな。
大西くんから提出された書類を点検しながら、竹内さんが言う。
「それで思い出した。クリスマス・イヴだよね、ほまれちゃんのバンドの最終公演。私はもちろん行くけど、吉田さんも行くよね」
「行くよ。もちろん」
「僕も行きたいです」
「私もー」
そう。栗谷さんの音楽家としての旅は、もうすぐ終わろうとしている。
予想通りに
「夕食終わったら、帰ろうか」
「そうだね。私も明日は練習があるから。できれば、もう1日くらい一緒にいたかったなぁ」
ライブが終わったら、と言おうとしてやめた。その先のことを考えるのは、今の彼女には少し
弦の錆びたエレキベースを紹介したり、大学生の頃に読んだ本を一緒に眺めていると、
「すぐに準備するから、待っててね」
「手伝います」
彼女は、自分のことを話しながら、母さんと夕食の準備をした。俺はまたもや手持ち無沙汰で、その光景をただ眺めていた。母さんは少し戸惑いながらも、嬉しそうに見えた。
「お父さんにはまだ、会わない方がいいわ。こんな可愛い子が彼女だなんて知ったら、血圧が上がって死んじゃうもの」
夕食中、不謹慎な言葉を発してホホホと笑う母さんに、栗谷さんは引き
「それは困りますけど……また今度、ゆっくりできる時に一緒に来ます。お父さんには折を見て、先にお伝えください」
「母さん、俺たち一応、ずっと付き合ってくつもりだから」
「……一応?」
俺の言葉に、彼女の冷たい視線が刺さる。
「えと、俺は長続きしない性格なの知ってると思うけど、今回は違う。ずっと一緒って、約束したんだ。そのために正規の仕事も探してる」
「あれだけお父さんに『継続は力なり』って言われても、なんでもかんでもすぐにやめちゃったのにね。人は変われるのねぇ」
そう言って今度は溜息混じりで笑う。言い返す言葉も無い。
「ほまれちゃん。ウチの子をよろしくね。気だけは優しい、良い子だから」
「はい!」
彼女はキラキラした笑顔で答えた。
夕食が終わり、
「そういえば、
「西山くん、歩く拡声器かな」
「びっくりした。だって、私なんかよりずっと魅力的な子だもの」
「いっつも思うんだけど、なんでそんなに卑屈なの。栗谷さんは歌もギターもめちゃくちゃ上手いし、可愛いし、俺なんかのことを好きでいてくれる最高の女性じゃないか」
「あなただって、俺なんかって言ってるじゃない。吉田くんは色んな人に愛されてる、すごく優しい人。なんかなんて言わないの」
「……そうだな。自分に自信がないのは、俺も同じか」
笑いながら、駅へと歩いて行く。冬の到来を告げるような冷たい風も、彼女と一緒なら
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
学生課のカウンターから大西くんが書類を整えるのを眺めながら、俺と竹内さんは
「なんでずっと内緒にしてたんだよ。カミングアウトできるタイミング、何回もあっただろ」
「いいじゃない。結果的に上手くいったんだから。素直に感謝しなさいよ」
「感謝はしてるよ。……強制されたら、
「ほらね。私はアンタの性格、よく分かってるの。でも、あの子が傷ついてどん底の時に、偶然でも吉田さんと出会ってくれて良かったよ。私だけじゃ、あんなに回復させられなかったから」
「そうか。日雇いの現場で出会ったのは演出じゃない、奇跡みたいなもんか」
竹内さんが吹き出して笑う。
「自分で奇跡って、よく恥ずかしげもなく言えるね。アンタ、やっぱり面白いわ」
笑い声に気付き、大西くんがカウンターへ歩いて来る。
「なんか楽しそうですね。こっちはまだ学祭の引き継ぎが終わらなくて大変です」
「2年生が少ないんだっけ。来年は俺いなくなるから、竹内さんが相談に乗ってくれると思うよ」
「私も来年はいないかも、だけどね」
俺と大西くんは同時に驚いて竹内さんを見る。彼女は無表情で続ける。
「まあ、なんていうか、色々あって。もしかすると、だけど」
なんだ、このぎこちなさは。何か隠してるな。俺が追撃で質問をしようとすると、肩から三角巾で腕を吊った西山さんが身を乗り出して来た。
「なんの話、してるんですか?」
「今、竹内さんが……」
「もういいの。やめてこの話」
竹内さんが俺の腕を小突く。
「西山さん、もう動いていいの? 腕以外は大丈夫って、お兄さんから聞いてるけど、頭も打ったんだろ」
「精密検査ではなんともなかったみたいです。昨日は病院に泊まって、もういいよって帰されました」
「不幸中の幸い、って言えばいいのかな」
「あーあ、ほまれさんにギター教えてもらおうと思ってたのになぁ。大会が終わってほとんど引退してたのに、後輩の指導のために演技をしたらこの
西山さんはカウンターに、動かせる方の左腕を置いて、がっくりと溜息を
大西くんから提出された書類を点検しながら、竹内さんが言う。
「それで思い出した。クリスマス・イヴだよね、ほまれちゃんのバンドの最終公演。私はもちろん行くけど、吉田さんも行くよね」
「行くよ。もちろん」
「僕も行きたいです」
「私もー」
そう。栗谷さんの音楽家としての旅は、もうすぐ終わろうとしている。