第8話 卓球大会

文字数 4,830文字

 車は高速の上を、一定のスピードを保ったまま走っている。車内にはデヴィッド・ゲッタの曲が流れている。俺の隣で、大学祭実行委員長の大西くんがリズムに合わせて体を小さく揺らしている。

「楽しそうだねぇ」
「運動するの久しぶりなんですよ。あと、ほら。分かるでしょ」

 後部座席には、文学部の古賀教授と、竹内さんが座っている。古賀教授が考古学の講義みたいなことをしているようだ。多分、古賀教授がロマンを語る一番やり易い方法なのだろう。大西くんは古賀教授のゼミ生で、今回の卓球大会に彼を誘ったのは、車の座席配置をこうするためだ。すまんな、大西くん。

「もうすぐ着くよ。久しぶりに車、運転したから緊張したな」
「だから僕が運転するって言ったのに」
「こっちから誘っといて年下に運転させるのはね。それに帰りは……まあいいや」

 俺が勤める大学の、別のキャンパスでの卓球大会。ボランティアサークルの顧問である古賀教授は若く、時々、学生課の窓口まで学生の代わりに書類を届けてくれていた。それで仲良くなり、ある日、竹内さんを卓球大会に誘ってほしいと懇願された。

 どうやら、ちょくちょく学生課に訪れていたのは、竹内さん目当てでもあったらしい。俺はその依頼を二つ返事で受けた。竹内さんは(なび)かないかもと思ったが、古賀教授は気さくで学生にも優しく、嫌味も愚痴も一切言わない人だ。そんないい人の願いは、叶えてあげたいと思ってしまう。

「皆さん、着きましたよー」

 乗ってきたミニバンを駐車場に止め、体育館へ歩いて行く。古賀教授は、まだ話を続けている。ちらっと竹内さんの顔を見ると、楽しい感じでもないが、嫌そうでもないみたいだ。ちゃんと話に相槌(あいづち)を打っている。

 体育館の更衣室でジャージに着替え、コートに入ると、すでに数名が卓球台の準備に取り掛かっていた。俺と大西くんはそれを手伝う。古賀教授は、こっちのキャンパスの教授に挨拶をしているようだ。

「ねえ、吉田さん。高校の頃のジャージで来ちゃったんだけど、変じゃない?」

 竹内さんの言葉に、大西くんが目を輝かせて走り寄って来る。

「全然、変じゃないですよ! クラスの番号とか書いてあって面白いです」
「やっぱ、おかしいんじゃないか。ケチらずに新しいの買えば良かったな」

 必死に(なぐさ)めようとする大西くんが滑稽(こっけい)で面白かったが、古賀教授の視線に気付き、彼を制することにした。

「まあ、ジャージなんて誰も見てないから何でもいいんだよ。大西くん、ネット張るの手伝って」

 彼の単位を守ることに成功しただろうか。なるべく大西くんを竹内さんに近付けないようにしようと心に決めた。彼のためである。竹内さんはぷくっと頬を膨らませて、女性事務員さんを手伝いに行った。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 30人ほど集まって開かれた卓球大会は、最初、練習から始まった。練習の様子をこのキャンパスの卓球部の顧問の教授が見て、上手い人は上手い人と、下手な人は下手な人と対戦できるようにトーナメント表を組んでくれた。最終的には一番上手い人が優勝するのだろうが、それまでは参加者みんなに、できるだけ楽しんでもらうためのやり方らしい。

 俺と大西くんは同じレベルと見られたのか、いきなり対戦することになった。彼はピンポン玉を軽く持ち、俺に挑戦状の如き言葉を放った。

「練習では手加減してたけど、吉田さんには負けませんよ!」

 手加減してるように見えなかったけどな。彼は慎重にラケットを振る。大きめの軌道でピンポン玉が向かってくる。軽くラケットを()いで打ち返すと、彼の手前で跳ね、あっさりと彼のラケットを避けるように抜けていった。

「やりますね……僕を本気にさせるとは」

 あれ、このイケメン、ちょっとアホなのかな。わざと盛り上げようとしてるのか、運動するときは性格が変わるのか。とにかく無駄な動きが多く、ジタバタしてるだけで、試合は俺の圧勝で終わった。

