エピローグ3 その言葉

文字数 874文字

「吉田さん」

 カフェの中、竹内さんが手を振って声を上げる。

「お待たせ、教授夫人」

 竹内さんが眉を(ひそ)める。

「その呼び方は一刻も早く、やめてくれ」

 俺は含み笑いしながら、同じテーブルの席に着く。コーヒーを注文して、彼女の変わりように驚く。

「眼鏡、やめたんだ」
「あの人が、コンタクトにした方が()いよって」
「前と違い過ぎて、探しちゃったよ」

 以前の地味な事務員スタイルから一転して、黒縁眼鏡を取り、ちゃんと化粧していると、やはりどこぞの女優のように見える。

「私のことはいいよ、時間ないんでしょ。はい、これ」
「ありがとう。どっちも出席できなくて、申し訳ない」
「いいよ。あんたたちこそ、一緒に暮らしてるのに全然会えてないんじゃない? この前、ほまれちゃんがボヤいてたよ」
「俺は出張があるし、向こうはライブの手伝いで遠征が多いからなぁ」

 竹内さんが溜息を()く。

「ちゃんとケアしてあげてよね。そんなに強くない子なんだから」
「分かってるよ。俺たちは大丈夫。ここで繋がってるから」

 俺は胸に拳を軽く当てた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「引き出物は茶碗だったよ。青とピンクの」
『そうなんだ。竹内さん、元気だった? 電話では幸せそうだったけれど』
「すっかり古賀教授の奥様してた。……ゴメンな。落ち着いたら、俺たちも結婚式を挙げよう」
『うん。そのためにも、しっかり働かないとね』

 俺は仕事帰りに、ふと思い立って港に来ていた。夜の海は工場から出る光を反射して、たくさんの色が絡み合うようにキラキラと輝いている。俺はビデオ通話に切り替えてスマホを持ち上げ、景色を見せる。

「今さ、あの場所にいるんだ。君がミスチルの曲を演奏してくれたところ」
「懐かしいね。……海が綺麗。また一緒に歩きたいな」
「そうだね。また今度な」

 じゃあ、と言いかけて、俺は思いつく。

「ちょっと待ってて」

 俺は走り出す。階段を降りて、海に近付いて行く。
 柵に体を預け、身を乗り出し、大きく息を吸う。
 そして、スマホなんかなくたって彼女に届くくらいの気持ちで叫ぶ。

 別れの言葉だけど、別れじゃない言葉。

『またね!』

 <了>
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