「吉田さんが優勝ってことで……」

 寂しそうにコート脇に座った大西くん。古賀教授が彼の肩をポンと軽く叩き(ねぎら)った。もちろん俺がそんなに勝ち続けるはずもなく、あえなく次の試合はストレート負けでトーナメントから離脱した。

 古賀教授はかなり卓球が上手かった。だからか。いいところを見せようとして、この大会に竹内さんを呼んだのだろう。順調にトーナメントを勝ち上がり、次の試合は竹内さんが相手だ。

「吉田さん、どうしよう。これ、真剣勝負した方がいいかな、それとも、負けてあげた方が印象が良いのかな」
「教授、竹内さんは多分、本気でやりますよ。そういう人です。接待とか絶対ムリなタイプなんで」
「わ、分かった。じゃあボクも真剣にやるよ。行ってきます」

 ガチガチに緊張した古賀教授が、卓球台を挟んで竹内さんと対峙する。竹内さんは真面目な顔で古賀教授を(にら)んでいる。そういえば、この大会に誘った時、中学は卓球部だったとか言ってた気がする。元卓球部の血がたぎっているんだろうか。

「竹内さん、がんばれー!」

 大西くんが大声で声援を送る。竹内さんがそれに(こた)え、ラケットを上げて、にやりと笑う。ピンポン玉を卓球台に何度か落として、跳ね返りを(つか)む。あいつ、やっぱり本気だ。

 ふたりの壮絶な試合が始まる。俺たちのスマッシュくらいの速さでラリーが続き、それぞれ得点を積み重ねていく。2点差に開くと、古賀教授はカーブドライブを使い始めた。ボールの跳ねる角度の変化についていけず、竹内さんは同点に追いつかれる。古賀教授はさらに打ち返すタイミングをずらし、遂に逆転に成功する。

 10対9、これで教授が得点すれば決着となる。息を大きく吐き、竹内さんはピンポン玉を上に放り投げ、ラケットを振り抜く。トトッと素早く跳ね、ボールは教授の手元に向かう。教授が下から斜めに切るようにラケットを振る。不思議な軌道を描き、一度跳ねると、竹内さんの腕に当たって大きく弾み、後ろへと飛んでいった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「お呼ばれしたらいいのに。行けば意外と面白いかも知れないぜ」

 大会が終わり、大西くんや数名の教授、事務員さん達は古賀教授宅へお呼ばれすることとなった。もちろん、教授は竹内さんに来てもらいたかったのだが、彼女は固辞した。知らない人が多いと疲れるから、という理由だそうだ。延長料金が発生する前にレンタカーは返却したいので、竹内さんを帰り道の途中の駅まで送ることにした。

「それじゃ、大西くん。あんまり飲みすぎるなよ」
「教授に失礼なことしたら大変ですから、自重しますよ。吉田さん、ちゃんと竹内さんを無事に送り届けてくださいね」
「おう、任せとけー」

 手を振り上げて、大西くんは別の車へ走って行った。古賀教授が小走りでやって来る。小さな優勝トロフィーを抱えている。

「竹内さん、今日はいい勝負をさせてもらいました。ありがとうございます」
「こちらこそ、楽しく過ごせました」
「ウチに来ていただけないのは非常に残念ですが……」

 竹内さんはにっこりと微笑む。

「今日は無理ですけど、考古学のお話の続き、今度ぜひ聞かせてくださいね」
「あ、ああはい、はい! ぜひ、また今度お話ししましょう!」

 古賀教授の慌てた様子に、竹内さんが笑う。教授は俺に満面の笑みで感謝を示し、下手くそなスキップで別の車の方へ戻って行った。それを見送った後、竹内さんは笑顔をやめ、俺の顔を見てぶっきらぼうに言う。

「疲れた。帰ろう」

 竹内さんを助手席に乗せ、ミニバンは駐車場を出て、高速に向かう。久しぶりの運転だったが、行きで少し慣れたのか、緊張せずに運転できている。

「お疲れ、楽しそうだったな」
「まあ、本気で卓球やるのなんていつかぶりだからね。楽しかったよ」

 そこでしばらく会話が途絶えた。高速に乗ってから、ちらっと竹内さんを見ると、ドアガラスの向こうの過ぎ去っていく景色を眺めているようだった。疲れてるんだろうなと思い、俺は黙って運転を続ける。

「……私さあ。もう5年くらいエッチしてないんだ」

 車のエンジンが(うな)りを上げる。竹内さんの言葉に驚いてアクセルを踏む右足に一瞬、力が入ってしまった。

「初めてしたのが大学生の時で、付き合ってもいない奴に頼み込まれて、なんとなくラブホに行ってさ。痛いだけで、なにこれと思って。それが最初で最後」

 俺は何と言ったらいいのか分からず、背中に嫌な汗をかきながら、ただ黙って聞くしかなかった。

「男の人って結局、女を抱きたいと思ってるだけなのかな。古賀さんも、私の身体が目当てなんだと思う?」

 なんという屈折した恋愛観。最初の人が(ひど)すぎたのか。

「竹内さん。俺はさ、仕事を転々としてきたじゃない。だからたくさん、本当にたくさんの人と仕事したり、(はな)したりしてきたんだ」
「……うん」
「だからさ、人一倍、人間を見る目があると思ってる。そんな俺が保証する。古賀教授は、純粋な気持ちで竹内さんのことを見てる。竹内さんのことを知りたがってる」
「じゃあ、私の魅力って何? 結局、顔とか身体じゃないの?」
「まあ、顔は女優みたいに綺麗だよな」
「……ありがと。なによ突然」
「スタイルだって良いし」
「やめてよ」

 運転中の俺を小突いてくる。相変わらず、ドアガラスの外を見たままだ。

「俺、この前、竹内さんに友達って言われた時さ。実は結構、嬉しかったんだ。本当は少し嫌われてるかも、とか思ってたから」
「嫌いなわけないじゃない。嫌いだったら、あんたの彼女の話とか、悩みとか親身に聞いてあげるわけない」
「それだよ。俺にとって竹内さんは、どんなことでも全部話しちゃうくらい、こっちが勝手に信頼してる人なんだ」
「だから? それが魅力なの?」

 竹内さんの顔がこちらを向いた。今にも泣き出しそうな目で、眉を(ひそ)めて俺の返事を待っているようだ。

「優しいんだよ。分かる人には分かる。さっきだって、教授が喜ぶような言葉をかけてあげてたじゃないの」
「あれは……なんか、古賀さんが捨てられた猫みたいな顔してたから……」
「ほら、ちゃんと人の気持ち、考えてる。竹内さんは優しい人なんだ」

 竹内さんの目から、大粒の涙が(こぼ)れる。

「……私は優しいの? 古賀さんは、私を大事にしてくれる? エッチだけしてポイッてしない? ねえ」

 俺は竹内さんの頭を()でる。なんで急に幼い感じになってるんだ。やっぱり昔、相当に酷い扱いをされたのか。

「大丈夫。俺は味方だから。今度は俺が相談に乗るよ。今までのお返し、させてくれ」
「……うん」
「ハンカチ、いる?」
「いらない。持ってる」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 竹内さんの指定した駅のロータリーに停車して、サイドブレーキをかけた。助手席の竹内さんは、(うつむ)いたまま、息を整えている。さっきやっと泣き止んだところで、目の周りが腫れている。このまま外に出すわけにもいかず、落ち着くまでしばらく待つつもりで、俺はシートにもたれて息を吐く。

「……吉田さん。ゴメンね。なんでこんな話、しちゃったのかよく分からないけど」
「たまにはしっかり泣くのもいいんじゃないかな。スッキリしたでしょ」
「うん。スッキリした。なんかちょっと前に進めそう」
「良かった。古賀教授は本当にいい人だから、絶対、竹内さんを幸せにしてくれるよ。ちゃんと内面を見てくれるし、裏切ったりしない」
「それさ、本人が私に言うべき言葉じゃない?」

 俺たちは大声で笑った。

 ようやく車から出られるくらい目の腫れが引き、助手席側のドアを開け、竹内さんは外に出る。ドアを閉めて、ゆっくりと歩き、こちらへ振り向く。

「ありがとう!」

 フロントガラス越しに映る、街灯に照らされて輝く笑顔は、暗い(もや)をどこかへ吹き飛ばすようなオーラを(まと)っていた。もう大丈夫、そんな気がした。

 手を振り歩いて去っていく姿を眺めていると、通知音が聞こえた。スマホをポケットから取り出し、画面をタップする。西山くんからのメッセージだ。

『ほまれが濱田くんのとこに行ってるらしいけど、なんか聞いてる?』
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